上 下
86 / 92
案件5.硝子の右手

22:お化けの学校5

しおりを挟む
「ほかに伝えたいことはありますか。もしあれば、俺でよければ聞きますよ」

 たとえば、彼女を思っているだろう家族にだとか。もし彼女が望むのなら、行平は彼女の家族を探してもいいと思っていた。
 そのくらいのことしかできないが、できることはしてあげたかったのだ。けれど、彼女は首を横に振った。

「家族に伝えたいことはないわ。私は自分があの子たちを遺していくとわかっていたから。伝えたいと思っていたことは伝えたつもり。もちろん、伝えきれなかったこともあるけれど、それを今になって伝えるのはずるいわ、きっと」
「そうですか」
「それに、今になって私がなにか伝えなくても、あの子たちは大丈夫。それが私の自慢で、絆よ」

 にこりと崎野美沙子が笑う。特段、美形なわけでも、あか抜けているわけでもないのに、その笑顔は驚くほど透明感に満ちて美しかった。

 ――余計な同情だったんだろうな。

 自分自身の感傷を彼女に投影していたことを行平は恥じた。彼女は、強い。幸せであたたかな記憶だけを抱いて、逝こうとしている。
 彼女の瞳が柔らかく笑む。それが最後だった。
 透き通り始めていた身体が、光が霧散するように消えていく。右手のひらには、まだほのかな温もりが残っていた。
 その右手をぐっと握りしめる。たしかに彼女はここに戻ってきていたのだ。そうして、彼女自身の意志で帰っていった。

「あんたの右手は、触れるんだな」

 その声に、錫杖の音が鳴り止んでいたことに気づく。強い感情もなにも含まない、いつもどおりの呪殺屋の平淡な声。

「さっきの女が言っていたことは正しい。少なくとも、俺はそう思う。でも、すべての霊が、あんなふうにできるとは限らない」
「そうだろうな」

 しんみりと行平は頷いた。むしろ、あんなふうに強く綺麗に割り切ることのできる彼女が特別だったのではないだろうか。
 現に、自分は、後悔も未練も数えきれないほど胸に抱えている。ああしていればよかった。こうしていればよかった。あのとき違う選択をしていれば。そんなたらればばかりだ。

「そうだ。たとえ、最初はそう思うことができていたとしても、現世に関わるうちに、どんどんと欲が出てくるんだ。当たり前だとは思うけどね。人間の性だよ。それで、いつしか未練ばかりになって、それ以外がなくなってしまう」
「そうか」
「哀れだろう」

 そこでようやく呪殺屋と視線が絡んだ。事務所で垣間見た怒りはなく。ただ静かだった。

「愛していたはずの、遺してきた誰かに、その牙が向くことさえあるんだ」
「そうか」

 同じ相槌を行平は繰り返した。「妹」として行平の前に現れた少女のことを思い出す。妹であれば。いや、妹でなくとも。この子どもが望むのなら、害を成されてもいいと思った瞬間はたしかにあったのだ。 

「生きている人間でさえ、思い余って呪うことがある。害を成す。呪い、怨念、すべて人間が生み出す負の感情の連鎖だ」
「だから、それを止めてやればいいんだろう、今日みたいに」

 自分自身に言い聞かせる調子で、行平は請け負った。
 探偵事務所に「万」の看板をつけようと思い至った夜、少女たちは泣いていた。呪ったからといって、どうにかなるわけじゃない。そのことは、きっと彼女たちもわかっていたのだと思う。
 けれど、わかっていても、一時の激情に流されてしまうことはあるのだ。人間は弱い。

 ――でも、だから、引き留める呪殺屋がいてもいいと思うんだよ。

 迷う弱い人間の背を押す呪殺屋と、この男は違うのだから。その呪殺屋が、行平を見下ろして、わざとらしく嘆息した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

付喪神、子どもを拾う。

真鳥カノ
キャラ文芸
旧題:あやかし父さんのおいしい日和 3/13 書籍1巻刊行しました! 8/18 書籍2巻刊行しました!  【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞】頂きました!皆様のおかげです!ありがとうございます! おいしいは、嬉しい。 おいしいは、温かい。 おいしいは、いとおしい。 料理人であり”あやかし”の「剣」は、ある日痩せこけて瀕死の人間の少女を拾う。 少女にとって、剣の作るご飯はすべてが宝物のようだった。 剣は、そんな少女にもっとご飯を作ってあげたいと思うようになる。 人間に「おいしい」を届けたいと思うあやかし。 あやかしに「おいしい」を教わる人間。 これは、そんな二人が織りなす、心温まるふれあいの物語。 ※この作品はエブリスタにも掲載しております。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...