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光の聖女編
7.ある転生者の告白(中編)
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「メイジーさま。ひとつお伺いしたいことがあるのですが」
裏庭に足を踏み入れたところでサイラスは疑問を投げかけた。
「はい、なんでしょう」
「講堂でのことです」
サイラスの言葉に、ぴたりとメイジーの足が止まる。浮かべ直したはずの笑みを引きつらせ、彼女はぎこちなく首を傾げた。
「講堂……。はい、大変お恥ずかしい……。本当にあのころは調子に乗っていたとしか。図々しいお願いで恐縮ではありますが、できれば忘れていただけると」
「あのとき、あなたはゲームと仰いませんでしたか」
問いかけに、メイジーは完全に固まった。
「な、な、なんのことでしょう? ゲームとはいったい」
きょどりと緑の瞳が動く。わかりやすく動揺する彼女を見つめ、サイラスは静かに言葉を重ねた。
「ゲームとは、あなたが主役の乙女ゲームのことです」
光の聖女メイジー・ベルの行動は、たしかに奇異だった。そうして、それは、我に返って反省をしたらしい今現在も。
上流の社交界に馴染んでいない人間の純朴さと評すると響きは良いが、良識のある令嬢であれば、人目の少ない裏庭で異性と会う選択をするはずがない。
そもそもが、いくら「浮かれていた」と言い訳をしたところで、王族を追いかけ回すことを良しとした思考が不自然なのだ。
講堂で切り捨てるまで、ハロルドがわかりやすく苦言を示さなかったことと、数十年ぶりに現れた「光の聖女」という冠で、戸惑いながらも周囲は黙認をしたというだけで。
田舎の男爵家の令嬢が王都に出て浮かれていた、というだけでは理解することの難しい言動の数々は、だが、あくまでもこの世界における奇異である。
取り立てて奇異と映らないだろう世界を、サイラスは知っていた。自分がそうである以上、ほかに同じ人間がいても不思議はないということも。
「ええと、……その」
「頭のおかしい人間の戯言と思われるかもしれませんが、私には前世の記憶があるのです。うっすらとしたものではありますが、ゲームという単語に引っかかりを覚えた理由です」
信頼と確証を得るためと割り切って打ち明けると、緑の瞳が驚きに染まる。
奇妙な人間に対する訝しさにはほど遠い純粋な驚嘆に、サイラスはほほえんだ。
「それと、こちらは失礼かとも思いましたが。あなたの言動は、上流階級の教育に馴染んでいないという理由だけでは括ることのできない違和感があったので、そちらの記憶とこちらの記憶が綯い交ぜになっているのではないかと」
本当に幼いころのことではあるものの、自身も経験した覚えのあることだ。前世の記憶の片鱗を思い出したときの、思考と言動の混乱。見かねた兄から叱責を受けたこともある。
だから、彼女も入学直前に、――光の聖女と呼ばれるようになった時期に思い出したのではないかと踏んだのだ。
サイラスの瞳を見つめて聞き入っていたメイジーは、はい、と小さく頷いた。
「実はそうなのです。私自身、私の頭がおかしくなってしまったのかと疑ったのですが、神殿に呼んでいただき、学園の入学許可をいただいた日の夜に確信しました。この世界は、前世の私がハマっていた乙女ゲームの世界で、私は主役なのだと」
恥ずかしい話です、と。少し前にも聞いた悔恨を彼女が繰り返す。
「その記憶に乗せられ、すっかり舞い上がってしまって。自分が主役の世界なのだから、殿下を追いかけても許してもらえる、好かれるはずと思い込んだのです。ですが、その勘違いをはっきりと切っていただけたことで、憑き物が落ちました」
「いや、それは……」
落としてくれなくてもよかったのだが、という台詞を、サイラスは寸前で呑み込んだ。
自分と同じ記憶、彼と結ばれることが最良との前提を共有しているのであれば、格段に話が早くなると踏んだのに、余計な方向に腹が据わってしまっている。
――まぁ、だが、こちらがなにを言っても無駄だろうな。
慰めと受け取ることが関の山だ。そう判断して口を噤んだサイラスに、メイジーはすっきりとした顔で笑いかけた。
「ですので、自分の言動も改めようと決めたのです。信頼は積み上げるしかありませんから」
「……そうですね」
さすが光の聖女と言わんばかりの笑顔の眩しさに、一拍遅れて苦笑する。その努力が報われ始めていることは、学園に流れる空気でも明らかだ。サイラスにとっても、望んだ変化である。
殿下に対する働きかけも、自分の望む方向に転がってくれるといいのだが。ひっそりと願っていると、メイジーはそわそわと切り出した。
「その、それで、サイラスさまは、はっきりと前世のことを覚えていらっしゃるのですか? こんな話、誰かとできるとは思っていなかったので、うれしくて」
「期待されるほどはっきりとした記憶は持っていないので、申し訳ないのですが。物心がついたころから、薄ぼんやりとした記憶はあったように思います。本当に前世の記憶なのか、長らく確証もなかったのですが」
自分の生きる世界と、薄い膜一枚の隔たりがあるような間隔。
今になって思えば、疎外感という表現が正しかったのかもしれないが。とかく、サイラスは、ずっとそんな感覚を抱いていた。
光の聖女と呼ばれる存在が現れ、殿下を幸せにする。鮮明であるところはその程度の、事実であるのかどうかも不明の記憶。サイラスが持っていたのは、その程度のものだ。だが。
「ただ、あなたが入学された日に、本当だったのだと悟りました。メイジーさま、すべてあなたのおかげです」
この国をさらに豊かにし、ハロルド殿下を幸福に導く、光の聖女。彼女が実在したことに、サイラスは感謝をしている。
裏庭に足を踏み入れたところでサイラスは疑問を投げかけた。
「はい、なんでしょう」
「講堂でのことです」
サイラスの言葉に、ぴたりとメイジーの足が止まる。浮かべ直したはずの笑みを引きつらせ、彼女はぎこちなく首を傾げた。
「講堂……。はい、大変お恥ずかしい……。本当にあのころは調子に乗っていたとしか。図々しいお願いで恐縮ではありますが、できれば忘れていただけると」
「あのとき、あなたはゲームと仰いませんでしたか」
問いかけに、メイジーは完全に固まった。
「な、な、なんのことでしょう? ゲームとはいったい」
きょどりと緑の瞳が動く。わかりやすく動揺する彼女を見つめ、サイラスは静かに言葉を重ねた。
「ゲームとは、あなたが主役の乙女ゲームのことです」
光の聖女メイジー・ベルの行動は、たしかに奇異だった。そうして、それは、我に返って反省をしたらしい今現在も。
上流の社交界に馴染んでいない人間の純朴さと評すると響きは良いが、良識のある令嬢であれば、人目の少ない裏庭で異性と会う選択をするはずがない。
そもそもが、いくら「浮かれていた」と言い訳をしたところで、王族を追いかけ回すことを良しとした思考が不自然なのだ。
講堂で切り捨てるまで、ハロルドがわかりやすく苦言を示さなかったことと、数十年ぶりに現れた「光の聖女」という冠で、戸惑いながらも周囲は黙認をしたというだけで。
田舎の男爵家の令嬢が王都に出て浮かれていた、というだけでは理解することの難しい言動の数々は、だが、あくまでもこの世界における奇異である。
取り立てて奇異と映らないだろう世界を、サイラスは知っていた。自分がそうである以上、ほかに同じ人間がいても不思議はないということも。
「ええと、……その」
「頭のおかしい人間の戯言と思われるかもしれませんが、私には前世の記憶があるのです。うっすらとしたものではありますが、ゲームという単語に引っかかりを覚えた理由です」
信頼と確証を得るためと割り切って打ち明けると、緑の瞳が驚きに染まる。
奇妙な人間に対する訝しさにはほど遠い純粋な驚嘆に、サイラスはほほえんだ。
「それと、こちらは失礼かとも思いましたが。あなたの言動は、上流階級の教育に馴染んでいないという理由だけでは括ることのできない違和感があったので、そちらの記憶とこちらの記憶が綯い交ぜになっているのではないかと」
本当に幼いころのことではあるものの、自身も経験した覚えのあることだ。前世の記憶の片鱗を思い出したときの、思考と言動の混乱。見かねた兄から叱責を受けたこともある。
だから、彼女も入学直前に、――光の聖女と呼ばれるようになった時期に思い出したのではないかと踏んだのだ。
サイラスの瞳を見つめて聞き入っていたメイジーは、はい、と小さく頷いた。
「実はそうなのです。私自身、私の頭がおかしくなってしまったのかと疑ったのですが、神殿に呼んでいただき、学園の入学許可をいただいた日の夜に確信しました。この世界は、前世の私がハマっていた乙女ゲームの世界で、私は主役なのだと」
恥ずかしい話です、と。少し前にも聞いた悔恨を彼女が繰り返す。
「その記憶に乗せられ、すっかり舞い上がってしまって。自分が主役の世界なのだから、殿下を追いかけても許してもらえる、好かれるはずと思い込んだのです。ですが、その勘違いをはっきりと切っていただけたことで、憑き物が落ちました」
「いや、それは……」
落としてくれなくてもよかったのだが、という台詞を、サイラスは寸前で呑み込んだ。
自分と同じ記憶、彼と結ばれることが最良との前提を共有しているのであれば、格段に話が早くなると踏んだのに、余計な方向に腹が据わってしまっている。
――まぁ、だが、こちらがなにを言っても無駄だろうな。
慰めと受け取ることが関の山だ。そう判断して口を噤んだサイラスに、メイジーはすっきりとした顔で笑いかけた。
「ですので、自分の言動も改めようと決めたのです。信頼は積み上げるしかありませんから」
「……そうですね」
さすが光の聖女と言わんばかりの笑顔の眩しさに、一拍遅れて苦笑する。その努力が報われ始めていることは、学園に流れる空気でも明らかだ。サイラスにとっても、望んだ変化である。
殿下に対する働きかけも、自分の望む方向に転がってくれるといいのだが。ひっそりと願っていると、メイジーはそわそわと切り出した。
「その、それで、サイラスさまは、はっきりと前世のことを覚えていらっしゃるのですか? こんな話、誰かとできるとは思っていなかったので、うれしくて」
「期待されるほどはっきりとした記憶は持っていないので、申し訳ないのですが。物心がついたころから、薄ぼんやりとした記憶はあったように思います。本当に前世の記憶なのか、長らく確証もなかったのですが」
自分の生きる世界と、薄い膜一枚の隔たりがあるような間隔。
今になって思えば、疎外感という表現が正しかったのかもしれないが。とかく、サイラスは、ずっとそんな感覚を抱いていた。
光の聖女と呼ばれる存在が現れ、殿下を幸せにする。鮮明であるところはその程度の、事実であるのかどうかも不明の記憶。サイラスが持っていたのは、その程度のものだ。だが。
「ただ、あなたが入学された日に、本当だったのだと悟りました。メイジーさま、すべてあなたのおかげです」
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