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第三章:真夏の恐怖怪談
おばけよりも怖いもの⑥
しおりを挟むちなみに、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、相馬さんになにかしら劇的な変化があったという話は聞いていない。
ただひとつ変化があるとしたら、税務課の謎の紛失物騒動が鳴りを潜めたことだろうか。おまけに、いつのまにか机のなかに失くしたはずのものが入っていたという話もある。
少し前に相馬さんと本館ですれ違ったとき、相馬さんは腕まくりをしていた。直接謝ったわけではないのだろうが、「改心」とやらが少しは進んだらしい。
なんとも言えない顔で睨まれてしまったが、以前のような恐ろしい棘は抜け落ちていたようにも思えた。
まぁ、怖いは怖いに違いはないんだけど。
先輩はというと、クソがそう簡単にクソじゃなくなってたまるかと言って憚らなかったが、それも先輩らしいといえば先輩らしい。
「でも、まぁ、そんなもんですよねぇ」
化け狸のおばあちゃんの家からの帰り道。ぼそりと呟いたあたしに、運転席から先輩が怪訝な視線を向ける。声に出ていたことに気づいて、慌てて言い繕う。
「相馬さんのことです、相馬さんのこと」
「相馬? おまえまだあいつのこと気にしてたのか」
お人よしだなと呆れたように言われて眉を下げる。先輩に言われたくないなぁとも思いながら。
「とりあえずよかったなと思って」
「よかっただ?」
「だって、さすがにお気の毒じゃないですか」
原因はご本人にあっただろうけど、自分の身体に説明できない異常が発現したのから不安だったはずだ。
――まぁ、そもそも、あんな嫌がらせをするなっていう話だし、嫌がらせをした理由がみみっちすぎるとも思ったけど。
繊細で不器用な人なのかもしれない。そう考えることであたしは割り切った。
あたしは、コミュニケーションは処世術だし、自分を守る術だと思っている。おばあちゃんに教えてもらったことだ。情けは人の為ならずというやつでもあるかもしれない。
ちょっとの気遣いでお互いが幸せに暮らせるのなら、それが一番だとも思うし。
「それに、きっと、ちょっとはいい方向に変わるだろうと思いますし」
「あいかわらず幸せな脳みそだな」
「また先輩、人間はくだらないとかクソみたいだとか思ってるでしょう」
七海さんに怒られますよと言えば、むっと口が曲がる。あれだけ横柄な態度を取ってみせるくせに、七海さんには勝てないらしい。
年の離れた従兄弟ってそういうものなのだろうか。残念ながらあたしはおばあちゃん以外の血縁にはあまり会ったことがないのでよくわからない。
だから少しだけ羨ましいなと思う。
「実際クソだらけじゃねぇか。そのなかでもあいつはクソのなかのクソ、クソオブクソだけどな」
心の底からそう思っているのがわかって、笑うに笑えない。クソだらけかぁと先輩の言葉を内心で繰り返して、あたしは「ん?」と首を捻った。
「あの、先輩」
「あ?」
「せ、先輩のなかで、もしかしてあたしもクソだったりします?」
「べつに」
ちらりとあたしのほうを見て、すぐに前に向き直る。いつもと変わらない、不機嫌そうな静かな横顔。
「馬鹿な後輩」
「それ、褒められてるってことでいいんでしょうか」
どちらかと言えば悪口のようにも思えるのだけれど。ドキドキしながら尋ねると、しばらくの間のあとで先輩が「好きにしろよ」とぼやいた。
前方に夕日に照らされた夢守市役所が見えてきた。本館に比べて大きさも人の流れも静かな別館。そこの二階の一番奥。
夢守市役所の墓場とまで言われている、あやかしよろず相談課。
人とあやかしを繋ぐ最後の砦。
そこが今のあたしの、――あたしたちの帰るべき場所なのだ。
運転席を見つめたまま、そうですねとあたしは笑った。
「好きにします」
「本当に図太くなったよな、おまえ」
「えぇ、おかげさまで」
一緒に働く仲間に鍛えられているんですと続けた言葉に返事はない。けれど、むすりと黙り込んだ横顔は、今のあたしの目には照れたように映ってしまう。配属当初のあたしからは考えられないことだ。
「だから、これからもよろしくお願いしますね、先輩」
にこりと駄目押しでほほえむと、呆れたような溜息が返ってきた。そして聞き慣れてしまった声が言う。ぶっきらぼうだけど、どこか優しい声が。
「後輩だからな、面倒だけどしかたねぇ。ビシビシしごいてやるから覚悟しろ」
その言葉に、あたしは「はい!」と元気いっぱい頷いた。
あやかしよろず相談課で、あたしはこれからも精いっぱい働いていく。
この人たちと、この町とあやかしのために。
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