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第三章:真夏の恐怖怪談

おばけよりも怖いもの③

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「せ、先輩」

 なんとも言えない気持ち悪さを覚えて、あたしは縋るように呼んだ。

「なんだよ」
「あ、あの。見間違いならいいんですけど、動いてないですか?」

 震える指で相馬さんの右腕を示す。その瞬間、カッターシャツが内側から押されるように浮き上がった。

「う、嘘ぉ!」

 我慢できずあたしは叫んだ。なにこれ、なにこれ。あやかしっていうよりホラーなんですけど。
 相馬さんは叫んだあたしを罵るどころか、青い顔で立ちすくんでいる。

「百々目鬼って知ってるか?」
「え? いえ、知らないですけど……」
「日本の妖怪だ。昔な、スリばっかりしてた女がいたんだと。いつのまにかその女の腕に鳥の目ができはじめた。その鳥の目はスリをするたびにひとつずつ増えていく。でも女はやめなかった。まぁ、やめれなかったんだな。それで最後には百の目を持つ百々目鬼になっちまったつう話」
「ご、強欲は駄目だっていう話ですかね、それは」

 強欲というか、万引きは駄目だというか。あれ、いや、万引きって依存症的な病気なんだったっけ?
 なんというか教訓のような。そもそも人間が妖怪になれるんだ、みたいな。

 ――って、それって、まさか。

 そこであたしはさらに青くなった。それって、もしかして。まさか。

「おまえはどうなんだろうなぁ。鳥の目がわかっても、やめられなかったのか」

 もしかして、いや、もしかしなくても、相馬さんがその状態だっていうこと?
 相馬さんは蒼白な顔でなにも言わない。それが先輩の指摘の信ぴょう性を爆発的に高めている。

「なぁ、おまえ、最近隠した覚えもないのに、自分のものが失くなってるだろ。このあいだ、こいつが持って行ったおまえの決議書がいい例だ」
「そんなもの、嫌がらせだ」
「嫌がらせ?」

 鼻で笑った先輩が、相馬さんの腕を指す。

「そいつらが自我を持ち始めてんだ。だから、おまえが知らないあいだに、おまえの手を使って盗んでる」

 信じられないことを、さも自然の摂理のように先輩は言った。相馬さんが反論せずに息を呑んだのがわかって、マジかとあたしは絶句した。
 つまりなんだ。すべて心当たりがあるらしい。

 自分がほかの人の持ち物を盗んだことも、相馬さんの持ち物が失くなっていることも。
 うわぁ、マジなのか。でもそれにしても、腕に目ができたら、ふつうもっとビビらないか。そんな疑問が沸く。少ししてから、「あぁ」とやるせなくなった。
 そんなこと、どこにも相談できるわけがない。
 あたしだったら先輩か七海さんに泣きつくけれど、それは、あやかしよろず相談課に在籍しているからだ。そうでなければ、あやかしのことを相談できる知人なんていなかったはずで。

 ――不安だったんじゃないかな。

 苦手だ苦手だと思っていた人だけれど、状況を想像すると気の毒に思えてしまった。

 相馬さんが、おもむろに右の袖を捲り始める。徐々に露わになっていくそれを目の当たりにして、あたしは声にならない悲鳴を上げた。
 そこにあったのは、想像していた以上におびただしい数の「目」だった。きょろきょろと好き勝手に視線を動かしている、意思を持った生きた「目」。

「せ、先輩、あれ」
「だから目だって言っただろ」

 驚きも恐れもない調子で、うんざりと先輩が吐き捨てる。その腕をあたしは引っ張った。

「ど、どうにかならないんですか。というか、あれ、ふつうに起こるものなんですか?」

 完全にてんぱったあたしと、袖を捲ったまま沈黙している相馬さんとを見比べて、先輩が溜息交じりに言う。

「ふつうに生きてたらそうそう起こらないだろうよ。今までのそいつの悪行が溜まり過ぎて溢れたんだろ。知るか」
「し、知るかって」
「そもそも、こいつがなにしここに来てたと思ってるんだ。てめぇが盗ったもんをわざわざうちに隠しに来たんだぞ。俺になにしろってんだよ」

 それはそうかもしれないけど、でも、と縋ろうとするより早く、たまりかねたように相馬さんが喚いた。

「ふざけるな! 困っている相手を助けるのは当たり前だろう。本当にここは最悪な人間しかいない掃き溜めだな!」

 あなたが言いますか、それをと思ったが、似たことを先輩も思っていたらしい。完全に呆れ切った声で言い放つ。
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