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第二章:白狐と初恋

あたしの恋の話②

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 もう一度、すみませんと繰り返すと、先輩が呆れたようにひとつ息を吐いた。そして、水を向け直してくれた。

「ついでに、もうひとつ聞きてぇんだけど」
「はい」
「もし、そのガキが、まったく覚えてなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「……話せばわかると思ってました」
「性善説の塊みてぇな脳みそだな」

 呆れ切った声に肩を縮こまらせる。自分でも馬鹿な子どもみたいなことを言った自覚はある。考えなしと言われても否定はできない。でも。
 心のうちでだけ、あたしは反論した。
 だって、寂しいじゃないか。誰もが悪人だと思いながら過ごす世界は。同じ世界に生きるのなら、あたしは優しい世界で生きていたい。

「まぁ、だから、あれもおまえのことを気に入ったんだろうけどな」
「え?」
「あの狐だ。だけどな、あれがどれだけ幼い見た目をしてようが、その本性は、俺たちとは一線を画す存在なんだ。前にも言ったと思うけどな、それを自覚しないのは、ただの傲慢だ。平等だとかなんだとか、そういう上っ面のきれいな言葉で誤魔化すな」

 ぐさりとその言葉はあたしの胸に突き刺さった。「でも」と言い募ることは、とてもではないができない。
 はい、と小さく頷く。また沈黙が流れた。あたしはその沈黙のなかで、ふと入庁してすぐのころのできごとを思い出していた。あたしの窓口対応について、有海さんが指導してくれたときのことだ。

 三崎ちゃんの思いやりが深いところはいいところだと思うのだけどねと。優しく諭してくれた有海さんの笑顔。
 行政には行政が手を出してはいけない一線があるの。ちゃんとその線引きを覚えないうちは、仕事とは言えないわよ。
 プライベートの時間を使ってまで介入することは褒められるべきことではないの。適切な支援策を提案することは私たちの大切な仕事だけれど、あなたの個人的なお金を差し出して「これでどうぞ」と言うのはまったく違うでしょう? 少し大げさな言い方をしたけれど、そういうことだと私は思うわ。

 あたしはまた、あたしの勝手で、その一線を飛び越えてしまったのかもしれない。

「あいつらと俺たちは対等じゃない」
「……はい」
「お互いの領域を侵犯しないようにして、なんとか共存してるだけだ」
「はい」

 もう一度、あたしは頷いた。もっと勉強しようと思った。そして、もっとたくさんのことに触れて、誠実な仕事をできるようになりたい。

「まぁ、明日も会いに行くんだ。だから、それで十分だ」

 はた目にもへこんでいたのか、先輩が珍しくそんな励ますようなことを言う。その優しさがくすぐったくて、あたしも笑ってみせた。もっと知りたいと改めて思った。先輩の考えていることや、思っていることを。
 わかりにくいけれど、先輩はやっぱりとても優しい。
 そしてその優しさが向けられているのはあたしだけではない。たぶんだけど、あたしたちだけはなくあやかしにも平等に向けられているのだと思う。
 どういう生き方をしてきたら、こんなふうになれるのだろう。あたしは数日前の七海さんの言葉を思い出していた。

 面倒だけれど、悪い子じゃないだろう? あんなふうになってしまった原因の一端は僕にあってね。
 きみを推薦したのは――。

 あたしが知っていた、高校生の最上先輩という人は、とても静かできれいな人だった。
 特定の誰かとつるむこともなく、ひとり静かに本を読んでいることが似合うような、そんな人。けれど集団から浮いているかというとそうでもなくて、ただゆっくりと水の流れに身を浸しているような。不思議な空気感を持っている人だった。
 高校生の男子にしては、落ち着いた人でもあった。今の先輩を知ると、あれはなんだったのだと思ってしまうけれど、とかくあの当時の先輩はそういう人だったのだ。おまけにあの見た目だったので、後輩からの支持は絶大だった。
 と言っても、先輩に突撃をしかけるような猛者はいなかった。みんなどこか気後れしてしまっていたのだ。ただ目の保養として眺めて勝手に楽しむだけ。手の届かない、言っちゃなんだがアイドルのような人。
 だから、きっと、誰も、先輩の内面なんて知らなかったのだと思う。それはもちろん、あたしも含めて。
 そんなあたしだけれど、実は一度だけ高校生の先輩と話したことがある。
 七海さんからその話を聞くまで、先輩が覚えている――いや、その当時にたまたま七海さんに話しただけで、今は覚えていない可能性のほうが高いし、そもそもその当時の後輩があたしだと認識してもらえているとは思えないけれど――とは知らなかったけれど。
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