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第一章:ようこそ「あやかしよろず相談課」
プロローグ①
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いいかい、はな。 この夢守の町はね、はるか昔からあやかしと人間が共に歩んできた特別な場所なんだ。だから彼らを決してないがしろにしてはいけないよ。
これが、あたしを育ててくれたおばあちゃんが、よく話してくれた昔語りだ。昔語りというよりはおとぎ話、あるいは伝承というほうが正しいのかもしれないけれど。
夢守の町のことを話すおばあちゃんの横顔はとても幸せそうで、だからあたしもおばあちゃんが大切に思っている夢守の町を大好きになった。
この町のために働きたい。そう決めて高校卒業後に市役所に勤め始めて、早三年。
夢守の町に関わり続けることのできる仕事。地域の人々のためになる仕事。いつでも誰かを笑顔にできる仕事。なんてことを働き出す前は夢を見ていたものだ。夢と希望に満ち満ちた女子高生だったのだ。
……まぁ、現実はそう甘くないということは、この三年で十二分に身に染みたわけだけれど。
「なんなんだ、この保険料は!」
怒声と一緒にカウンターを平手で叩いた音が、本館一階のフロアに響き渡った。近くを通りかかった人のぎょっとした視線を存分に感じながら、あたしは笑顔で武装する。
「二ヵ月前に、原野さまが税の修正申告をされましたよね。それに伴いまして、保険料も再計算いたしました。その結果が今回の通知になります」
「そんなこと、こっちは税務署で聞いてないんだよ! なんで修正したら保険料まで上がるんだ、先月は市民税も上がりやがった! ただでさえ高いのに、また追加で一万六千円も払えだぁ?」
「はい。前年度の所得に基づいて計算しますので。一括でのお支払いが難しいようでしたら分納のご相談はさせていただきますが」
にこにこと、この三年で磨きのかかった笑顔で同じ説明を繰り返す。こちらに落ち度がないことでむやみに謝りはしない。
急に保険料の追納の通知がきて驚かれましたよね。税務署の窓口でそういった説明がなかったのなら申し訳ありませんが、保険料決定通知を送付する際に、前年の所得に応じて算出する旨も、所得の修正申告により保険料が変更になることがある旨もお伝えしているかと思いますが。
すごまれようが、ごねられようが、決定した金額は変わらないのだ。修正内容に間違いがなかったことは確認済みである。
暖簾に腕押しの攻防を続けること、約十分。折れたのは原野さんだった。
「あー、もう、わかった、わかった! 払ってやらぁ!」
乱雑にカウンターに置かれたお札をつり銭トレーに移し替えて、ありがとうございますと頭を下げる。
「すみませーん、鈴木さん。一緒に金額チェックしてもらっていいですか」
手すきの先輩に声をかけて、預かったばかりの現金と納付書とをダブルチェックしてもらう。これ以上怒らせないように、できるだけ速やかに済ませたい。
「うん、オッケー。大丈夫。大変だったね」
納付書に出納印を押しながら眉を下げる。怒鳴られようがなんだろうが、その場で払ってくれるだけいいお客さんだ。
ありがとうございましたと告げて、カウンターに戻る。領収書をお釣りを受け取った原野さんが、忌々しそうな舌打ちを残して帰っていく。その背をお辞儀で見送って、あたしはふぅと一息ついた。
あの程度なら随分とましな部類だけれど、神経を削られないわけではない。
「お疲れさまだったね、三崎ちゃん」
自席に戻ると、斜め前の席から鈴木さんが労ってくれた。
「いやぁ、まぁ、でもすんなり払っていただけましたから」
かわいいものですよと言う代わりに曖昧にほほえむ。国民健康保険課に配属されたばかりのころは怒鳴られるたびに半泣きだったが、今や心臓は鉄でコーティングされている。
笑顔にするどころか、怒鳴られることのほうが多いようにさえ思える窓口業務なのだ。慣れなければやってられない。
「三崎ちゃんも強くなったよね。でも、次の春で三崎ちゃん四年目でしょ? そろそろ異動になってもおかしくないよね」
「そうですね。去年もちらほら異動になった同期はいましたし」
「だよね。そういう時期だよね。三崎ちゃんに出て行かれると困っちゃうけど。でも、三崎ちゃんは異動したいとかないの? 窓口ないところがいいとか」
「いやぁ、まだここでいいですよ、あたし」
へらりとあたしは笑った。同期の新年会でも、みんな口々に異動の心配をしていたなぁ、と思いながら。
市役所は三、四年のスパンで異動になることが多く、次の春で四年目になるあたしたちは、明日発表の人事異動が気が気でないのだ。
「そんなこと言って。どうする? 三崎ちゃん、もし『よろ相』に飛ばされたら」
市役所の墓場と呼び称されているよろず相談課の略称を口にした鈴木さんを、「まさかぁ」とあたしは笑い飛ばした。
まさかそんな墓場に飛ばされるようなことはないだろう。
「ご心配なく。きっと来年もここにいますよ、あたし」
なんの根拠もないが、自信満々にあたしは言い切った。めったと人が配属にならない代わりに一度配属になったら退職するまで異動がないともっぱらの評判で、やっている事業内容もいまひとつ謎なよろず相談課。
まさかそんなところに飛ばされるわけがない。謎の自信に満ちたまま胸を張る。国民健康保険課も市役所内のなかでも当たりの悪い配属先だと言われることはあるけれど、忙しくも人間関係良好のここはあたしの性に合っていた。
だから、いつか異動になることはあるだろうけれど、もう少しここにいたいなぁと思っている。秋にあった所属長面談のときにもあたしはそう伝えている。もちろんあたしの一存ですべてが決まるわけはないけれど。
――でも、それでも、「よろ相」ってことは絶対にないと思うけどね。
そう結論付けて、ぱっと席を立つ。うちの課を目指してきたらしい来庁者と目が合ったからだ。
人当たりだけはいいと評判の笑顔を張り付けて、あたしは「こんにちは、どこかお探しですか」と声をかけた。
これが、あたしを育ててくれたおばあちゃんが、よく話してくれた昔語りだ。昔語りというよりはおとぎ話、あるいは伝承というほうが正しいのかもしれないけれど。
夢守の町のことを話すおばあちゃんの横顔はとても幸せそうで、だからあたしもおばあちゃんが大切に思っている夢守の町を大好きになった。
この町のために働きたい。そう決めて高校卒業後に市役所に勤め始めて、早三年。
夢守の町に関わり続けることのできる仕事。地域の人々のためになる仕事。いつでも誰かを笑顔にできる仕事。なんてことを働き出す前は夢を見ていたものだ。夢と希望に満ち満ちた女子高生だったのだ。
……まぁ、現実はそう甘くないということは、この三年で十二分に身に染みたわけだけれど。
「なんなんだ、この保険料は!」
怒声と一緒にカウンターを平手で叩いた音が、本館一階のフロアに響き渡った。近くを通りかかった人のぎょっとした視線を存分に感じながら、あたしは笑顔で武装する。
「二ヵ月前に、原野さまが税の修正申告をされましたよね。それに伴いまして、保険料も再計算いたしました。その結果が今回の通知になります」
「そんなこと、こっちは税務署で聞いてないんだよ! なんで修正したら保険料まで上がるんだ、先月は市民税も上がりやがった! ただでさえ高いのに、また追加で一万六千円も払えだぁ?」
「はい。前年度の所得に基づいて計算しますので。一括でのお支払いが難しいようでしたら分納のご相談はさせていただきますが」
にこにこと、この三年で磨きのかかった笑顔で同じ説明を繰り返す。こちらに落ち度がないことでむやみに謝りはしない。
急に保険料の追納の通知がきて驚かれましたよね。税務署の窓口でそういった説明がなかったのなら申し訳ありませんが、保険料決定通知を送付する際に、前年の所得に応じて算出する旨も、所得の修正申告により保険料が変更になることがある旨もお伝えしているかと思いますが。
すごまれようが、ごねられようが、決定した金額は変わらないのだ。修正内容に間違いがなかったことは確認済みである。
暖簾に腕押しの攻防を続けること、約十分。折れたのは原野さんだった。
「あー、もう、わかった、わかった! 払ってやらぁ!」
乱雑にカウンターに置かれたお札をつり銭トレーに移し替えて、ありがとうございますと頭を下げる。
「すみませーん、鈴木さん。一緒に金額チェックしてもらっていいですか」
手すきの先輩に声をかけて、預かったばかりの現金と納付書とをダブルチェックしてもらう。これ以上怒らせないように、できるだけ速やかに済ませたい。
「うん、オッケー。大丈夫。大変だったね」
納付書に出納印を押しながら眉を下げる。怒鳴られようがなんだろうが、その場で払ってくれるだけいいお客さんだ。
ありがとうございましたと告げて、カウンターに戻る。領収書をお釣りを受け取った原野さんが、忌々しそうな舌打ちを残して帰っていく。その背をお辞儀で見送って、あたしはふぅと一息ついた。
あの程度なら随分とましな部類だけれど、神経を削られないわけではない。
「お疲れさまだったね、三崎ちゃん」
自席に戻ると、斜め前の席から鈴木さんが労ってくれた。
「いやぁ、まぁ、でもすんなり払っていただけましたから」
かわいいものですよと言う代わりに曖昧にほほえむ。国民健康保険課に配属されたばかりのころは怒鳴られるたびに半泣きだったが、今や心臓は鉄でコーティングされている。
笑顔にするどころか、怒鳴られることのほうが多いようにさえ思える窓口業務なのだ。慣れなければやってられない。
「三崎ちゃんも強くなったよね。でも、次の春で三崎ちゃん四年目でしょ? そろそろ異動になってもおかしくないよね」
「そうですね。去年もちらほら異動になった同期はいましたし」
「だよね。そういう時期だよね。三崎ちゃんに出て行かれると困っちゃうけど。でも、三崎ちゃんは異動したいとかないの? 窓口ないところがいいとか」
「いやぁ、まだここでいいですよ、あたし」
へらりとあたしは笑った。同期の新年会でも、みんな口々に異動の心配をしていたなぁ、と思いながら。
市役所は三、四年のスパンで異動になることが多く、次の春で四年目になるあたしたちは、明日発表の人事異動が気が気でないのだ。
「そんなこと言って。どうする? 三崎ちゃん、もし『よろ相』に飛ばされたら」
市役所の墓場と呼び称されているよろず相談課の略称を口にした鈴木さんを、「まさかぁ」とあたしは笑い飛ばした。
まさかそんな墓場に飛ばされるようなことはないだろう。
「ご心配なく。きっと来年もここにいますよ、あたし」
なんの根拠もないが、自信満々にあたしは言い切った。めったと人が配属にならない代わりに一度配属になったら退職するまで異動がないともっぱらの評判で、やっている事業内容もいまひとつ謎なよろず相談課。
まさかそんなところに飛ばされるわけがない。謎の自信に満ちたまま胸を張る。国民健康保険課も市役所内のなかでも当たりの悪い配属先だと言われることはあるけれど、忙しくも人間関係良好のここはあたしの性に合っていた。
だから、いつか異動になることはあるだろうけれど、もう少しここにいたいなぁと思っている。秋にあった所属長面談のときにもあたしはそう伝えている。もちろんあたしの一存ですべてが決まるわけはないけれど。
――でも、それでも、「よろ相」ってことは絶対にないと思うけどね。
そう結論付けて、ぱっと席を立つ。うちの課を目指してきたらしい来庁者と目が合ったからだ。
人当たりだけはいいと評判の笑顔を張り付けて、あたしは「こんにちは、どこかお探しですか」と声をかけた。
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