77 / 82
笑う門には福来る
24:時東悠 1月29日1時14分 ②
しおりを挟む
灯りに誘われるように居間に近づいた時東だったが、襖に手をかける寸前でためらってしまった。
けれど、どうせ足音でバレているに違いない。そう言い聞かせて、息を吐く。隙間から漏れる光は、正しく誘蛾灯だった。
「南さん」
小さく声をかけて、襖を引く。やはり気がついていたのだろう。さして驚いたふうでもなく、南がノートパソコンから顔を上げた。珍しいなと思いながら、勝手に正面に座る。そのことに南はなにも言わなかった。静かに時東の存在を容認し、手元に視線を戻す。カチカチという文字を打つ音。
南さんもパソコンなんてするんだなぁ、なんて言えば、おまえは俺をなんだと思っているのかと渋い顔をされるのだろう。そんなことを想像しながら、ぼんやりと口を開く。
「起きてたんだ」
「明日、店は休みにしたし。月末だからいろいろとやっておこうかと」
「帳簿?」
「そう。親父がやってたころは基本的に母親が付けてたらしいんだけど。いざ再開するってなったときに、ぜんぜんわかんねぇし、はじめて確定申告するときは本当に困った」
「南さんにもできないこと、あるんだ」
ぽつりと呟けば、断続的に響いていた音が止まった。
「あたりまえだろうが。今だって面倒だから嫌いだよ。でも、そうも言ってられねぇし。外の先生に頼むとそれはそれで金もかかるし。まぁ、でも、俺が生きて生活していくために必要なことだから」
パソコンを閉じて、南が時東に視線を向けた。邪魔をしていることはわかっていたけれど離れがたくて、「そうなんだ」と相槌を打つ。
生きていくために必要なこと。俺にとって必要なことは、譲れないことは、なんだったのだろう。夢の続きのように、そんなことを考える。だから、南がどんな顔で自分を見ていたのかわかっていなかった。
「時東」
呼ばれて、黙考から覚める。
「なに?」
長年の癖で張り付けた笑顔にか、物言いたそうな雰囲気は感じ取ったものの、気がつかない振りを押し通す。しばらくのあと、南が口にしたのは、取り繕った表情への指摘ではない、だが、予想外のものだった。
「おまえ、夜にギター弾きたかったら弾いてもいいからな」
「え? でも、迷惑でしょ」
「べつに。隣の家までも距離あるし。あそこのばあちゃん、耳遠いし」
「そういう問題なの」
「春風も昔はよくここで弾いてたけど」
なんで、また、その名前が出てくるかなぁ。苛立ちを呑み込んで、「そうなんだ」と同じ相槌を繰り返す。今はとりわけ聞きたくなかった。
「中学かそれくらいのころの話だけどな」
だから聞きたくないんだってば、そんな話。駄々をこねたい衝動を誤魔化して、笑う。
「今も昔も仲良いんだね、想像できる気もするけど」
「うちの親父に明日の朝も早いのに煩いって怒鳴られて、ふたりで河原に移動したら補導されそうになった」
「もっと怒られたんじゃないの、それ。お父さんに」
「その警官も近所のおっちゃんだったからな。次はないからなでお目こぼし貰ったけど」
時東がギターにはじめて触れたのは、中学校に入学したときだ。時東が夢中になった魔法をはじめて見せてくれたのは、「親友」だった。
楽しくて、楽しくて、ずっとそれが続くのだと漠然と信じていた。そんな、馬鹿みたいなことを、ずっと。ずっと。あの日まで。あの瞬間まで。
「もし南さんは春風さんがいなくなったらどうする?」
ぽろりと零れた問いかけが失言だったと悟ったのは、空気が変わった気がしたからだった。
「あぁ、その、死んじゃうとかそういうことじゃなくて。そういうことじゃなくても、人の縁が切れることはあるでしょう」
「想像できねぇな」
慌てて補足した時東の顔をじっと見つめ、南は答えた。いつもどおりの声。
「あいつとはずっと一緒にいる気がする」
「ずっとって」
曖昧なそれに、時東は失笑した。子どもじゃあるまいし。いつまでも一緒だなんて言える年じゃ、もうないくせに。
「あいつも前に半ば冗談で言ってたんだけどな。俺の店でも手伝いながら、一緒に暮らすかって」
「え……?」
「それはないだろって言ったんだけど。まぁ、つまり、そういう感覚なんだろうな。家族というか、なんというか」
失笑すらできなかった。黙り込んだ時東の反応をどう取ったのか、南が小さく息を吐いた。
けれど、どうせ足音でバレているに違いない。そう言い聞かせて、息を吐く。隙間から漏れる光は、正しく誘蛾灯だった。
「南さん」
小さく声をかけて、襖を引く。やはり気がついていたのだろう。さして驚いたふうでもなく、南がノートパソコンから顔を上げた。珍しいなと思いながら、勝手に正面に座る。そのことに南はなにも言わなかった。静かに時東の存在を容認し、手元に視線を戻す。カチカチという文字を打つ音。
南さんもパソコンなんてするんだなぁ、なんて言えば、おまえは俺をなんだと思っているのかと渋い顔をされるのだろう。そんなことを想像しながら、ぼんやりと口を開く。
「起きてたんだ」
「明日、店は休みにしたし。月末だからいろいろとやっておこうかと」
「帳簿?」
「そう。親父がやってたころは基本的に母親が付けてたらしいんだけど。いざ再開するってなったときに、ぜんぜんわかんねぇし、はじめて確定申告するときは本当に困った」
「南さんにもできないこと、あるんだ」
ぽつりと呟けば、断続的に響いていた音が止まった。
「あたりまえだろうが。今だって面倒だから嫌いだよ。でも、そうも言ってられねぇし。外の先生に頼むとそれはそれで金もかかるし。まぁ、でも、俺が生きて生活していくために必要なことだから」
パソコンを閉じて、南が時東に視線を向けた。邪魔をしていることはわかっていたけれど離れがたくて、「そうなんだ」と相槌を打つ。
生きていくために必要なこと。俺にとって必要なことは、譲れないことは、なんだったのだろう。夢の続きのように、そんなことを考える。だから、南がどんな顔で自分を見ていたのかわかっていなかった。
「時東」
呼ばれて、黙考から覚める。
「なに?」
長年の癖で張り付けた笑顔にか、物言いたそうな雰囲気は感じ取ったものの、気がつかない振りを押し通す。しばらくのあと、南が口にしたのは、取り繕った表情への指摘ではない、だが、予想外のものだった。
「おまえ、夜にギター弾きたかったら弾いてもいいからな」
「え? でも、迷惑でしょ」
「べつに。隣の家までも距離あるし。あそこのばあちゃん、耳遠いし」
「そういう問題なの」
「春風も昔はよくここで弾いてたけど」
なんで、また、その名前が出てくるかなぁ。苛立ちを呑み込んで、「そうなんだ」と同じ相槌を繰り返す。今はとりわけ聞きたくなかった。
「中学かそれくらいのころの話だけどな」
だから聞きたくないんだってば、そんな話。駄々をこねたい衝動を誤魔化して、笑う。
「今も昔も仲良いんだね、想像できる気もするけど」
「うちの親父に明日の朝も早いのに煩いって怒鳴られて、ふたりで河原に移動したら補導されそうになった」
「もっと怒られたんじゃないの、それ。お父さんに」
「その警官も近所のおっちゃんだったからな。次はないからなでお目こぼし貰ったけど」
時東がギターにはじめて触れたのは、中学校に入学したときだ。時東が夢中になった魔法をはじめて見せてくれたのは、「親友」だった。
楽しくて、楽しくて、ずっとそれが続くのだと漠然と信じていた。そんな、馬鹿みたいなことを、ずっと。ずっと。あの日まで。あの瞬間まで。
「もし南さんは春風さんがいなくなったらどうする?」
ぽろりと零れた問いかけが失言だったと悟ったのは、空気が変わった気がしたからだった。
「あぁ、その、死んじゃうとかそういうことじゃなくて。そういうことじゃなくても、人の縁が切れることはあるでしょう」
「想像できねぇな」
慌てて補足した時東の顔をじっと見つめ、南は答えた。いつもどおりの声。
「あいつとはずっと一緒にいる気がする」
「ずっとって」
曖昧なそれに、時東は失笑した。子どもじゃあるまいし。いつまでも一緒だなんて言える年じゃ、もうないくせに。
「あいつも前に半ば冗談で言ってたんだけどな。俺の店でも手伝いながら、一緒に暮らすかって」
「え……?」
「それはないだろって言ったんだけど。まぁ、つまり、そういう感覚なんだろうな。家族というか、なんというか」
失笑すらできなかった。黙り込んだ時東の反応をどう取ったのか、南が小さく息を吐いた。
12
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい
梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
【完結】浄化の花嫁は、お留守番を強いられる~過保護すぎる旦那に家に置いていかれるので、浄化ができません。こっそり、ついていきますか~
うり北 うりこ
ライト文芸
突然、異世界転移した。国を守る花嫁として、神様から選ばれたのだと私の旦那になる白樹さんは言う。
異世界転移なんて中二病!?と思ったのだけど、なんともファンタジーな世界で、私は浄化の力を持っていた。
それなのに、白樹さんは私を家から出したがらない。凶暴化した獣の討伐にも、討伐隊の再編成をするから待つようにと連れていってくれない。 なんなら、浄化の仕事もしなくていいという。
おい!! 呼んだんだから、仕事をさせろ!! 何もせずに優雅な生活なんか、社会人の私には馴染まないのよ。
というか、あなたのことを守らせなさいよ!!!!
超絶美形な過保護旦那と、どこにでもいるOL(27歳)だった浄化の花嫁の、和風ラブファンタジー。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
このたび、小さな龍神様のお世話係になりました
一花みえる
キャラ文芸
旧題:泣き虫龍神様
片田舎の古本屋、室生書房には一人の青年と、不思議な尻尾の生えた少年がいる。店主である室生涼太と、好奇心旺盛だが泣き虫な「おみ」の平和でちょっと変わった日常のお話。
☆
泣き虫で食いしん坊な「おみ」は、千年生きる龍神様。だけどまだまだ子供だから、びっくりするとすぐに泣いちゃうのです。
みぇみぇ泣いていると、空には雲が広がって、涙のように雨が降ってきます。
でも大丈夫、すぐにりょーたが来てくれますよ。
大好きなりょーたに抱っこされたら、あっという間に泣き止んで、空も綺麗に晴れていきました!
真っ白龍のぬいぐるみ「しらたき」や、たまに遊びに来る地域猫の「ちびすけ」、近所のおじさん「さかぐち」や、仕立て屋のお姉さん(?)「おださん」など、不思議で優しい人達と楽しい日々を過ごしています。
そんなのんびりほのぼのな日々を、あなたも覗いてみませんか?
☆
本作品はエブリスタにも公開しております。
☆第6回 キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました! 本当にありがとうございます!
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
夜食屋ふくろう
森園ことり
ライト文芸
森のはずれで喫茶店『梟(ふくろう)』を営む双子の紅と祭。祖父のお店を受け継いだものの、立地が悪くて潰れかけている。そこで二人は、深夜にお客の家に赴いて夜食を作る『夜食屋ふくろう』をはじめることにした。眠れずに夜食を注文したお客たちの身の上話に耳を傾けながら、おいしい夜食を作る双子たち。また、紅は一年前に姿を消した幼なじみの昴流の身を案じていた……。
(※この作品はエブリスタにも投稿しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる