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笑う門には福来る
22:時東悠 1月26日12時25分 ①
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――なぁんか、また、煮詰まってんなぁ。
隠さずに溜息を押し出し、時東は弦から指先を離した。「缶詰に来てもいい?」とやってきた直後。まったくなにも浮かばなかった自宅よりは、いくらかメロディラインが浮かぶようになった、と。ほっとしたころが懐かしい。
「煙草」
吸いたいなぁ、と探そうとして、持ち込まなかったことを思い出した。
自宅の防音室に籠っていたころの時東は、岩見に心配されるレベルで消費していたものの、普段はヘビースモーカーではない。まして、ここは人さまの家のわけで。いくら良いと言われても、吸うつもりはなかったのだ。
「……まぁ、南さんは、なにも言わないだろうけど」
吸いもしないのに窓辺に寄って、窓を開ける。凛とした冬の風が肌を射ったけれど、煮詰まっていた頭にはちょうど良かった。
この家、禁煙じゃないから。吸いたかったら吸っていいよ。春風もよく縁側で吹かしてるから。
缶詰に来た当初に、南に言われた台詞だ。ありがとうございます。ついでに、そんな些細なことでも当たり前のように春風さんの名前が出てくるんですね。なんて思ったものだった。もちろん言わなかったけど。そんなみっともない上に、意味の分からない嫉妬のようなことは。
ふぅと切り替えるように息を吐き、時東は眼下を見下ろした。雪は降り止んでいるが、ところどころ白が残っている。いつだったか南が手を入れていた田畑に、その奥に見える南食堂の屋根。
午前中に出ていったきり、南はまだ帰ってきていない。自分しかいない家は、ひどく静かだった。
――なんで、ここだったら、曲がつくれるような気がしたんだっけ。
あのとき見えた気がした答えの片鱗は、またどこか遠くに行ってしまったようだ。それでも、かたちだけでも音を鳴らしたほうがいい。
そう決めて窓を閉めようとした、正にそのとき。細い私道を上る軽トラックが視界に入った。珍しいなと思っているうちに、家の前に止まる。
「あれ」
降りてきた人影に、思わず声が漏れた。春風だ。彼の家がどこなのかは知らないが、南の家に徒歩以外の手段で来たところを見たことははじめてだった。そうして助手席からもうひとり。
なにが楽しいのか、軒先にたどり着くまでの短い距離をじゃれるように並んで歩いている。自分には絶対に見せてくれない顔。
――幼馴染み、ねぇ。
二十云年一緒に育って、信頼し合って。それは、時東にはまったく想像のつかない絆だった。あるいは、想像さえもしたくない関係性。今度こそ窓を閉めて、ギターの前に戻る。
春風の顔を見たのは、東京で話したあの日以来だった。
[22:時東悠 1月26日12時25分]
――そんなこと聞いて、どうするの?
馬鹿にしているふうでもなく、悠然と春風がほほえむ。それが、意を決して尋ねた時東への、自分にはないすべてを持つ男の返事だった。
――逆に考えてみてよ、時東くん。もし、俺があいつを、きみの言うところの「好き」だったとしたらさ、今のきみを許してると思う?
それって結局、自分が本気になったら、きみの出る幕なんでございませんよ、ってことなんだろうな。悶々とした気分のまま、時東はまたひとつ溜息をこぼした。ほかに人がいれば鬱陶しいと顔をしかめられるだろうが、誰もいないのでかまわないだろう。
でも、べつに、とも思う。「このまま」を維持するつもりがあるのなら、そんなことはどうでもいいことだ。
そもそもとして、過ごした時間の長さも密度もなにもかもが異なる相手なのだ。同じ土俵で張り合えるとも思えない。それで――。
「幼馴染みか」
ぽつりとひとりごちた瞬間、ふたつの顔が浮かびそうになった。必死になって押し戻す。笑い合っていた期間のほうがずっと長いはずなのに、過るのはそうでない顔ばかりだ。どうせ蘇るなら、笑えよ。それもできないなら、一生出てくるな。
呪詛のように心の内で吐き捨て、「駄目だ」と頭を振る。
「あー……、なんなんだろうな、これ」
なんで、ずっと考えないようにしていたことまで、ふつふつと湧き上がるのだろう。
抱えるだけになっていたギターを脇に置いて、前髪をかきやる。曲ができあがる気はいっさいしなかったし、仮にできたとしてもろくなものではないに違いない。
ときおり階下から聞こえてくる声が、いやに胸を突いた。
隠さずに溜息を押し出し、時東は弦から指先を離した。「缶詰に来てもいい?」とやってきた直後。まったくなにも浮かばなかった自宅よりは、いくらかメロディラインが浮かぶようになった、と。ほっとしたころが懐かしい。
「煙草」
吸いたいなぁ、と探そうとして、持ち込まなかったことを思い出した。
自宅の防音室に籠っていたころの時東は、岩見に心配されるレベルで消費していたものの、普段はヘビースモーカーではない。まして、ここは人さまの家のわけで。いくら良いと言われても、吸うつもりはなかったのだ。
「……まぁ、南さんは、なにも言わないだろうけど」
吸いもしないのに窓辺に寄って、窓を開ける。凛とした冬の風が肌を射ったけれど、煮詰まっていた頭にはちょうど良かった。
この家、禁煙じゃないから。吸いたかったら吸っていいよ。春風もよく縁側で吹かしてるから。
缶詰に来た当初に、南に言われた台詞だ。ありがとうございます。ついでに、そんな些細なことでも当たり前のように春風さんの名前が出てくるんですね。なんて思ったものだった。もちろん言わなかったけど。そんなみっともない上に、意味の分からない嫉妬のようなことは。
ふぅと切り替えるように息を吐き、時東は眼下を見下ろした。雪は降り止んでいるが、ところどころ白が残っている。いつだったか南が手を入れていた田畑に、その奥に見える南食堂の屋根。
午前中に出ていったきり、南はまだ帰ってきていない。自分しかいない家は、ひどく静かだった。
――なんで、ここだったら、曲がつくれるような気がしたんだっけ。
あのとき見えた気がした答えの片鱗は、またどこか遠くに行ってしまったようだ。それでも、かたちだけでも音を鳴らしたほうがいい。
そう決めて窓を閉めようとした、正にそのとき。細い私道を上る軽トラックが視界に入った。珍しいなと思っているうちに、家の前に止まる。
「あれ」
降りてきた人影に、思わず声が漏れた。春風だ。彼の家がどこなのかは知らないが、南の家に徒歩以外の手段で来たところを見たことははじめてだった。そうして助手席からもうひとり。
なにが楽しいのか、軒先にたどり着くまでの短い距離をじゃれるように並んで歩いている。自分には絶対に見せてくれない顔。
――幼馴染み、ねぇ。
二十云年一緒に育って、信頼し合って。それは、時東にはまったく想像のつかない絆だった。あるいは、想像さえもしたくない関係性。今度こそ窓を閉めて、ギターの前に戻る。
春風の顔を見たのは、東京で話したあの日以来だった。
[22:時東悠 1月26日12時25分]
――そんなこと聞いて、どうするの?
馬鹿にしているふうでもなく、悠然と春風がほほえむ。それが、意を決して尋ねた時東への、自分にはないすべてを持つ男の返事だった。
――逆に考えてみてよ、時東くん。もし、俺があいつを、きみの言うところの「好き」だったとしたらさ、今のきみを許してると思う?
それって結局、自分が本気になったら、きみの出る幕なんでございませんよ、ってことなんだろうな。悶々とした気分のまま、時東はまたひとつ溜息をこぼした。ほかに人がいれば鬱陶しいと顔をしかめられるだろうが、誰もいないのでかまわないだろう。
でも、べつに、とも思う。「このまま」を維持するつもりがあるのなら、そんなことはどうでもいいことだ。
そもそもとして、過ごした時間の長さも密度もなにもかもが異なる相手なのだ。同じ土俵で張り合えるとも思えない。それで――。
「幼馴染みか」
ぽつりとひとりごちた瞬間、ふたつの顔が浮かびそうになった。必死になって押し戻す。笑い合っていた期間のほうがずっと長いはずなのに、過るのはそうでない顔ばかりだ。どうせ蘇るなら、笑えよ。それもできないなら、一生出てくるな。
呪詛のように心の内で吐き捨て、「駄目だ」と頭を振る。
「あー……、なんなんだろうな、これ」
なんで、ずっと考えないようにしていたことまで、ふつふつと湧き上がるのだろう。
抱えるだけになっていたギターを脇に置いて、前髪をかきやる。曲ができあがる気はいっさいしなかったし、仮にできたとしてもろくなものではないに違いない。
ときおり階下から聞こえてくる声が、いやに胸を突いた。
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