夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第十一話

63.

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「待たせてすまなかったな。お、なんだ。佐野もいたのか」
「早目に着いてしまっただけなので。佐野に相手をしてもらっていましたから」

 優等生然とした受け応えは、いかにも富原らしくかつてのキャプテンらしい。

「佐野はどうした。佐倉のことか? この間、話したこと以外に気になることでもあったのか」
「あ、いえ。今週は部活に顔を出さない日があるので、その連絡がてら」
「なに、構わん。地区予選も始まるから、週末に駆り出すことになって申し訳ないが」
「そうか。もうそんな時期ですか」
「だから頼んだんだ。来月からはインターン杯の予選だ。いい景気付けになると思ってな」

 深山の掲げる目標は、全国大会出場だ。ちなみに昨年は県予選ベスト4、一昨年はベスト8だった。
 三年にとっては最後のインターン杯になる。年明けに選手権があるから、引退はまだ先の話にはなるけれど。

「この間も言ったが、佐倉はスタメンでの起用はしないつもりだ。今の状態では、ろくなことにならないだろうからな」
「監督」
「今までもいくらでもチャンスはあっただろう。それでも変わらないと言うのなら、仕方がない」

 溜息ひとつで監督が肩をすくめる。話し合いの場を設けたのは、つい先日の話だ。
 打っても響かない態度に、直近に迫ったインターン杯予選。戦力から除外されるのも致し方ない話だとも思う。

 ――ただ。

「その子って、佐野が珍しく面倒を看ていた?」
「……珍しくは余計だ」
「年も近いし、良い相談相手になるかとも思ったんだが。折原には苦い顔をされてしまったが」
「あぁ、それで」

 嫌に意味深なそれに、思わず富原に視線を向ける。

「大変ですね、監督も」

 余計なことを言うなとのそれが通じたのか、深入りをするつもりもなかったのか。有り体な受け応えで終えた富原に、少なからずほっとして、そのまま席を立つ。

「すみません、監督。俺は先に失礼します」
「そうか。もうそんな時間か」
「ホームルームは一応、顔を出さないといけないので。また部活も途中からになるとは思いますが、顔を出します」
「そうしてやれ。おまえ、折原が来た時にはあまり見てやってなかっただろう」

 俺の方まで見ていなくて良いのにと思う、視野の広さだ。その広さがあるからこそ、「監督」であるのだろうけれど。
 俺に見られると緊張するなんて富原は口にしていたが、そんな可愛い心臓をしているわけがない。なんだかんだで十年以上付き合っているのだ。良くも悪くも。

「そうだ、佐野」

 入れ違いに外に出ようとしたところを呼び止められて、脚を止める。

「折原はもう向こうに帰ったのか」
「あぁ、……はい」

 なんで富原ではなく俺が知っていると思われているのかと思わなくもなかったが、無用な藪は突かないことにして、事実として応じる。

「でも、また来週の頭には戻ってくると言っていましたけどね」

 深山に顔を出すかどうかは知らないが。監督が声をかけて時間が許せば足を向けるかもしれないが、二回も顔を出せばOBとして十分だろう。
 海の向こうは、オフシーズンだ。リハビリの兼ね合いでこちらで調整をしていたらしいが、最終的には本拠地で合わせるだろうし、どちらにしろ、今のこの時期を過ぎれば、長く日本に留まることもないだろう。
 あちらで外せない予定があるだとかで、折原が文字通り慌ただしく飛び立って行ったのは、あの翌々日のことだった。とんぼ返りのように戻ってくると言っていたけれど、今の内だけしかここに居られないと分かっているからだと思う。
 シーズンが始まれば、それこそ戻ってくることも早々なくなるのだろうけれど。


 一雨ありそうな、厚い雲が広がり始めている。そう言えば、午後からの降水確率は六〇パーセントと朝の天気予報で言っていた。この分だと、今日は体育館での練習になるかもしれない。
 昔は、雨が嫌いだった。サッカーに明け暮れていたころは、純粋に外で出来ないことが不満だったし、怪我をしてしばらくは、傷が痛んだ。
 ままならない自分への苛立ちもあったが、痛みに触発されるように過去を思い出す自分の未練が嫌だった。今はさすがに、余程調子が悪くなければ痛むこともないし、部活の顧問なんて、過去を思い出すばかりのことをしていても、感情が揺らぐことはない。
 そうなって当たり前だと思うだけの時間が経って、なお。当人を目の当たりにした瞬間に、捨てられないと思ったのだから、……だから、そう言うことなのだろう。

 校舎に入るまでの短い距離で、ぽつぽつと降り出した雨で衣服が濡れる。手で水分をはたくと、キーケースに当たったのか、短い金属音が響いた。

 ――ここの鍵、先輩に預けても良いですか。

 そう、折原が言ったのは、一線を越したあの日の朝だった。おまえの妹と遭遇したらどうしてくれるんだよ、と。半分以上、断る名目でそう言った俺に、大丈夫ですとさも簡単に折原は請け負った。
 もともと、俺がフリーの間だけ貸してやるって言う約束だったんで、返してもらっておきますから、と、笑って。
 だから、これは先輩に持っていて欲しいんです、と。繰り返されると、断れるはずもなかった。手の中に落ちてきた重みに、ふと思い出したのは、大学生だったころ。気まぐれに渡した合鍵をひどく嬉しそうに受け取った、折原の笑顔だった。


 ――あいつだって、不安がないわけがないだろう。

 富原が言っていたそれを繰り返す。言葉にすると当たり前なのかもしれないが、今一つ、しっくりとこない自分がいる。
 それも富原が言った通りで、俺がずっとうだうだとしようもないことばかりを口にしていたから、あいつはそんな素振りすら見せることができないでいたのかもしれない。

 不安。
 不安、か。
 その言葉に押されるようにして頭に浮かんだのは、深山を出る最後の日の光景だった。

 だって、そこに先輩はいないじゃないですか。
 そう言い募った折原の背を押したのは、間違いなくあの日の俺で、それが正しかったはずなのに、十年近く経って、俺はあの当時の折原が言っていた「そこ」に自分が立つことを選んだ。
 だとすれば、折原は満足してくれているのだろうか。折原が後悔することはないのだろうか。
 そもそもとして、折原の人生に後悔などと言う言葉が飛来することがあるのかと。想像することさえ難しい。
 そこまで考えて、富原の言っていたことは、こう言うことなのだろうと思った。
 同じ土台に立っていないと、続くわけがない。良い関係を築けるわけがない。
 俺は、折原のことを昔から知っていると思うのと同じくらい、どこか別世界の人間だと思っているのかもしれなかった。

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