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第七話
39.
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【第三部】
サッカー部専用グラウンドからは、十年前と変わらない生徒たちの白球を追う声が響き渡っていた。
寮は少し前に改修があったらしく、内部は自分たちが過ごしていたころからすると信じられないくらい綺麗になっていたが、生徒の質は――中には例外もいるが――あまり変わっていないように思う。
中・高時代を過ごした深山に新任採用され、高等部で教鞭をとるようになってから二回目の春だった。
レギュラー陣が紅白戦に勤しんでいる専用グラウンドの隣では、まだ体が出来上がっていない一年生の集団がストレッチに取り組んでいた。
監督から整理してくれと渡された仮入部の届出書は百近くありそうだったが、一か月後の本入部の際は半分も残っていないんだろうな、と目を細める。
続けることだけが正解ではないと、今は心の底からそう思える。特にこの子達のように選択肢の幅が広がっている時期なら、なおさら。
「あ、先生!」
フェンス越しに練習を見つめていると、紅白戦の終了の笛が鳴った。俺に気が付いたらしい時枝が愛想よく近づいてきた。
「今日は? 練習入んないの?」
「今から職員会議。終わり掛けに間に合うか怪しいから今日はなしだって、朝言っただろ」
「そうだったっけ、忘れた」
新体制になって以来キャプテンを一任されている時枝は、おおらかでチームメイトからも信を得ている選手だ。
監督の主将選びの基準が俺たちのころから変わっていないのか、ゴールキーパーとはどこか皆共通した空気を持っているのか。どことなく富原を連想させるところがあって、それが少し微笑ましくも懐かしい。
今では富原も日本代表に名前を連ねることもある著名な選手だ。
「時枝。あいつは?」
「えー、なんだ。会議までの合間に様子見に来てくれたと思ったら、そっち?」
「おまえら全員見に来てんだよ。足りなかったから聞いただけだ」
不貞腐れたポーズを消した時枝が「佐倉なら無断欠席だって、今日も」と肩をすくめた。
「またか、あいつ」
「だから「また」なんだって。何が不満なのか俺には分かりませんけど」
「……」
「天才様が考えてることは俺にはさっぱりなんですけど。頼むから出場停止になるような問題起こさないで欲しいんだけどなー……って、げっ。噂をすれば」
嫌そうに顔をしかめた時枝の視線を追って振り返ると、ちょうど校舎から件の人物が出てきたところだった。と言っても、着崩した制服姿は、練習に加わると言う気はなさそうではある。
「上手いから監督もなんだかんだで甘目に見てるし。あいつ、ホント、訳分かんねぇ。俺だったら、あれだけ才能あったらもっともっと打ち込むのに」
吐き出された時枝の愚痴は、このフィールド上にいる選手たちの本音だろう。
佐倉はちらりともグラウンドを見ることもなく、校門へと向かっていく。才能だけは一級品。協調性にやや難あり。
それが二年前、深山学園高等部に編入してきた折の佐倉の前評判だった。
「才能がある奴からしたら、必死に練習に打ち込んでる俺らが馬鹿に見えんのかな、あれ」
「……時枝」
「でも先生もさ、思わなかった? 先生ってウチのOBでしょ。しかもウチの全盛期の一軍メンバー。いたでしょ、天才」
含みのある時枝の台詞に否応なしに思い出されるのは、一人の後輩だった。
十年に一人の逸材。
深山の歴史の中でも、間違いなく1番か2番に名前が挙がるだろう名選手。
――折原、藍。
「ま、そら、いたな。でも大丈夫だ、時枝。安心していい。努力してしがみ付ける奴の方が強いよ」
本当に怖いのは、努力を積み重ねることができる不屈の天才だと思う。
それこそ、あの当時の折原のような。
ほんの少し安心したように笑んで、時枝はチームメイトたちの元へと戻っていった。
その長身が輪の中に入り込むのを見届けて、背を向ける。
いつか時枝も大人になって、この時間を、仲間たちを、懐かしく思い出すようになるんだろう。
そのときに胸に閊えるものが少しでも少なければいいのにと、思う。
それは、――佐倉もだ。
切れ長の黒い瞳に、いつも詰まらなさそうな色を点している問題児のことを考えるのは、教師としてなかなかに頭が痛いものではあるのだけれど。
あいつに、ライバルになるような、理解者になれるような選手がいれば違ったのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら会議室へと向かう最中、ふと思い出したのは、昔、あの後輩が漏らしていたものだった。
――俺は、佐野先輩がいなかったらサッカーが嫌いになっていたかもしれない。
そんなことあるわけがないと当時は一蹴していたし、今もそうだと思っている。
けれど、――と、思うのだ。
俺には理解できない、「天才」であったあいつの葛藤はそこにあったのかもしれない。
と言っても、それもすべて昔の話ではあるのだけれど。
サッカー部専用グラウンドからは、十年前と変わらない生徒たちの白球を追う声が響き渡っていた。
寮は少し前に改修があったらしく、内部は自分たちが過ごしていたころからすると信じられないくらい綺麗になっていたが、生徒の質は――中には例外もいるが――あまり変わっていないように思う。
中・高時代を過ごした深山に新任採用され、高等部で教鞭をとるようになってから二回目の春だった。
レギュラー陣が紅白戦に勤しんでいる専用グラウンドの隣では、まだ体が出来上がっていない一年生の集団がストレッチに取り組んでいた。
監督から整理してくれと渡された仮入部の届出書は百近くありそうだったが、一か月後の本入部の際は半分も残っていないんだろうな、と目を細める。
続けることだけが正解ではないと、今は心の底からそう思える。特にこの子達のように選択肢の幅が広がっている時期なら、なおさら。
「あ、先生!」
フェンス越しに練習を見つめていると、紅白戦の終了の笛が鳴った。俺に気が付いたらしい時枝が愛想よく近づいてきた。
「今日は? 練習入んないの?」
「今から職員会議。終わり掛けに間に合うか怪しいから今日はなしだって、朝言っただろ」
「そうだったっけ、忘れた」
新体制になって以来キャプテンを一任されている時枝は、おおらかでチームメイトからも信を得ている選手だ。
監督の主将選びの基準が俺たちのころから変わっていないのか、ゴールキーパーとはどこか皆共通した空気を持っているのか。どことなく富原を連想させるところがあって、それが少し微笑ましくも懐かしい。
今では富原も日本代表に名前を連ねることもある著名な選手だ。
「時枝。あいつは?」
「えー、なんだ。会議までの合間に様子見に来てくれたと思ったら、そっち?」
「おまえら全員見に来てんだよ。足りなかったから聞いただけだ」
不貞腐れたポーズを消した時枝が「佐倉なら無断欠席だって、今日も」と肩をすくめた。
「またか、あいつ」
「だから「また」なんだって。何が不満なのか俺には分かりませんけど」
「……」
「天才様が考えてることは俺にはさっぱりなんですけど。頼むから出場停止になるような問題起こさないで欲しいんだけどなー……って、げっ。噂をすれば」
嫌そうに顔をしかめた時枝の視線を追って振り返ると、ちょうど校舎から件の人物が出てきたところだった。と言っても、着崩した制服姿は、練習に加わると言う気はなさそうではある。
「上手いから監督もなんだかんだで甘目に見てるし。あいつ、ホント、訳分かんねぇ。俺だったら、あれだけ才能あったらもっともっと打ち込むのに」
吐き出された時枝の愚痴は、このフィールド上にいる選手たちの本音だろう。
佐倉はちらりともグラウンドを見ることもなく、校門へと向かっていく。才能だけは一級品。協調性にやや難あり。
それが二年前、深山学園高等部に編入してきた折の佐倉の前評判だった。
「才能がある奴からしたら、必死に練習に打ち込んでる俺らが馬鹿に見えんのかな、あれ」
「……時枝」
「でも先生もさ、思わなかった? 先生ってウチのOBでしょ。しかもウチの全盛期の一軍メンバー。いたでしょ、天才」
含みのある時枝の台詞に否応なしに思い出されるのは、一人の後輩だった。
十年に一人の逸材。
深山の歴史の中でも、間違いなく1番か2番に名前が挙がるだろう名選手。
――折原、藍。
「ま、そら、いたな。でも大丈夫だ、時枝。安心していい。努力してしがみ付ける奴の方が強いよ」
本当に怖いのは、努力を積み重ねることができる不屈の天才だと思う。
それこそ、あの当時の折原のような。
ほんの少し安心したように笑んで、時枝はチームメイトたちの元へと戻っていった。
その長身が輪の中に入り込むのを見届けて、背を向ける。
いつか時枝も大人になって、この時間を、仲間たちを、懐かしく思い出すようになるんだろう。
そのときに胸に閊えるものが少しでも少なければいいのにと、思う。
それは、――佐倉もだ。
切れ長の黒い瞳に、いつも詰まらなさそうな色を点している問題児のことを考えるのは、教師としてなかなかに頭が痛いものではあるのだけれど。
あいつに、ライバルになるような、理解者になれるような選手がいれば違ったのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら会議室へと向かう最中、ふと思い出したのは、昔、あの後輩が漏らしていたものだった。
――俺は、佐野先輩がいなかったらサッカーが嫌いになっていたかもしれない。
そんなことあるわけがないと当時は一蹴していたし、今もそうだと思っている。
けれど、――と、思うのだ。
俺には理解できない、「天才」であったあいつの葛藤はそこにあったのかもしれない。
と言っても、それもすべて昔の話ではあるのだけれど。
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