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第二話
11.
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「先輩、俺ね」
少しの間の後、静かに折原が呼びかけた。
「俺、あのころからずっと、先輩からくる球はどんなコースでも、全部とりたかったんだ。先輩からのパスは、なんかいろんなものが詰まってるような気がしてた。だから絶対決めたかった。それで先輩が褒めてくれるのが嬉しかった」
折原の言葉につられるようにして脳裏に浮かんだのは、ゴールを決めた直後の折原の笑顔だった。
いつも折原は球がゴールに吸い込まれると、振り返って俺を探していた。目が合うと心底嬉しそうに破顔して、飛びついてくる。
その姿を指して、他の奴らは「褒めて褒めて」ってしっぽ振ってる大型犬みたいだとからかっていたけれど。
「でも、もうねぇよ」
断ち切るように吐き出した言葉は、思った以上に重たい響きを伴っていた。
「俺は、あんな風にもう蹴れねぇし、おまえと一緒に試合に出ることなんて絶対ねぇし」
「でも、別に本格的な試合じゃなくたって、俺は先輩と一緒だったら……」
訴えるように続きそうだった言葉を、俺は「折原」と一声呼んで遮った。
もうないのは、サッカーだけじゃない。
それはきっと折原も分かっていたはずなのに、なんでこんな馬鹿みたいなことを言い募るのか。
「もうねぇよ、無理。あんな長い時間走れねぇし、おまえとは違うんだって」
だからなにも期待するなと言外に匂わした。でも、こいつはそれだって理解していたはずだ。
もうそこだから、適当に降ろしてと告げて、そっと目を伏せた。
なんで今更、そんなことを言うんだよ、おまえは。
この三年、一切何の連絡も取っていなかっただろうが。それでお互い、なんの不都合もなかったはずなのに。
懐かしさと言うその一点で、掻きまわそうと思うのなら、止めて欲しい。
俺は、望んでいない。なにも、望んではいない。
ウインカーが光って、路肩に停車する。そのまますぐ降りてしまうつもりだったのに、「先輩」と呼びかけられた声を、無視することができなかった。
諦めて視線を転じさせると、ハンドルに肘をついて伏せていた折原と視線が絡んだ。
「あのころの俺と先輩を繋いでたものって、先輩にしたらサッカーがほとんどだったでしょ?」
違った? と、どことなく困った風な顔で折原が笑う。
「そりゃ、そうだろ。してなかったら、そもそもおまえのことなんて知らなかっただろうし、生活の9割サッカーだったじゃん、あのころは」
朝から夜までサッカー漬けの学生生活だった。サッカー部専用の寮にいたことも相まって、本当に年中同じメンバーでつるんでいたように思う。サッカーを通してできた関わりで、全てだった。
「そうかもしんないっすけど、少なくとも俺はそれだけじゃなかったですよ」
切ないような目で折原が見ているのは、あのころの記憶なんだろうか。
なんだかなと思いながら、ゆるく頭を振る。
「俺はそんなほかのこと考えてる余裕なんてなかったからな」
「そう言うんじゃなくて……っつか嫌だな、先輩、絶対分かってるくせに、そうやっていっつもはぐらかすんだもん」
あぁもうだからさ、と。折原がもう一度先輩と強く俺を呼んだ。逃げるなとでも乞うように。
「あのときも、先輩は俺になにも言わせてくれなかったけど。……俺も言えなかったけど、でも、今くらいかわいい後輩の話、最後まで聞いてくれてもいいじゃないですか」
茶化す色を残しながらも、折原はひどく真剣な瞳で俺を見ていた。反らせないのはいったい何の引力なんだろう。
「先輩との話はどうやったってサッカーが挟まってくるから、サッカーの話にしちゃいましたけど、でも、俺はそうじゃなくて」
いや勿論サッカーも大事なんですけどねと一度視線を落として、「でも」とまた強い眼がこちらを捕らえた。
昔から変わらないように思う、実力に裏打ちされた強者のそれは、俺にはどうしたって手に入らないものだった。
「俺は先輩と普通に会いたい」
はっきり示されたそれは、どういう意味でとらえれば良かったのか。
言いあぐねている間に、折原はどこまでも本気なんだという顔で、声で、続けるから。
「普通に喋って会って、関係を作りたい。サッカーなんてなくても」
――止めてほしいと、心底思った。
おまえにとって、これがただの気紛れなんだと。懐かしい先輩の顔をひさしぶりに見たから構いに来ただけなのだと、言い訳できなくなりそうになるじゃねぇか。
俺が吐いたため息をどうとったのか、引き留めてすいませんと折原が声音を緩めた。
そして「これ」とチケットを押しつけてきた。掌に握らされたそれは今度行われる国際試合のもので。
今の時期にこれはちょっとプレミアですよと笑いながら折原が口にした続きは、俺には重いものだったけれど。
「先輩はさ、あのころの俺しか知らないでしょ。俺があのころの先輩しか知らないのと同じで。だから今の俺を見てよ」
「折……」
「ね、約束。見に来てくださいよ」
そう言ってにこっと人懐こい顔で笑われると、俺はなにも言えなくて。チケットを押し返すこともできないまま、降りてしまったのだった。
俺が立ち止ったままだなんて、折原に言われなくても自分が一番よく分かっている。
でもそれで変えていくための踏ん切りがいつも付けきれないでいる。
止まったままでいたいのは、やたらと愛しくあのころを思い出してしまうのは、折原がいたからだとでも言うんだろうか。
今と違って、まだ俺にも見ることが出来る夢があって、同じように仲間がいて、すぐそばで折原が笑っていたからだとでも言うのだろうか。
だとしたら本当にどうしようもないと、そう自嘲することしか出来なかった。
少しの間の後、静かに折原が呼びかけた。
「俺、あのころからずっと、先輩からくる球はどんなコースでも、全部とりたかったんだ。先輩からのパスは、なんかいろんなものが詰まってるような気がしてた。だから絶対決めたかった。それで先輩が褒めてくれるのが嬉しかった」
折原の言葉につられるようにして脳裏に浮かんだのは、ゴールを決めた直後の折原の笑顔だった。
いつも折原は球がゴールに吸い込まれると、振り返って俺を探していた。目が合うと心底嬉しそうに破顔して、飛びついてくる。
その姿を指して、他の奴らは「褒めて褒めて」ってしっぽ振ってる大型犬みたいだとからかっていたけれど。
「でも、もうねぇよ」
断ち切るように吐き出した言葉は、思った以上に重たい響きを伴っていた。
「俺は、あんな風にもう蹴れねぇし、おまえと一緒に試合に出ることなんて絶対ねぇし」
「でも、別に本格的な試合じゃなくたって、俺は先輩と一緒だったら……」
訴えるように続きそうだった言葉を、俺は「折原」と一声呼んで遮った。
もうないのは、サッカーだけじゃない。
それはきっと折原も分かっていたはずなのに、なんでこんな馬鹿みたいなことを言い募るのか。
「もうねぇよ、無理。あんな長い時間走れねぇし、おまえとは違うんだって」
だからなにも期待するなと言外に匂わした。でも、こいつはそれだって理解していたはずだ。
もうそこだから、適当に降ろしてと告げて、そっと目を伏せた。
なんで今更、そんなことを言うんだよ、おまえは。
この三年、一切何の連絡も取っていなかっただろうが。それでお互い、なんの不都合もなかったはずなのに。
懐かしさと言うその一点で、掻きまわそうと思うのなら、止めて欲しい。
俺は、望んでいない。なにも、望んではいない。
ウインカーが光って、路肩に停車する。そのまますぐ降りてしまうつもりだったのに、「先輩」と呼びかけられた声を、無視することができなかった。
諦めて視線を転じさせると、ハンドルに肘をついて伏せていた折原と視線が絡んだ。
「あのころの俺と先輩を繋いでたものって、先輩にしたらサッカーがほとんどだったでしょ?」
違った? と、どことなく困った風な顔で折原が笑う。
「そりゃ、そうだろ。してなかったら、そもそもおまえのことなんて知らなかっただろうし、生活の9割サッカーだったじゃん、あのころは」
朝から夜までサッカー漬けの学生生活だった。サッカー部専用の寮にいたことも相まって、本当に年中同じメンバーでつるんでいたように思う。サッカーを通してできた関わりで、全てだった。
「そうかもしんないっすけど、少なくとも俺はそれだけじゃなかったですよ」
切ないような目で折原が見ているのは、あのころの記憶なんだろうか。
なんだかなと思いながら、ゆるく頭を振る。
「俺はそんなほかのこと考えてる余裕なんてなかったからな」
「そう言うんじゃなくて……っつか嫌だな、先輩、絶対分かってるくせに、そうやっていっつもはぐらかすんだもん」
あぁもうだからさ、と。折原がもう一度先輩と強く俺を呼んだ。逃げるなとでも乞うように。
「あのときも、先輩は俺になにも言わせてくれなかったけど。……俺も言えなかったけど、でも、今くらいかわいい後輩の話、最後まで聞いてくれてもいいじゃないですか」
茶化す色を残しながらも、折原はひどく真剣な瞳で俺を見ていた。反らせないのはいったい何の引力なんだろう。
「先輩との話はどうやったってサッカーが挟まってくるから、サッカーの話にしちゃいましたけど、でも、俺はそうじゃなくて」
いや勿論サッカーも大事なんですけどねと一度視線を落として、「でも」とまた強い眼がこちらを捕らえた。
昔から変わらないように思う、実力に裏打ちされた強者のそれは、俺にはどうしたって手に入らないものだった。
「俺は先輩と普通に会いたい」
はっきり示されたそれは、どういう意味でとらえれば良かったのか。
言いあぐねている間に、折原はどこまでも本気なんだという顔で、声で、続けるから。
「普通に喋って会って、関係を作りたい。サッカーなんてなくても」
――止めてほしいと、心底思った。
おまえにとって、これがただの気紛れなんだと。懐かしい先輩の顔をひさしぶりに見たから構いに来ただけなのだと、言い訳できなくなりそうになるじゃねぇか。
俺が吐いたため息をどうとったのか、引き留めてすいませんと折原が声音を緩めた。
そして「これ」とチケットを押しつけてきた。掌に握らされたそれは今度行われる国際試合のもので。
今の時期にこれはちょっとプレミアですよと笑いながら折原が口にした続きは、俺には重いものだったけれど。
「先輩はさ、あのころの俺しか知らないでしょ。俺があのころの先輩しか知らないのと同じで。だから今の俺を見てよ」
「折……」
「ね、約束。見に来てくださいよ」
そう言ってにこっと人懐こい顔で笑われると、俺はなにも言えなくて。チケットを押し返すこともできないまま、降りてしまったのだった。
俺が立ち止ったままだなんて、折原に言われなくても自分が一番よく分かっている。
でもそれで変えていくための踏ん切りがいつも付けきれないでいる。
止まったままでいたいのは、やたらと愛しくあのころを思い出してしまうのは、折原がいたからだとでも言うんだろうか。
今と違って、まだ俺にも見ることが出来る夢があって、同じように仲間がいて、すぐそばで折原が笑っていたからだとでも言うのだろうか。
だとしたら本当にどうしようもないと、そう自嘲することしか出来なかった。
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