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4:魔法使いと弟子の永遠
93.誰も知らない ⑥
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「愛していたさ」
十八で時が止まっているのだという顔で、アシュレイが笑う。
そのころの彼と同じ時を生きたかったと、テオバルドは父を羨んだ。自分ももう十八を通り抜けてしまった。ずっと大きかったはずの彼は、今や自分よりもずっと小さなものに見える。
「友人として、ただずっと」
「……友人として」
「それだけだ。おまえやエレノアが気に病むようなことはなにもないとおまえに誓おう」
かつて、幾度となく聞いた言い回しだった。目の前の自分を裏切ることはしないという彼の誓いは、まっすぐでどこまでも優しいと思っていた。でも。
「イーサンは、エレノアを選んだ。そうして、おまえが生まれた。それだけが真実で、ほかはなにもない」
幼子に言い聞かせる調子で、アシュレイが続ける。それもまた昔よく聞いた響きだった。ふたりきりの、この箱庭で。あの日々はテオバルドにとってたしかに幸福の象徴だった。そうして、それは今も。
解いていたはずの手のひらを、またきゅっと握りしめる。
「そうだろう?」
なにも言えなくなったのは、得心したからではない。アシュレイの瞳がただただ優しかったからだ。
――あなたがなにも知らないのは、父に操を立てていたからですか。
もとより、口にできるはずのない問いだったのだ。テオバルドはそっと目を伏せた。
自分と父はなにが違うのだろう。父の魔力がたとえ枯れていなかったとしても、自分のほうが強かっただろう。自慢ではないが、自分のほうが見目も良いだろう。
けれど、そういうことではないのだ。この人にとっては、それはひとつも優劣の材料にならない。父はただ父であるだけで彼の唯一で、自分はただ父の息子でしかなかった。
そのことを改めて突きつけられた心地だった。
この人の一番になりたい。
思えば、この感情を恋だとも知らないうちから、そう願っていたのかもしれない。アシュレイのことが好きだった。優しくて不器用な、偉大な魔法使い。テオバルドだけの師匠。どれだけ努力を積み重ねても、触れることひとつできない。
「そうですね」
屈託を呑み込んで、テオバルドは精いっぱいの弟子の顔でほほえんだ。そうするほかなかったからだ。
「余計なことを聞きました。忘れてください」
「テオバルド。エレノアも、イーサンも、もちろん俺も。みなおまえのことを愛している。なによりも、誰よりも」
やたらと真面目な顔でアシュレイが言う。その顔から再び視線を外して、よく彼が夜の色だと言った髪をくしゃりとかき混ぜた。表情を隠したまま、呟く。
「知ってます」
そうでなければ、きっと、ここまで悩むことはなかっただろうと思いながら。
「明後日、発ちます。その前に、話せてよかった」
本音なのか、建前なのか。自分でもわからないことを、テオバルドは言った。ふっとアシュレイが瞳を笑ませる。何度も見た、大好きな優しい笑顔。
「おまえなら、絶対に大丈夫だ。安心して行けばいい」
絶対に大丈夫という言葉のおかしさには気がつかないまま、はい、とテオバルドは頷いた。
「戻ったら、また酒でもご一緒させてください」
「今から王都には戻れないだろう。泊まっていったらどうだ」
「いえ、実家に帰ります」
席を立とうとしたところを引き留められて、けれど、テオバルドはきっぱりと断った。
ほんのわずか驚いたふうに緑の瞳が揺れる。そんなことには心が揺れるのかと笑いたくなった。だから、嫌なのだ。付け入る隙があると勘違いしたくなる。
背を向けて、扉を開ける直前。テオバルドは顔を見ないまま告げた。この人が知る気のなかっただろう、本心を。
「あなたの言うとおり、もう子どもではないので、ここには泊まれません」
たぶん、それが、今の自分に言えるすべてだった。
十八で時が止まっているのだという顔で、アシュレイが笑う。
そのころの彼と同じ時を生きたかったと、テオバルドは父を羨んだ。自分ももう十八を通り抜けてしまった。ずっと大きかったはずの彼は、今や自分よりもずっと小さなものに見える。
「友人として、ただずっと」
「……友人として」
「それだけだ。おまえやエレノアが気に病むようなことはなにもないとおまえに誓おう」
かつて、幾度となく聞いた言い回しだった。目の前の自分を裏切ることはしないという彼の誓いは、まっすぐでどこまでも優しいと思っていた。でも。
「イーサンは、エレノアを選んだ。そうして、おまえが生まれた。それだけが真実で、ほかはなにもない」
幼子に言い聞かせる調子で、アシュレイが続ける。それもまた昔よく聞いた響きだった。ふたりきりの、この箱庭で。あの日々はテオバルドにとってたしかに幸福の象徴だった。そうして、それは今も。
解いていたはずの手のひらを、またきゅっと握りしめる。
「そうだろう?」
なにも言えなくなったのは、得心したからではない。アシュレイの瞳がただただ優しかったからだ。
――あなたがなにも知らないのは、父に操を立てていたからですか。
もとより、口にできるはずのない問いだったのだ。テオバルドはそっと目を伏せた。
自分と父はなにが違うのだろう。父の魔力がたとえ枯れていなかったとしても、自分のほうが強かっただろう。自慢ではないが、自分のほうが見目も良いだろう。
けれど、そういうことではないのだ。この人にとっては、それはひとつも優劣の材料にならない。父はただ父であるだけで彼の唯一で、自分はただ父の息子でしかなかった。
そのことを改めて突きつけられた心地だった。
この人の一番になりたい。
思えば、この感情を恋だとも知らないうちから、そう願っていたのかもしれない。アシュレイのことが好きだった。優しくて不器用な、偉大な魔法使い。テオバルドだけの師匠。どれだけ努力を積み重ねても、触れることひとつできない。
「そうですね」
屈託を呑み込んで、テオバルドは精いっぱいの弟子の顔でほほえんだ。そうするほかなかったからだ。
「余計なことを聞きました。忘れてください」
「テオバルド。エレノアも、イーサンも、もちろん俺も。みなおまえのことを愛している。なによりも、誰よりも」
やたらと真面目な顔でアシュレイが言う。その顔から再び視線を外して、よく彼が夜の色だと言った髪をくしゃりとかき混ぜた。表情を隠したまま、呟く。
「知ってます」
そうでなければ、きっと、ここまで悩むことはなかっただろうと思いながら。
「明後日、発ちます。その前に、話せてよかった」
本音なのか、建前なのか。自分でもわからないことを、テオバルドは言った。ふっとアシュレイが瞳を笑ませる。何度も見た、大好きな優しい笑顔。
「おまえなら、絶対に大丈夫だ。安心して行けばいい」
絶対に大丈夫という言葉のおかしさには気がつかないまま、はい、とテオバルドは頷いた。
「戻ったら、また酒でもご一緒させてください」
「今から王都には戻れないだろう。泊まっていったらどうだ」
「いえ、実家に帰ります」
席を立とうとしたところを引き留められて、けれど、テオバルドはきっぱりと断った。
ほんのわずか驚いたふうに緑の瞳が揺れる。そんなことには心が揺れるのかと笑いたくなった。だから、嫌なのだ。付け入る隙があると勘違いしたくなる。
背を向けて、扉を開ける直前。テオバルドは顔を見ないまま告げた。この人が知る気のなかっただろう、本心を。
「あなたの言うとおり、もう子どもではないので、ここには泊まれません」
たぶん、それが、今の自分に言えるすべてだった。
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