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1:箱庭の森
11.幾度目かの春のこと ③
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「なぁ、アシュレイ」
静かな声に、アシュレイはわずかに首を傾げた。
妙に生真面目な顔をしていたからだ。そういう表情をしていると、テオバルドと少し似ているかもしれない。その似た顔で、イーサンが口火を切る。
「おまえが息子を迎え入れてくれたこと、本当に感謝してる」
「なんなんだ、急に」
「あいつには、おまえが必要だった」
笑ったアシュレイと裏腹に、イーサンは表情を崩さなかった。返す言葉に迷って、無言で酒を呷る。そんなもの、と呆れ半分で思う。
言うつもりはない。イーサンが知る必要もない。けれど、かつての一時期、自分にとってなにより必要だった者はおまえだったのだ。
空けたグラスをテーブルに置く。もう一度薄い笑みを浮かべると、イーサンもようやく真面目を崩した。
「まぁ、それに、おまえのとんでもない生活も、多少は人並みになったようだしな」
からかう調子で、イーサンが目を細める。
「俺の息子さまさまだろう」
まったくそのとおりだったので、苦笑いにしかならなかった。
魔法書に夢中になって夜を明かさない。朝になったら起きて、きちんと食事を取る。小うるさい弟子だが、何年も欠かさず言われてしまえば、多少はさすがに正される。
テオバルドのほうを見やったイーサンが、「それに」とどこか呟くように言った。
「大魔法使いさまのずぼらも、とうとう改めたらしいな。そっちは少し驚いた」
イーサンに倣って、ちらりと弟子に視線を送る。
日常のこともすべて魔法で片づけようとするアシュレイの悪癖を、イーサンがよく思っていなかったことは知っている。改めたらどうだと言われたこともある。
聞き流していたのは、自分ひとりの暮らしだったからだ。今はテオバルドがいる。だから、やめたのだ。
魔力に頼りすぎることは、慣れすぎることは、決して正しいことではない。
「まぁ、そのくらいはな」
「そのくらい、か。俺からすると、なかなかの心情の変化に思えるが。――お、どうした。テオ。エレノアとはもういいのか?」
たたっと近寄ってきたテオバルドに、イーサンがそう話しかける。うん、と父親に向かって頷いたテオバルドが、今度はアシュレイを見上げた。
「師匠は、もうお話は終わられましたか?」
「おい、おい。テオ。それだと、早く帰りたいみたいじゃねぇか」
「時間は限られていますので」
あまりにもしらっとしたことを言うので、危うく笑いそうになる。自分が嬉々として母親と話していた時間は、なかったことにしたらしい。
フードの下で笑みを殺したアシュレイに、イーサンがひょいと眉を上げた。
「良い教育だな、おい。大魔法使いさまよ」
「そうだよ。俺、いつもいっぱい教えてもらってるんだ。本当に師匠はすごいんだよ、父さん」
嫌味と捉えない素直な反応に、アシュレイはイーサンと顔を見合わせた。どちらからともなく笑い出した大人たちを、不思議そうにテオバルドは見上げている。まったくかわいい弟子だ。
ごく自然と伸ばした手で、夜色の髪を掻き交ぜる。その光景にイーサンが目を瞠ったことに気づかないまま、アシュレイはほほえんだ。フードの下の笑顔を見たのは、向けられたテオバルドだけだ。
「帰るか、テオバルド」
誘いに、テオバルドが満面の笑みで頷く。
「はい!」
苦笑いの父親に暇を告げて、立てかけていた杖を取る。
「また、花祭りのころには顔を出せよ」
「そうだな。次はそうしよう」
グリットンの町の花祭りは、美しく、にぎやかだ。去年は参加せずに終わってしまったから、覚えておこうと心に決める。テオバルドはきっと喜ぶだろう。
店を出ると、外はもう少し暗み始めていた。隣を歩くテオバルドの話にひとつひとつ頷きながら、慣れた道をふたりでたどる。
なんとも穏やかな、幾度目かの春の夜だった。
静かな声に、アシュレイはわずかに首を傾げた。
妙に生真面目な顔をしていたからだ。そういう表情をしていると、テオバルドと少し似ているかもしれない。その似た顔で、イーサンが口火を切る。
「おまえが息子を迎え入れてくれたこと、本当に感謝してる」
「なんなんだ、急に」
「あいつには、おまえが必要だった」
笑ったアシュレイと裏腹に、イーサンは表情を崩さなかった。返す言葉に迷って、無言で酒を呷る。そんなもの、と呆れ半分で思う。
言うつもりはない。イーサンが知る必要もない。けれど、かつての一時期、自分にとってなにより必要だった者はおまえだったのだ。
空けたグラスをテーブルに置く。もう一度薄い笑みを浮かべると、イーサンもようやく真面目を崩した。
「まぁ、それに、おまえのとんでもない生活も、多少は人並みになったようだしな」
からかう調子で、イーサンが目を細める。
「俺の息子さまさまだろう」
まったくそのとおりだったので、苦笑いにしかならなかった。
魔法書に夢中になって夜を明かさない。朝になったら起きて、きちんと食事を取る。小うるさい弟子だが、何年も欠かさず言われてしまえば、多少はさすがに正される。
テオバルドのほうを見やったイーサンが、「それに」とどこか呟くように言った。
「大魔法使いさまのずぼらも、とうとう改めたらしいな。そっちは少し驚いた」
イーサンに倣って、ちらりと弟子に視線を送る。
日常のこともすべて魔法で片づけようとするアシュレイの悪癖を、イーサンがよく思っていなかったことは知っている。改めたらどうだと言われたこともある。
聞き流していたのは、自分ひとりの暮らしだったからだ。今はテオバルドがいる。だから、やめたのだ。
魔力に頼りすぎることは、慣れすぎることは、決して正しいことではない。
「まぁ、そのくらいはな」
「そのくらい、か。俺からすると、なかなかの心情の変化に思えるが。――お、どうした。テオ。エレノアとはもういいのか?」
たたっと近寄ってきたテオバルドに、イーサンがそう話しかける。うん、と父親に向かって頷いたテオバルドが、今度はアシュレイを見上げた。
「師匠は、もうお話は終わられましたか?」
「おい、おい。テオ。それだと、早く帰りたいみたいじゃねぇか」
「時間は限られていますので」
あまりにもしらっとしたことを言うので、危うく笑いそうになる。自分が嬉々として母親と話していた時間は、なかったことにしたらしい。
フードの下で笑みを殺したアシュレイに、イーサンがひょいと眉を上げた。
「良い教育だな、おい。大魔法使いさまよ」
「そうだよ。俺、いつもいっぱい教えてもらってるんだ。本当に師匠はすごいんだよ、父さん」
嫌味と捉えない素直な反応に、アシュレイはイーサンと顔を見合わせた。どちらからともなく笑い出した大人たちを、不思議そうにテオバルドは見上げている。まったくかわいい弟子だ。
ごく自然と伸ばした手で、夜色の髪を掻き交ぜる。その光景にイーサンが目を瞠ったことに気づかないまま、アシュレイはほほえんだ。フードの下の笑顔を見たのは、向けられたテオバルドだけだ。
「帰るか、テオバルド」
誘いに、テオバルドが満面の笑みで頷く。
「はい!」
苦笑いの父親に暇を告げて、立てかけていた杖を取る。
「また、花祭りのころには顔を出せよ」
「そうだな。次はそうしよう」
グリットンの町の花祭りは、美しく、にぎやかだ。去年は参加せずに終わってしまったから、覚えておこうと心に決める。テオバルドはきっと喜ぶだろう。
店を出ると、外はもう少し暗み始めていた。隣を歩くテオバルドの話にひとつひとつ頷きながら、慣れた道をふたりでたどる。
なんとも穏やかな、幾度目かの春の夜だった。
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