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1:箱庭の森
10.幾度目かの春のこと ②
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「なぁ、イーサン。子どもというものは、あっというまに大きくなるな」
扉から一番遠い壁際に設置された、ふたりがけの小さなテーブル。
ごく自然と選ぶ習慣のついた席から、通りかかったイーサンにアシュレイは話しかけた。
食事を終えたテオバルドは、カウンターのあたりで母親や常連客と楽しそうに話を弾ませている。
この店にいるあいだはフードを脱ぐように言いつけているので、少し離れた席からでもよく顔を見ることができた。
アシュレイは被ったままでいるが、べつに、それは「魔法使いだから」という理由ではない。
――だから、真似る必要はないのだがな、まったく。
テオバルドを眩しそうに見つめるアシュレイに、イーサンはほんの少し驚いようだった。アシュレイの視線を追うように、その視線が息子たちのほうへ動く。
「そういうもんだ」
穏やかな声に、アシュレイはちらりとイーサンを見上げた。苦笑で応えたイーサンが、真向いの椅子を引く。少し前までテオバルドが座っていたところだ。
「そういうものなんだよ、アシュレイ」
――そういうもの、か。
言い聞かす調子で繰り返された台詞に、アシュレイは浅く頷き返した。
子どもなどというものは、アシュレイはテオバルドしか知らない。けれど、イーサンが言うのであれば、そうなのだろうと思ったのだ。
ルカから教わりきらなかった心の機微を、根気良くアシュレイに教え諭してくれたのは、かつてのイーサンだった。
ひときわ楽しそうなエレノアの笑い声に、再び視線を動かす。
母親と話すテオバルドの横顔は、森にふたりでいるときよりも幼くて、それがなんともほほえましい。そのせいか、どれほど見ていても飽きることがなかった。
人の多い場所を、アシュレイはあまり好まない。そのはずなのに、にぎやかなこの場所を嫌と感じないのは、イーサンとエレノアの店で、テオバルドが笑っているからなのだろう。
我ながら丸くなったものだと思っていると、目の前にグラスが置かれた。正面に視線を戻せば、酒の入ったグラスを持ったイーサンが、にっとした笑みを浮かべる。
「いいのか、仕事は」
「固いこと言うなよ」
軽く呆れたアシュレイに、イーサンがいつもと同じ苦笑を見せる。
「親友が来ているときくらい、優先するさ」
「そうやって調子良く、いつもさぼっているんだろう」
「なにを言う。おまえだけだ」
「……それで? 今日は、なにに乾杯するんだ?」
恒例の攻防を早々に折れることにして、アシュレイは促した。五年前、弟子入りを押し切られたことが良い例で、どうしたってこの男に勝つことはできないのだ。
「そうだな。それなら、今日は、おまえとテオに」
乾杯、とグラスを合わせて酒を舐めたイーサンが、いやにしみじみと呟いた。
「しかし、あれだけ誘っても来なかったくせに。テオを預けた途端、こうも来てくれるようになるとはな」
「迷惑だったか?」
「まさか。おまえのそういう義理堅いところも好きだぜ、アシュレイ」
くっくと肩を揺らすイーサンは、どこからどう見ても上機嫌で、自分の行動の真意すべてを読まれているようで据わりが悪い。
荒れの目立ち始めた大きな手。厚くなった肩。笑うときにできる、眼鏡の奥の目じりの皺。着実に年を重ねて変わっているのに、こういうところばかりがイーサンは昔のまま変わらない。
覚えた哀愁を誤魔化すように、アシュレイはグラスを傾けた。
扉から一番遠い壁際に設置された、ふたりがけの小さなテーブル。
ごく自然と選ぶ習慣のついた席から、通りかかったイーサンにアシュレイは話しかけた。
食事を終えたテオバルドは、カウンターのあたりで母親や常連客と楽しそうに話を弾ませている。
この店にいるあいだはフードを脱ぐように言いつけているので、少し離れた席からでもよく顔を見ることができた。
アシュレイは被ったままでいるが、べつに、それは「魔法使いだから」という理由ではない。
――だから、真似る必要はないのだがな、まったく。
テオバルドを眩しそうに見つめるアシュレイに、イーサンはほんの少し驚いようだった。アシュレイの視線を追うように、その視線が息子たちのほうへ動く。
「そういうもんだ」
穏やかな声に、アシュレイはちらりとイーサンを見上げた。苦笑で応えたイーサンが、真向いの椅子を引く。少し前までテオバルドが座っていたところだ。
「そういうものなんだよ、アシュレイ」
――そういうもの、か。
言い聞かす調子で繰り返された台詞に、アシュレイは浅く頷き返した。
子どもなどというものは、アシュレイはテオバルドしか知らない。けれど、イーサンが言うのであれば、そうなのだろうと思ったのだ。
ルカから教わりきらなかった心の機微を、根気良くアシュレイに教え諭してくれたのは、かつてのイーサンだった。
ひときわ楽しそうなエレノアの笑い声に、再び視線を動かす。
母親と話すテオバルドの横顔は、森にふたりでいるときよりも幼くて、それがなんともほほえましい。そのせいか、どれほど見ていても飽きることがなかった。
人の多い場所を、アシュレイはあまり好まない。そのはずなのに、にぎやかなこの場所を嫌と感じないのは、イーサンとエレノアの店で、テオバルドが笑っているからなのだろう。
我ながら丸くなったものだと思っていると、目の前にグラスが置かれた。正面に視線を戻せば、酒の入ったグラスを持ったイーサンが、にっとした笑みを浮かべる。
「いいのか、仕事は」
「固いこと言うなよ」
軽く呆れたアシュレイに、イーサンがいつもと同じ苦笑を見せる。
「親友が来ているときくらい、優先するさ」
「そうやって調子良く、いつもさぼっているんだろう」
「なにを言う。おまえだけだ」
「……それで? 今日は、なにに乾杯するんだ?」
恒例の攻防を早々に折れることにして、アシュレイは促した。五年前、弟子入りを押し切られたことが良い例で、どうしたってこの男に勝つことはできないのだ。
「そうだな。それなら、今日は、おまえとテオに」
乾杯、とグラスを合わせて酒を舐めたイーサンが、いやにしみじみと呟いた。
「しかし、あれだけ誘っても来なかったくせに。テオを預けた途端、こうも来てくれるようになるとはな」
「迷惑だったか?」
「まさか。おまえのそういう義理堅いところも好きだぜ、アシュレイ」
くっくと肩を揺らすイーサンは、どこからどう見ても上機嫌で、自分の行動の真意すべてを読まれているようで据わりが悪い。
荒れの目立ち始めた大きな手。厚くなった肩。笑うときにできる、眼鏡の奥の目じりの皺。着実に年を重ねて変わっているのに、こういうところばかりがイーサンは昔のまま変わらない。
覚えた哀愁を誤魔化すように、アシュレイはグラスを傾けた。
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