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1:箱庭の森
4.あらしのよるに ①
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大粒の雨が窓を叩いている。嵐の夜だった。
ベッド脇の書き机で魔法書を繰っていたアシュレイは、ドアを叩くかすかな音に「なんだ」と声をかけた。弟子に取って三月が経つが、夜に訪ねてくるとは珍しい。
どうしたのかと訝しんでいると、ぎしりと扉が開いた。寝間着姿のテオバルドが、おずおずと入ってくる。
ぱたんと扉を閉めて、けれど、その前から動こうとはしない。アシュレイは問いを静かに繰り返した。
「なんだ、どうした」
「魔獣の」
足元を見つめたテオバルドが、消え入りそうな声で呟く。
「魔獣の声が聞こえた気がして」
その返答に、カーテンを下ろした窓にちらりと視線を向ける。
微量なものもふくめれば、十人にひとり。王立魔法学院に入学を許可されるレベルの魔力であれば、百人にひとり。
魔力を持つ人間は、その程度の割合でこの世界に生を受ける。そうして、それは、人間に限ったことではなく、獣も同じであった。
そういった魔力を持った獣のことを、ムンフォート大陸の人間は「魔獣」と総称し、恐れていた。過大な力を有した魔獣が村を襲うことがあるからだ。けれど、この森の近辺に魔獣は存在しない。
嵐に対する心細さで、風の音を魔獣の鳴き声と聞き違えたのだろう。魔法書に視線を戻して、アシュレイは答えた。
「気にせず寝ろ。この森に魔獣の類が出ることはない」
「どうしてですか?」
「そういうふうになっているからだ」
自分より力のある獣の縄張りに、獣は決して踏み込まない。そういうことだと言い聞かせてやったのに、物わかりが良く素直なテオバルドにしては珍しく、頷いたあとも戻る気配がない。
「テオバルド」
ふたつ続いた「珍しい」に、アシュレイはしかたなく魔法書を閉じた。
「言いたいことがあるなら言え。黙っていても俺にはわからん」
またしても沈黙が流れ、風が窓を揺らす音がふたりきりの部屋に響いた。その音に、テオバルドがわずかに肩をすくめる。
魔獣はいないと言ったろう、と呆れ声で諭す代わりに、アシュレイは答えを待った。
「あの」
意を決した様子で、テオバルドが訴える。
「今日の夜だけでいいので、ここで眠っては駄目ですか?」
「ここで」
「はい。その、……駄目だったら、いいのですが」
控えめな台詞と裏腹に、星の瞳は「ひとりで寝るのは嫌だ」と強く主張している。
渋面をつくってみせたものの、間を保持することができた時間はそう長くなかった。溜息ひとつで許可を出す。
「……今日だけだからな」
「ありがとうございます!」
ぱっと瞳を輝かせたテオバルドが、足取り軽く近づいてくる。一転した調子の良さに、もう一度そっと息を吐いてから、アシュレイはブランケットを捲った。
奔放で人誑しだった父親に、この弟子は妙なところでよく似ている。
ベッド脇の書き机で魔法書を繰っていたアシュレイは、ドアを叩くかすかな音に「なんだ」と声をかけた。弟子に取って三月が経つが、夜に訪ねてくるとは珍しい。
どうしたのかと訝しんでいると、ぎしりと扉が開いた。寝間着姿のテオバルドが、おずおずと入ってくる。
ぱたんと扉を閉めて、けれど、その前から動こうとはしない。アシュレイは問いを静かに繰り返した。
「なんだ、どうした」
「魔獣の」
足元を見つめたテオバルドが、消え入りそうな声で呟く。
「魔獣の声が聞こえた気がして」
その返答に、カーテンを下ろした窓にちらりと視線を向ける。
微量なものもふくめれば、十人にひとり。王立魔法学院に入学を許可されるレベルの魔力であれば、百人にひとり。
魔力を持つ人間は、その程度の割合でこの世界に生を受ける。そうして、それは、人間に限ったことではなく、獣も同じであった。
そういった魔力を持った獣のことを、ムンフォート大陸の人間は「魔獣」と総称し、恐れていた。過大な力を有した魔獣が村を襲うことがあるからだ。けれど、この森の近辺に魔獣は存在しない。
嵐に対する心細さで、風の音を魔獣の鳴き声と聞き違えたのだろう。魔法書に視線を戻して、アシュレイは答えた。
「気にせず寝ろ。この森に魔獣の類が出ることはない」
「どうしてですか?」
「そういうふうになっているからだ」
自分より力のある獣の縄張りに、獣は決して踏み込まない。そういうことだと言い聞かせてやったのに、物わかりが良く素直なテオバルドにしては珍しく、頷いたあとも戻る気配がない。
「テオバルド」
ふたつ続いた「珍しい」に、アシュレイはしかたなく魔法書を閉じた。
「言いたいことがあるなら言え。黙っていても俺にはわからん」
またしても沈黙が流れ、風が窓を揺らす音がふたりきりの部屋に響いた。その音に、テオバルドがわずかに肩をすくめる。
魔獣はいないと言ったろう、と呆れ声で諭す代わりに、アシュレイは答えを待った。
「あの」
意を決した様子で、テオバルドが訴える。
「今日の夜だけでいいので、ここで眠っては駄目ですか?」
「ここで」
「はい。その、……駄目だったら、いいのですが」
控えめな台詞と裏腹に、星の瞳は「ひとりで寝るのは嫌だ」と強く主張している。
渋面をつくってみせたものの、間を保持することができた時間はそう長くなかった。溜息ひとつで許可を出す。
「……今日だけだからな」
「ありがとうございます!」
ぱっと瞳を輝かせたテオバルドが、足取り軽く近づいてくる。一転した調子の良さに、もう一度そっと息を吐いてから、アシュレイはブランケットを捲った。
奔放で人誑しだった父親に、この弟子は妙なところでよく似ている。
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