上 下
2 / 139
1:箱庭の森

1.魔法使いと弟子 ①

しおりを挟む
 グリットンの町の人間から「森の大魔法使いさま」と呼ばれるアシュレイは、その呼び名のとおり、町外れの森にひとりで住んでいた。
 トネリコの森の奥にある一軒家である。もともとはアシュレイの師であるルカの持ち家であるのだが、この数年はアシュレイがひとりで住んでいる家だ。

 気ままなひとり暮らしが災いし、物が増え続けてはいるものの、興味を覚えた魔法書に手が伸びることは魔法使いの性であるし、薬草の調合に使う道具も必要なものなので、ある程度は致し方ないとアシュレイは思っている。
 それなのに、家の中に招き入れたテオバルドは、とんでもないものを見たという顔をしたあとで、おずおずとこちらを見上げてきた。
 家の横手にある薬草園を案内してやったときとは、雲泥の差の反応である。

 ――しかし、これは、エレノアとイーサンの遺伝子が奇跡的にうまく配合された結果の産物だな。

 戸惑いの浮かんだ大きな瞳を見下ろしたアシュレイは、すまし顔の裏でそんなことを考えていた。
 清潔な白のシャツと藍鼠のベスト。黒の半ズボンに、履き古されているものの、きちんと磨き上げられた皮のショートブーツ。母親であるエレノアが整えてやったものだろうが、小綺麗ながらも平凡でしかない衣服が、とんでもなく様になっている。
 父親であるイーサンも「人が良い」以外に褒めようのない男だが、エレノアも愛嬌はあったが、決して美人ではなかったのに、この整った顔かたち。
 遺伝子バランスの妙から飛躍して、新しい薬草の配合についての考えを深めていたところに、「あの……」とテオバルドが話しかけてきた。
 困惑した声に、はっと我に返る。危うく取ったばかりの弟子の存在を忘れるところであった。

「その、師匠。このお部屋は……」
「ひとりで住んでいたからな」

 読みかけのまま放置されたいくつかの魔法書も、積み上がった器具も。いずれもアシュレイなりに使いやすく合理的に配置したものである。
 雑然とした居間の状態を正当化したアシュレイは、「こっちだ」と弟子を奥に誘った。
 大きな家ではないが、ふたりで暮らす分に不足はない。個室もふたつ揃っている。ひとつはアシュレイの居室だが、子どものころに使っていた部屋が空いているので、そこを貸し与えれば問題はないだろう。

「最低限は揃っているはずだから、好きに使ったらいい」

 ベッドに書き机、チェストと視線をやったところで、まぁ、とアシュレイは言い足した。

「多少、手は入れたほうがいいと思うが」

 少々、埃が積もっていたかもしれない。誤魔化すように窓を開けると、差し込んだ光で机の上の埃がますます目立ってしまった。気にしないふりで、入ったばかりの部屋をあとにする。妙な罪悪感が疼いたが、悪いのは自分ではない。いきなり弟子に取れと押しかけてきた、この子どもの父親である。
 なんとも言えない表情で室内を見渡したテオバルドが、抱えていた鞄をそっと床の隅に置いた。そうして、アシュレイを追いかけて居間へ戻ってくる。
 所狭しと本の積み上がった丸テーブルとソファー、暖炉、本棚。順繰りに見つめたテオバルドが、とうとうといったふうにアシュレイを見上げた。

「……師匠は、掃除は嫌いですか」
「そういうわけではない。これはこれで使い勝手がいい」
「…………」
「だが、まぁ、弟子おまえが掃除をするというのなら、好きにすればいい」

 危険なものは自室に早々に仕舞っておこうと胸に誓って、アシュレイはそう言い足した。はるか昔の記憶ではあるが、師匠であったルカも、幼い弟子が触ると危険なものは自室に片づけていた覚えがある。弟子とは面倒なものだ。

 わかりました、と神妙な顔で頷いたテオバルドが、師匠、とアシュレイを呼んだ。

「明るいうちに、あの部屋を片づけてもいいですか」

 あの部屋というのは、先ほど好きに使えと与えた部屋のことであろう。
 鷹揚に頷いたアシュレイは、テオバルドが部屋に戻るところを見届けることなく、気に入りのソファーに腰をかけた。読みかけだった魔法書を取って、目を通し始める。
 世話焼きだった父親の血筋と捉えるべきか、辛抱たまらないほどに部屋が汚かったとみるべきか。

 ――まぁ、いいだろう、べつに。

 本人が本人の意志で片づけると言っているのだ。そのくらいは好きにさせてやればいい。そう決めて、アシュレイはページを繰った。
 アシュレイはひとりが好きだし、自分の集中を邪魔されることも嫌いだ。けれど、続きの部屋から聞こえてくる細かな音は、なぜか不快ではなく、それが少し不思議だった。
 おそらく、イーサンの息子だからなのだろう。もう十年以上昔の話であるものの、王立魔法学院の寮にいたころ。イーサンが立てる物音にだけは、アシュレイはまったくと言っていいほど苛立たなかったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

phyr
BL
死にかけで放り出されていたところを拾ってくれたのが、俺の師匠。今まで出会ったどんな人間よりも強くて格好良くて、綺麗で優しい人だ。だからどんなに犬扱いされても、例え師匠にその気がなくても、絶対に俺がこの人を手に入れる。 家も名前もなかった弟子が、血筋も名声も一級品の師匠に焦がれて求めて、手に入れるお話。 ※このお話はムーンライトノベルズ様にも掲載しています。  第9回BL小説大賞にもエントリー済み。

辺境のご長寿魔法使いと世話焼きの弟子

志野まつこ
BL
250歳位なのに童顔で世捨て人な魔法使いと、そこに押しかけて来た天才の話。弟子を追い出そうとしては失敗する師匠だったがある春ようやく修行の日々が終わりを迎える。これでお役ご免だと思ったのに顔よしガタイよしの世話焼きで料理上手な弟子は卒業の夜、突如奇行に走った。 出会った時は弟子は子供でしたがすぐ育ちます。 ほのぼのとした残酷表現があります。他サイトにも掲載しています。

生まれ変わったら、彼氏の息子でした

さくら怜音/黒桜
BL
貧乏アパートで恋人と幸せな日々を送っていた矢先、不慮の事故で死んでしまった良一は、サラリーマン風の天使に「転生希望調査」をされる。生まれ変わっても恋人の元に戻りたいと願うも、「代わりに二度と恋は実らない」と忠告されたその世界は、確かに元恋人・享幸の腕の中から始まったが――。 平成→令和へ。輪廻転生・やりなおし恋愛譚。 2021年1月に限定配信された「天上アンソロジー 〜From misery to happiness」収録作品です。 ※単話配信に伴い、タイトルを変更しました。表紙絵:咲伯梅壱様

遠距離恋愛は続かないと、キミは寂しくそう言った【BL版】

五右衛門
BL
 中学校を卒業する日……桜坂光と雪宮麗は、美術室で最後の時を過ごしていた。雪宮の家族が北海道へ転勤するため、二人は離れ離れになる運命にあったためだ。遠距離恋愛を提案する光に対し、雪宮は「遠距離恋愛は続かない」と優しく告げ、別れを決断する。それでも諦めきれない桜坂に対し、雪宮はある約束を提案する。新しい恋が見つからず、互いにまだ想いが残っていたなら、クリスマスの日に公園の噴水前で再会しようと。  季節は巡り、クリスマスの夜。桜坂は約束の場所で待つが、雪宮は現れない。桜坂の時間は今もあの時から止まったままだった。心に空いた穴を埋めることはできず、雪が静かに降り積もる中、桜坂はただひたすらに想い人を待っていた。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

騎士団長の秘密

さねうずる
BL
「俺は、ポラール殿を好いている」 「「「 なんて!?!?!?」」 無口無表情の騎士団長が好きなのは別騎士団のシロクマ獣人副団長 チャラシロクマ×イケメン騎士団長

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

処理中です...