41 / 46
11-1
しおりを挟む
[ 11 ]
二週間が経過し、無事に右腕を固定する必要はなくなったものの、完全に治ったわけではない。
放課後の教室で、スマートフォンでアルバイトの求人を眺めつつ、浅海は溜息をこぼした。
「この腕でもできるバイトってどんなのがあると思う?」
「腕の怪我が治ってない時点で雇わないだろ、ふつう」
「だよなぁ」
探せばないことはないだろうが、時給の良い案件はあまりない気がする。侑平の返事にもうひとつ息を吐いて、浅海は立ち上がった。今日はひとつ用事があるのだ。
「風見さんの店寄るんだっけ? 俺も途中まで一緒に帰るわ」
「そう。退院したらしいよ。って言っても、バイトさせてくれるっていう話じゃないみたいだけど」
それだったらよかったんだけど、と八割本音で苦笑する。ちなみに、さすがに片腕が使い物にならなくなった時点で、アルバイトは休むと伝えている。
――なんか、もう、達昭さんは店にはいないからって言ってたけど、どういう意味だったんだろうな、あれ。
断り切れず接客をしていたことも、風見には話していないのだが。もし知られていて、謝られても嫌だな、と思う。
とは言え、だ。約束をしたものはしかたがない。「風見さんによろしく」と手を振った侑平と別れ、浅海はひさしぶりに店に向かった。
「悪かったな。俺が店にいないあいだ、無理させたみたいで」
開店準備中の店内のカウンターのスツールで、「早く退院できてよかったですね」、「その代わり、おまえが怪我してるけどな」なんて、やりとりを交わしたあと。
風見に神妙に謝られてしまい、浅海は曖昧な笑みを浮かべた。呼び出された時点で言及される可能性は高いと踏んでいたものの、それはそれ。謝罪は苦手だ。
「べつに、無理なんてしてないですよ」
接客の件に関して言えば、自分が最初に毅然と断っていたら済んだ話なのだ。風見が頭を下げるいわれはない。それに――。
――一基さんが解決してくれたんだよな、結局。
思い出しそうになった記憶に慌てて蓋をし、なんでもない調子で首を振る。
「本当にぜんぜん。大丈夫で……」
「あのな、浅海」
呆れたように、風見は話を遮った。
「おまえがしっかりしてんのは知ってるし、ある程度ひとりでなんでもできんのも知ってる。でもな」
伸びてきた手のひらが、わしわしと浅海の髪を掻き回す。予想外の事態に固まった浅海の瞳を見据え、風見は言い切った。
「おまえは子どもなの。それで、俺はそのおまえを雇ってるわけで――つまり、俺に責任があるんだよ。悪かったなって謝るのもそうだし、なんならおまえはもっと俺に文句言っていいわけ。わかる?」
「え……っと、……はい」
「本当にわかってんのか? 微妙な顔してっけど」
「その、……心配してもらってるってことは」
ちゃんとわかっているつもりだ、と。ぎこちなく首肯する。
昂輝も、侑平も、自分のアルバイトを心配してくれていたと知っている。今の風見の話もそういうことなのだろうとわかるし、自分が子どもだということも思い知ったばかりだ。
「なら、まぁ、いいけど」
そう言いつつも、半分以上信じていない調子だった。苦笑いを返した浅海を再びじっと見つめ、風見はふぅと息を吐いた。
眉間に刻まれたなんとも言えないしわに、「あの」と声をかけようとした瞬間。風見が口を開いた。
「なぁ」
「え? あぁ、はい」
「おまえ、俺がなんでその話知ってると思う?」
「その話って、俺が接客やってたっていう話ですか? 達昭さんじゃ」
「あいつが自分に都合の悪い話、俺にするわけないだろ。あと、『やってた』じゃなくて、『やらされてた』な」
「いや、まぁ、……はい」
そうですね、と笑って言葉を濁す。なんだか、ものすごく叱られている気分だ。
荒れていた時分に面倒を見てくれた風見に、浅海はいまだに頭が上がらない。侑平や昂輝の存在も大きかったけれど、頼れる兄貴分でいてくれる大人の存在も、あの当時の自分には必要なものだったからだ。
まぁ、そうでなくとも、実の兄に弟に対する文句は伝えにくいものがあるけれど。
「ちなみに、昂輝でも侑平でもないからな」
「え……、じゃあ……」
と言ったはいいものの、浮かぶ名前はひとつも残っていなかった。あるいは、風見の店の誰かが気の毒に思って進言してくれたのだろうか。
長考を開始した浅海に、風見は種を明かした。どこか嫌そうに。
「八瀬さん」
「……え?」
「あの人に言われたの。かわいがってる子だから、って」
かわいがってる子だから、という言葉を、浅海は頭の中で繰り返した。そうして、苦笑気味に眉を下げる。
「そっか」
店に来てくれたときの八瀬の顔が、また浮かんでしまった。そのあとに、同じベッドで眠ったことも。幸せだと思ったことも。
「すみません、なんか迷惑かけて。風見さんにも……一基さんにも」
「だから迷惑じゃねぇって言ってんだろ」
しつこいと殴るぞ、とすごまれてしまい、浅海はもう一度苦笑いを浮かべた。それ以外にできなかったのだ。
その苦笑いを呆れた顔で一瞥した風見が、もうひとつ溜息を吐く。
「あのな」
「はい?」
「おまえ、ぜんぜん笑えてねぇぞ、さっきから」
「え……?」
「笑えてない」
至極嫌そうに断言され、ぎこちなく口元を手で覆う。
ちゃんとできているつもりだったから、信じられなくて。けれど、風見の言うことが嘘だとも思えなかった。視線を膝に落としたまま、呟く。
「そう、ですか」
「おまえお得意の愛想笑いが保てなくなるようなこと、あったのか。あの人と」
「そういうわけじゃ……」
「まぁ、いいけどな」
それも、やはり、信じてはいない調子だった。沈黙を選んだ浅海に、呆れたように風見は言い足す。
「とにかく、そういうことだから。八瀬さんに言われたら、俺はそれ以上なにもできないわ」
黙ったままでいると、「そういう人なの」と念を押されてしまった。
「だから、バイトはそれが治るまで休み。治ったらちゃんと面倒見てやるから、そのあいだに変なバイトに飛びつくなよ? いくら喧嘩慣れしてても、正攻法でくる人間ばっかじゃないんだからな……って、浅海?」
「あ……」
不審げに名前を呼ばれ、浅海はひとつ瞬いた。
「すみません、大丈夫です」
頭に過った映像を振り切るように、なんでもないと笑う。きちんとできていたらいいと願うような気持ちだった。
二週間が経過し、無事に右腕を固定する必要はなくなったものの、完全に治ったわけではない。
放課後の教室で、スマートフォンでアルバイトの求人を眺めつつ、浅海は溜息をこぼした。
「この腕でもできるバイトってどんなのがあると思う?」
「腕の怪我が治ってない時点で雇わないだろ、ふつう」
「だよなぁ」
探せばないことはないだろうが、時給の良い案件はあまりない気がする。侑平の返事にもうひとつ息を吐いて、浅海は立ち上がった。今日はひとつ用事があるのだ。
「風見さんの店寄るんだっけ? 俺も途中まで一緒に帰るわ」
「そう。退院したらしいよ。って言っても、バイトさせてくれるっていう話じゃないみたいだけど」
それだったらよかったんだけど、と八割本音で苦笑する。ちなみに、さすがに片腕が使い物にならなくなった時点で、アルバイトは休むと伝えている。
――なんか、もう、達昭さんは店にはいないからって言ってたけど、どういう意味だったんだろうな、あれ。
断り切れず接客をしていたことも、風見には話していないのだが。もし知られていて、謝られても嫌だな、と思う。
とは言え、だ。約束をしたものはしかたがない。「風見さんによろしく」と手を振った侑平と別れ、浅海はひさしぶりに店に向かった。
「悪かったな。俺が店にいないあいだ、無理させたみたいで」
開店準備中の店内のカウンターのスツールで、「早く退院できてよかったですね」、「その代わり、おまえが怪我してるけどな」なんて、やりとりを交わしたあと。
風見に神妙に謝られてしまい、浅海は曖昧な笑みを浮かべた。呼び出された時点で言及される可能性は高いと踏んでいたものの、それはそれ。謝罪は苦手だ。
「べつに、無理なんてしてないですよ」
接客の件に関して言えば、自分が最初に毅然と断っていたら済んだ話なのだ。風見が頭を下げるいわれはない。それに――。
――一基さんが解決してくれたんだよな、結局。
思い出しそうになった記憶に慌てて蓋をし、なんでもない調子で首を振る。
「本当にぜんぜん。大丈夫で……」
「あのな、浅海」
呆れたように、風見は話を遮った。
「おまえがしっかりしてんのは知ってるし、ある程度ひとりでなんでもできんのも知ってる。でもな」
伸びてきた手のひらが、わしわしと浅海の髪を掻き回す。予想外の事態に固まった浅海の瞳を見据え、風見は言い切った。
「おまえは子どもなの。それで、俺はそのおまえを雇ってるわけで――つまり、俺に責任があるんだよ。悪かったなって謝るのもそうだし、なんならおまえはもっと俺に文句言っていいわけ。わかる?」
「え……っと、……はい」
「本当にわかってんのか? 微妙な顔してっけど」
「その、……心配してもらってるってことは」
ちゃんとわかっているつもりだ、と。ぎこちなく首肯する。
昂輝も、侑平も、自分のアルバイトを心配してくれていたと知っている。今の風見の話もそういうことなのだろうとわかるし、自分が子どもだということも思い知ったばかりだ。
「なら、まぁ、いいけど」
そう言いつつも、半分以上信じていない調子だった。苦笑いを返した浅海を再びじっと見つめ、風見はふぅと息を吐いた。
眉間に刻まれたなんとも言えないしわに、「あの」と声をかけようとした瞬間。風見が口を開いた。
「なぁ」
「え? あぁ、はい」
「おまえ、俺がなんでその話知ってると思う?」
「その話って、俺が接客やってたっていう話ですか? 達昭さんじゃ」
「あいつが自分に都合の悪い話、俺にするわけないだろ。あと、『やってた』じゃなくて、『やらされてた』な」
「いや、まぁ、……はい」
そうですね、と笑って言葉を濁す。なんだか、ものすごく叱られている気分だ。
荒れていた時分に面倒を見てくれた風見に、浅海はいまだに頭が上がらない。侑平や昂輝の存在も大きかったけれど、頼れる兄貴分でいてくれる大人の存在も、あの当時の自分には必要なものだったからだ。
まぁ、そうでなくとも、実の兄に弟に対する文句は伝えにくいものがあるけれど。
「ちなみに、昂輝でも侑平でもないからな」
「え……、じゃあ……」
と言ったはいいものの、浮かぶ名前はひとつも残っていなかった。あるいは、風見の店の誰かが気の毒に思って進言してくれたのだろうか。
長考を開始した浅海に、風見は種を明かした。どこか嫌そうに。
「八瀬さん」
「……え?」
「あの人に言われたの。かわいがってる子だから、って」
かわいがってる子だから、という言葉を、浅海は頭の中で繰り返した。そうして、苦笑気味に眉を下げる。
「そっか」
店に来てくれたときの八瀬の顔が、また浮かんでしまった。そのあとに、同じベッドで眠ったことも。幸せだと思ったことも。
「すみません、なんか迷惑かけて。風見さんにも……一基さんにも」
「だから迷惑じゃねぇって言ってんだろ」
しつこいと殴るぞ、とすごまれてしまい、浅海はもう一度苦笑いを浮かべた。それ以外にできなかったのだ。
その苦笑いを呆れた顔で一瞥した風見が、もうひとつ溜息を吐く。
「あのな」
「はい?」
「おまえ、ぜんぜん笑えてねぇぞ、さっきから」
「え……?」
「笑えてない」
至極嫌そうに断言され、ぎこちなく口元を手で覆う。
ちゃんとできているつもりだったから、信じられなくて。けれど、風見の言うことが嘘だとも思えなかった。視線を膝に落としたまま、呟く。
「そう、ですか」
「おまえお得意の愛想笑いが保てなくなるようなこと、あったのか。あの人と」
「そういうわけじゃ……」
「まぁ、いいけどな」
それも、やはり、信じてはいない調子だった。沈黙を選んだ浅海に、呆れたように風見は言い足す。
「とにかく、そういうことだから。八瀬さんに言われたら、俺はそれ以上なにもできないわ」
黙ったままでいると、「そういう人なの」と念を押されてしまった。
「だから、バイトはそれが治るまで休み。治ったらちゃんと面倒見てやるから、そのあいだに変なバイトに飛びつくなよ? いくら喧嘩慣れしてても、正攻法でくる人間ばっかじゃないんだからな……って、浅海?」
「あ……」
不審げに名前を呼ばれ、浅海はひとつ瞬いた。
「すみません、大丈夫です」
頭に過った映像を振り切るように、なんでもないと笑う。きちんとできていたらいいと願うような気持ちだった。
11
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――
天海みつき
BL
族の総長と副総長の恋の話。
アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。
その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。
「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」
学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。
族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。
何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
僕の部下がかわいくて仕方ない
まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる