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「今日こそは連絡先交換してよぉ」
「しません」
常連になりつつある女子大生に酒に酔った赤ら顔でからまれて、浅海は苦笑いで首を横に振った。
常連になったら連絡先交換ありかもよ、なんて言っていた達昭の台詞は、はたしてどの程度本気に受け取られているのか。最近は週に三度のペースで彼女たちはやってきている。
通い続けることは、決して安いお金ではないと思うので、やんわり「できない」「しない」と伝え続けているつもりなのだが。
「あの人の冗談真に受けないでください。ほら、もうお酒は終わりにしましょう?」
「うっ……、やさしいのがつらい……、あしらわれてるってわかってるのに顔がいいから近くで見ていたい……」
「建前、建前」
欲望しかない、と笑いながら、いつも一緒に来店する友人の女性が申し訳なさそうな顔を向けてくる。
「ごめんね、半分冗談だから、気にしないで」
「半分は本気だけどね」
「半分は、っていうか、あわよくばってやつでしょ」
「交換してあげたらいいのに。その子けっこうかわいいじゃん。おもしろいし」
近くの席に座っていた男性客からも水を向けられて、営業スマイルで受け流す。彼女の迫り方が良くも悪くも冗談の範疇にとどまっているせいで、お決まりのやりとりのようになってしまっているのだ。
「それとも俺と交換する?」
「誰ともしません」
口調だけは柔らかく断って、もやもやとするものはすべて笑顔で覆い隠す。そうすれば、なんとかなるのだということを学んでしまった。
そのたびに、チクチクと罪悪感が刺激されてはいくのだが。
彼女たちを騙しているということもそうだけれど、もうひとつ。このあいだの夜、八瀬に言われた言葉がずっと胸に残っていた。
わかっているなんて、本当に口ばっかりで、結局、自分はなにひとつ行動を変えられていない。
けれど、今日のもやもやの原因は、それだけではない。そのことも自覚だけはしていて、浅海は溜息を押し込んだ。
――ひさしぶりに失敗したからな。
家を出る前のことだ。父親が帰宅する前に外に出る予定だったのに、うっかりかち合ってしまったのだ。
失敗した。その一言に尽きるし、過ぎてしまったことは気にしないようにするしかない。
気にしたところで、家のことはどうにもならないのだから。そこまで考えたところで響いたスツールを引く音に、はっとして視線を向ける。
「あ、こんばん……は?」
目の前に座った客の顔を認知した瞬間、鉄壁のはずの営業用笑顔が固まりそうになってしまった。
「……一基さん?」
どうして、こんなところに、この人が。
呼びかけににじんだ戸惑いも、ほかの客から注がれる視線も、いっさい気にしないそぶりで八瀬は口元を笑ませた。
「裏方ばっかりじゃなかったんだ?」
「すみません、その」
嘘を吐いてたわけじゃ、と続けようとした言い訳は背後からの声でかき消された。珍しく少し焦ったような、達昭の声。
「あれ、八瀬さんじゃないですか」
胡散臭い笑みを携えた達昭に脛を蹴られて、浅海は女子大生たちの前にスライドするかたちで場所を譲った。
ちらちらと八瀬の横顔を窺っていた彼女たちが、さっそく小声で話しかけてくる。
「すごいかっこいい人ですね」
お知り合いなんですか、と続けて尋ねられて、どうとでも取れる笑みを浮かべて浅海は誤魔化した。
かっこいい人だとは思うけれど、どういう知り合いなのかと言われると答えづらかったからだ。
それにしても、自分はいったい八瀬にどう思われているのだろう。
この店のこともそうだし、このあいだ諭すように言ってもらったこともなにひとつ身になっていない。
彼女たちの話を聞きながらも、意識の片一方は八瀬たちへと向いてしまっていた。
「それにしても、どうされたんですか、こんな店に」
「こんな店って、一応今はきみが店長なんじゃないの」
「いや、まぁ、そうなんですけどね。それでどうして――」
「それよりもいいの? こんな時間まで高校生働かせて」
高校生という単語に、浅海もどきりとしたのだが、ちらりと自分のほうを見た達昭はものすごく嫌そうな顔だった。
どうせ八瀬に向き直るときには完璧な愛想笑いに戻っているのだろうけれど。
達昭が対応しているのだから、気にしないようにしよう。そう決めて、彼女たちの接客に集中しようとしたのだが、どうしても話し声が耳につく。
「お知り合いでしたか」
「そう、お知り合い。俺の大事な知り合いの子でね。だから、あんまり雑に扱わないでくれるかな」
気にしないようにしようと決めていたはずなのに、視線が八瀬に向いてしまった。目が合った八瀬が、にこりとほほえむ。
「ね、浅海くん」
どう思われている、どころじゃない。まちがいなくぜんぶバレている。断り切れずバーテンダーのまねごとをしていたことも。そして、そのせいで滅入っていたことも。
「え、高校生」
嘘でしょと言わんばかりの呆然とした声に、慌てて女子大生のほうへ意識を戻す。声同様の半ば呆然とした顔に、浅海は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。今度ばかりは演技ではなく、本心で。
「まぁ、じゃあ、そういうことで。帰ろうか、浅海くん」
「え、……っと、でも」
「高校生はもう帰る時間。送って行ってあげるから、荷物取ってきな」
成り行きを見守っている様子の達昭にちらりと視線を向けると、行けというふうに首を振られてしまった。
いいのだろうか、と思ったものの、この場所で押し問答するわけにいかないのも事実で。
「それじゃ、すみません。今日は先に上がらせてもらいます」
どうにか笑顔を取り繕って、その場を離れる。カウンター席から囁き合う声が聞こえていたけれど、なにを言われてもある程度はしかたがないと思う。だって、騙していたようなものなのだ。
それにしても。
――俺、そんなにこのあいだしんどそうだったのかな。
八瀬が、お節介を焼いてやろうと考えてしまうほどに。
気を遣わせたのなら申し訳なかったなと思いながら着替えていると、達昭がバックヤードにのそりと入ってきた。
「今日こそは連絡先交換してよぉ」
「しません」
常連になりつつある女子大生に酒に酔った赤ら顔でからまれて、浅海は苦笑いで首を横に振った。
常連になったら連絡先交換ありかもよ、なんて言っていた達昭の台詞は、はたしてどの程度本気に受け取られているのか。最近は週に三度のペースで彼女たちはやってきている。
通い続けることは、決して安いお金ではないと思うので、やんわり「できない」「しない」と伝え続けているつもりなのだが。
「あの人の冗談真に受けないでください。ほら、もうお酒は終わりにしましょう?」
「うっ……、やさしいのがつらい……、あしらわれてるってわかってるのに顔がいいから近くで見ていたい……」
「建前、建前」
欲望しかない、と笑いながら、いつも一緒に来店する友人の女性が申し訳なさそうな顔を向けてくる。
「ごめんね、半分冗談だから、気にしないで」
「半分は本気だけどね」
「半分は、っていうか、あわよくばってやつでしょ」
「交換してあげたらいいのに。その子けっこうかわいいじゃん。おもしろいし」
近くの席に座っていた男性客からも水を向けられて、営業スマイルで受け流す。彼女の迫り方が良くも悪くも冗談の範疇にとどまっているせいで、お決まりのやりとりのようになってしまっているのだ。
「それとも俺と交換する?」
「誰ともしません」
口調だけは柔らかく断って、もやもやとするものはすべて笑顔で覆い隠す。そうすれば、なんとかなるのだということを学んでしまった。
そのたびに、チクチクと罪悪感が刺激されてはいくのだが。
彼女たちを騙しているということもそうだけれど、もうひとつ。このあいだの夜、八瀬に言われた言葉がずっと胸に残っていた。
わかっているなんて、本当に口ばっかりで、結局、自分はなにひとつ行動を変えられていない。
けれど、今日のもやもやの原因は、それだけではない。そのことも自覚だけはしていて、浅海は溜息を押し込んだ。
――ひさしぶりに失敗したからな。
家を出る前のことだ。父親が帰宅する前に外に出る予定だったのに、うっかりかち合ってしまったのだ。
失敗した。その一言に尽きるし、過ぎてしまったことは気にしないようにするしかない。
気にしたところで、家のことはどうにもならないのだから。そこまで考えたところで響いたスツールを引く音に、はっとして視線を向ける。
「あ、こんばん……は?」
目の前に座った客の顔を認知した瞬間、鉄壁のはずの営業用笑顔が固まりそうになってしまった。
「……一基さん?」
どうして、こんなところに、この人が。
呼びかけににじんだ戸惑いも、ほかの客から注がれる視線も、いっさい気にしないそぶりで八瀬は口元を笑ませた。
「裏方ばっかりじゃなかったんだ?」
「すみません、その」
嘘を吐いてたわけじゃ、と続けようとした言い訳は背後からの声でかき消された。珍しく少し焦ったような、達昭の声。
「あれ、八瀬さんじゃないですか」
胡散臭い笑みを携えた達昭に脛を蹴られて、浅海は女子大生たちの前にスライドするかたちで場所を譲った。
ちらちらと八瀬の横顔を窺っていた彼女たちが、さっそく小声で話しかけてくる。
「すごいかっこいい人ですね」
お知り合いなんですか、と続けて尋ねられて、どうとでも取れる笑みを浮かべて浅海は誤魔化した。
かっこいい人だとは思うけれど、どういう知り合いなのかと言われると答えづらかったからだ。
それにしても、自分はいったい八瀬にどう思われているのだろう。
この店のこともそうだし、このあいだ諭すように言ってもらったこともなにひとつ身になっていない。
彼女たちの話を聞きながらも、意識の片一方は八瀬たちへと向いてしまっていた。
「それにしても、どうされたんですか、こんな店に」
「こんな店って、一応今はきみが店長なんじゃないの」
「いや、まぁ、そうなんですけどね。それでどうして――」
「それよりもいいの? こんな時間まで高校生働かせて」
高校生という単語に、浅海もどきりとしたのだが、ちらりと自分のほうを見た達昭はものすごく嫌そうな顔だった。
どうせ八瀬に向き直るときには完璧な愛想笑いに戻っているのだろうけれど。
達昭が対応しているのだから、気にしないようにしよう。そう決めて、彼女たちの接客に集中しようとしたのだが、どうしても話し声が耳につく。
「お知り合いでしたか」
「そう、お知り合い。俺の大事な知り合いの子でね。だから、あんまり雑に扱わないでくれるかな」
気にしないようにしようと決めていたはずなのに、視線が八瀬に向いてしまった。目が合った八瀬が、にこりとほほえむ。
「ね、浅海くん」
どう思われている、どころじゃない。まちがいなくぜんぶバレている。断り切れずバーテンダーのまねごとをしていたことも。そして、そのせいで滅入っていたことも。
「え、高校生」
嘘でしょと言わんばかりの呆然とした声に、慌てて女子大生のほうへ意識を戻す。声同様の半ば呆然とした顔に、浅海は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。今度ばかりは演技ではなく、本心で。
「まぁ、じゃあ、そういうことで。帰ろうか、浅海くん」
「え、……っと、でも」
「高校生はもう帰る時間。送って行ってあげるから、荷物取ってきな」
成り行きを見守っている様子の達昭にちらりと視線を向けると、行けというふうに首を振られてしまった。
いいのだろうか、と思ったものの、この場所で押し問答するわけにいかないのも事実で。
「それじゃ、すみません。今日は先に上がらせてもらいます」
どうにか笑顔を取り繕って、その場を離れる。カウンター席から囁き合う声が聞こえていたけれど、なにを言われてもある程度はしかたがないと思う。だって、騙していたようなものなのだ。
それにしても。
――俺、そんなにこのあいだしんどそうだったのかな。
八瀬が、お節介を焼いてやろうと考えてしまうほどに。
気を遣わせたのなら申し訳なかったなと思いながら着替えていると、達昭がバックヤードにのそりと入ってきた。
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