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「忙しいんだ? バイト」
駅に向かう道を三分の一ほど進んだところで問いかけられて、浅海は曖昧な笑みを浮かべた。
「あ、……忙しい、というか」
そう。シフトが極端に増えているわけではないのだ。ただ、なんというか。思い浮かんだ顔を打ち消して、当たり障りのない返答を選ぶ。
「ちょっと気疲れしてるのかもしれないです。新しい人が来たので」
「あぁ、まぁ、そうかもね。上が変わったら」
夜の空気にぴったりの、静かな声だった。八瀬のマンションは閑静な住宅街の一角にあったから、あまり人と行きかわない。
その静かな道をふたりで歩いているのは、少し変な感じだった。
でも、上が変わったなんて言ったかな。そんな疑問を覚えたものの、まぁ、一基さんだしな、ですぐに納得してしまった。この人の勘が鋭いのは今に始まったことではないし、一を聞いて十を知るを地で行く人なのだと思っている。
「でも、一ヶ月くらいのことなんで。だから、大丈夫です」
「それ、大丈夫じゃなくて、大丈夫って言い聞かせてるって言うんだよ」
浅海の言い方があまりにも言い聞かせているふうだったのか、八瀬が小さく笑った。そうしてから、こう付け加える。
「無理しなくていいからね、こっちは」
「え?」
「あぁ、だから、忙しかったらこっちは休んでいいよ。家のこともしてるって言ってなかったっけ」
「あ、はい。それは、そうなんですけど。もう、慣れてるので。そっちは生活の一部というか」
「主婦みたいなこと言うね」
それを言われると、まぁ、そうかもしれないとしか言いようがないのだけれど。
八瀬の家でのアルバイトをやめたくはなくて、「だから大丈夫です」と言い募る。
「大丈夫か、そっか」
なぜか苦笑気味に、八瀬は繰り返した。
「ぜんぶ浅海くんがやってるの? 妹さんいるんじゃなかったっけ」
「あ、はい。います」
「もうその子も中三なんでしょ。十分にできる年だと思うけどな」
「それはそうなんですけど。一応、受験生だし」
「でも、浅海くんは同じ年だったときにもやってたんでしょ」
「それは、まぁ……」
「もしかして、浅海くんが頼ってほしいの?」
その言葉に、妙にどきりとしてしまった。浅海の反応を知ってか知らずか、八瀬は淡々と言葉を紡いでいく。
「頼られたらうれしいとか、頼ってもらいたい、とかね。そういうのは、あんまりいいことじゃないよ。もちろん、優しいってわけでもない」
「……はい」
「耳障りのいい言葉で誤魔化してばかりいると、必ずいつか駄目になる。誰かのためは理由にならないし、自分の存在意義は自分で見出さないと意味がない。少なくとも、俺はそう思うよ」
あくまで自分は、というていで八瀬は話を終わらせたが、ぐさりと心に突き刺さった。
自覚があったからだ。
誰かに頼られたときにうまく断れないのは、昔からだ。どんなことであっても、自分にできることならいいかなと思ってしまう。
そんなふうだから、「なんでもかんでもほいほい引き受けるな」と幼馴染みに苦い顔をされた回数は数え切れない。
風見にも呆れたように「本当に断らないな」と何度も笑われた。
今回の達昭の件に関しても、そうだ。風見が知れば、弟を窘めてはくれるだろうが、自分にも「嫌なことは断れ」と言うにちがいない。
わかっている。
――けど、それにしても、グサッときたのな、今のは。
自分の偽善を見抜かれたように思うからなのだろうか。よりにもよって、この人に、と、そう。
でも、それってめちゃくちゃかっこわるい。
「ごめんね、説教くさくて」
「あ、いえ……、ありがとう、ございます」
自分が無言だったことに気がついて、慌ててぺこりと頭を下げる。そんなふうに言ってもらえるのはありがたいことだ。わかっている。
説教くさいなんて思ってもいない。ただ。
「わかってはいるんです」
ぽつりとこぼれた言い訳のようなそれに、前を向いていた八瀬の視線が動いた。必要以上に責めるでも、そうかといって慰めるでもない静かな瞳。
気恥ずかしくなって、浅海は小さく笑った。誤魔化すように。
「って、できてなかったら、なんの意味もないんですけどね」
「かわいいね、浅海くんは」
ふっと、なんでもないことのように八瀬が笑う。あ、と思った。また子ども扱いをさせてしまった。
隣を行く八瀬の横顔から視線を外して前を向く。
人にかわいいだとか、そういうふうに言われることは好きではない。けれど八瀬の言うそれは、外面ではなく内面を指しているように感じられるからか、不思議と嫌ではなかった。
とは言っても、褒められている、というよりは、そう言う以外に評しようがない、というふうではあったのだけれど。
だから、つまり、まるきりの子ども扱いということで。
――でもそれも、あたりまえのはずなのにな。
なんで寂しいように思ってしまうのだろう。この人といると、予想していなかったところに感情が揺れ動いてしまう。
少し前の話だ。八瀬にゲイなのかと問われたとき本当にわからなくて、わからないと浅海は答えた。
女も男も恋愛対象として考えたことはないから、誰かを好きになることを考えたことはないから、わからない、と。今まで誰にも言ったことのなかった本心を。
けれど、今は、即答できないかもしれない。
「浅海くん?」
「……なんでもないです」
つくりなれた笑みを浮かべて、浅海はそっと首を横に振った。
今だけだから。心の中でそう言い聞かせる。この人は不要だと感じたら、あっさりと捨ててくれる人だ。そうやって最初から最後まできちんと線を引いて、踏み込み過ぎないように教えてくれる、いい人。
この家にはじめてやってきたとき、たしかに自分はそう思ったはずだ。だから。
――それなのに、俺が踏み込みたくなったら意味ないだろ。
誰も好きになりたくない。特別なんてつくりたくない。だって、人の心は永遠じゃないから、いつか離れていってしまう。そのときに自分ばかりが好きだったら、すごくつらいし、苦しい。もう、そんな思いはしたくない。
だから、ちょうどいい距離でいたい。この人の望む距離にいたい。この人に、捨てられたくない。
だから。駅になんて着かなければいいのに。
駅に向かう道を三分の一ほど進んだところで問いかけられて、浅海は曖昧な笑みを浮かべた。
「あ、……忙しい、というか」
そう。シフトが極端に増えているわけではないのだ。ただ、なんというか。思い浮かんだ顔を打ち消して、当たり障りのない返答を選ぶ。
「ちょっと気疲れしてるのかもしれないです。新しい人が来たので」
「あぁ、まぁ、そうかもね。上が変わったら」
夜の空気にぴったりの、静かな声だった。八瀬のマンションは閑静な住宅街の一角にあったから、あまり人と行きかわない。
その静かな道をふたりで歩いているのは、少し変な感じだった。
でも、上が変わったなんて言ったかな。そんな疑問を覚えたものの、まぁ、一基さんだしな、ですぐに納得してしまった。この人の勘が鋭いのは今に始まったことではないし、一を聞いて十を知るを地で行く人なのだと思っている。
「でも、一ヶ月くらいのことなんで。だから、大丈夫です」
「それ、大丈夫じゃなくて、大丈夫って言い聞かせてるって言うんだよ」
浅海の言い方があまりにも言い聞かせているふうだったのか、八瀬が小さく笑った。そうしてから、こう付け加える。
「無理しなくていいからね、こっちは」
「え?」
「あぁ、だから、忙しかったらこっちは休んでいいよ。家のこともしてるって言ってなかったっけ」
「あ、はい。それは、そうなんですけど。もう、慣れてるので。そっちは生活の一部というか」
「主婦みたいなこと言うね」
それを言われると、まぁ、そうかもしれないとしか言いようがないのだけれど。
八瀬の家でのアルバイトをやめたくはなくて、「だから大丈夫です」と言い募る。
「大丈夫か、そっか」
なぜか苦笑気味に、八瀬は繰り返した。
「ぜんぶ浅海くんがやってるの? 妹さんいるんじゃなかったっけ」
「あ、はい。います」
「もうその子も中三なんでしょ。十分にできる年だと思うけどな」
「それはそうなんですけど。一応、受験生だし」
「でも、浅海くんは同じ年だったときにもやってたんでしょ」
「それは、まぁ……」
「もしかして、浅海くんが頼ってほしいの?」
その言葉に、妙にどきりとしてしまった。浅海の反応を知ってか知らずか、八瀬は淡々と言葉を紡いでいく。
「頼られたらうれしいとか、頼ってもらいたい、とかね。そういうのは、あんまりいいことじゃないよ。もちろん、優しいってわけでもない」
「……はい」
「耳障りのいい言葉で誤魔化してばかりいると、必ずいつか駄目になる。誰かのためは理由にならないし、自分の存在意義は自分で見出さないと意味がない。少なくとも、俺はそう思うよ」
あくまで自分は、というていで八瀬は話を終わらせたが、ぐさりと心に突き刺さった。
自覚があったからだ。
誰かに頼られたときにうまく断れないのは、昔からだ。どんなことであっても、自分にできることならいいかなと思ってしまう。
そんなふうだから、「なんでもかんでもほいほい引き受けるな」と幼馴染みに苦い顔をされた回数は数え切れない。
風見にも呆れたように「本当に断らないな」と何度も笑われた。
今回の達昭の件に関しても、そうだ。風見が知れば、弟を窘めてはくれるだろうが、自分にも「嫌なことは断れ」と言うにちがいない。
わかっている。
――けど、それにしても、グサッときたのな、今のは。
自分の偽善を見抜かれたように思うからなのだろうか。よりにもよって、この人に、と、そう。
でも、それってめちゃくちゃかっこわるい。
「ごめんね、説教くさくて」
「あ、いえ……、ありがとう、ございます」
自分が無言だったことに気がついて、慌ててぺこりと頭を下げる。そんなふうに言ってもらえるのはありがたいことだ。わかっている。
説教くさいなんて思ってもいない。ただ。
「わかってはいるんです」
ぽつりとこぼれた言い訳のようなそれに、前を向いていた八瀬の視線が動いた。必要以上に責めるでも、そうかといって慰めるでもない静かな瞳。
気恥ずかしくなって、浅海は小さく笑った。誤魔化すように。
「って、できてなかったら、なんの意味もないんですけどね」
「かわいいね、浅海くんは」
ふっと、なんでもないことのように八瀬が笑う。あ、と思った。また子ども扱いをさせてしまった。
隣を行く八瀬の横顔から視線を外して前を向く。
人にかわいいだとか、そういうふうに言われることは好きではない。けれど八瀬の言うそれは、外面ではなく内面を指しているように感じられるからか、不思議と嫌ではなかった。
とは言っても、褒められている、というよりは、そう言う以外に評しようがない、というふうではあったのだけれど。
だから、つまり、まるきりの子ども扱いということで。
――でもそれも、あたりまえのはずなのにな。
なんで寂しいように思ってしまうのだろう。この人といると、予想していなかったところに感情が揺れ動いてしまう。
少し前の話だ。八瀬にゲイなのかと問われたとき本当にわからなくて、わからないと浅海は答えた。
女も男も恋愛対象として考えたことはないから、誰かを好きになることを考えたことはないから、わからない、と。今まで誰にも言ったことのなかった本心を。
けれど、今は、即答できないかもしれない。
「浅海くん?」
「……なんでもないです」
つくりなれた笑みを浮かべて、浅海はそっと首を横に振った。
今だけだから。心の中でそう言い聞かせる。この人は不要だと感じたら、あっさりと捨ててくれる人だ。そうやって最初から最後まできちんと線を引いて、踏み込み過ぎないように教えてくれる、いい人。
この家にはじめてやってきたとき、たしかに自分はそう思ったはずだ。だから。
――それなのに、俺が踏み込みたくなったら意味ないだろ。
誰も好きになりたくない。特別なんてつくりたくない。だって、人の心は永遠じゃないから、いつか離れていってしまう。そのときに自分ばかりが好きだったら、すごくつらいし、苦しい。もう、そんな思いはしたくない。
だから、ちょうどいい距離でいたい。この人の望む距離にいたい。この人に、捨てられたくない。
だから。駅になんて着かなければいいのに。
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