298 / 484
第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅢ 0 ⑥
しおりを挟む
「どこまでも勝手だな、おまえは」
いまさらだけどな、と吐き捨てる声は、先ほど自分に向けられていたものより、ずっと呆れきっていて刺々しかった。
「おまえといい、成瀬といい、いつもいつも自分の身内のことばかり。立派なトップもいたもんだ」
「随分な言い方だな。それともなんだ。自分は全体を考えているとでも言いたいのか?」
「おまえらよりは、そうだろ」
投げやりに話を終わらせようとしていることは明らかだったが、茅野もまたそれ以上は言わなかった。行人にはよくわからなかった。茅野も成瀬も、行人にとっては優しくて、公平で、信頼できる先輩だったからだ。
それなのに、どうして、そんなことを言うのだろうか。そうして、どうして茅野は必要以上に言い返さないのだろうか。その戸惑いに応えたわけではないのだろうが、立ち去る前に、本尾はちらりと行人のほうを見やった。
「おまえもある意味災難だな。そんなところに配属されて」
「……え?」
思わずもれた声に対する、返答はなかった。歩き去っていく背を半ば呆然と見つめていると、茅野の手がもう一度行人の背を叩いた。
「荻原が探してたぞ」
「え? え、……あ」
「なんだ、忘れてたのか? あいつ、わざわざ寮にまで探しに戻ってきてたんだぞ」
苦笑まじりに告げられたそれに、茅野がこうして出てきてくれた理由を行人は察した。
「それは、その、……すみません」
なんだか、ものすごく要らない手間をかけてしまっている。恐縮したものの、気にするな、と茅野は軽く笑い飛ばした。
「ちょうどいい気分転換だ。だから、俺はかまわないが、……まぁ、荻原はあまり心配させてやるなよ。あいつはとんでもなく人が良いからな。胃に穴が開いたら困る」
「……気をつけます」
「それと、本尾のことは、あまり気にするな。感情的に行動するやつでもないし、おまえになにかすることもない。馬鹿じゃないからな」
心配するなと言われていることがわかったから、こくりと頷く。高藤からも似たようなことを言われた覚えはあるし、同学年のこの人が言うのなら、事実そうなのだろうと思ったからだ。
怖いと感じてしまうのは、自分の本能によるものが大きいのだろうな、とも。でも――。
引っかかるものを覚えて、逡巡の末に行人は問いかけた。
「じゃあ、茅野さんは、誰を馬鹿だと思ってるんですか?」
「そういう、おまえは?」
「え……っと」
間髪入れずに問い返されて、思わず言い淀む。
茅野が言った「馬鹿」は、後先考えずに動く、感情的な人間を指しているのだと思う。水城は、そういうタイプには見えない。けれど、なぜか天使のほほえみが浮かんで消えなかったのだ。
「べつに責めてるわけじゃない」
宥めるように、茅野はそう言った。
「なにを馬鹿だとするか、怖いと感じるかは、人それぞれだろうからな。強いて言うなら、水城のほうが厄介だとは思うが」
「厄介、ですか?」
「ああいうプライドばかりが高いタイプは、逃げどころをちゃんと残してやらないといけないから。そういう意味では面倒だというだけの話だ」
面倒、というのは、少しわかる気がした。プライドが高いことは悪いことではないと思うが、それがプラスの方向に作用するのであれば。
でも、そうならないときもある。プライドに雁字搦めにされることもある。頭でわかっていても、心が許容できないように。
そうまで思ったところで、ふとひとつ腑に落ちた。成瀬と対峙していたとき、どうして水城はあそこまで攻撃的な態度を取ったのか、不思議だったのだ。
ほかにも理由はあるのかもしれないが、成瀬がらしくないと思うほどの厳しさで逃げ道を絶って、言い訳を許さなかったからなのかもしれない。
「自分のプライドが最優先で、それ以外に守りたいものがない、という人間は、いざ負けそうだと悟ったときに、とんでもないことをしでかすことがあるからな」
まぁ、でも、と、笑って、茅野は話を切り替えた。
「せっかくの長期休暇なんだ。気にせず家でゆっくり過ごしたらいい」
素直に頷くべきだろうとわかっていたが、不服そうな声にしかならなかった。タイミングが悪すぎたのだ。驚異の遭遇率だったと言ってもいい。運が良いと思ったことはないが、それにしても、あまりにもあまりだった。
「そういう顔をしたくなる気持ちもわかるが」
ちょいちょいと眉間を指差されて、はっとして手で覆う。声だけではなく、表情も険しくなっていたらしい。下手をすれば、恨みがましく睨んでいた気がする。
「……すみません」
「べつに、それも謝らなくていい。それに、新学期が始まっても、しばらくは大人しくしてると思うぞ。だから、必要以上に気にするな」
「え?」
「成瀬が泳がせるのをやめたからな」
眉間を押さえたまま、まじまじと茅野を見上げる。その視線を受けて、茅野が笑った。なんでもない、さらりとしたいつもの調子で。
「おまえからすると、本尾や向原のほうが怖く見えるんだろうが、あいつは怖い男だぞ」
「怖い……」
呟いた行人に、それ以上の説明をするでもなく、茅野はただ繰り返した。それが事実だと告げるように。
「おまえが思っているよりも、たぶん、ずっとな」
いまさらだけどな、と吐き捨てる声は、先ほど自分に向けられていたものより、ずっと呆れきっていて刺々しかった。
「おまえといい、成瀬といい、いつもいつも自分の身内のことばかり。立派なトップもいたもんだ」
「随分な言い方だな。それともなんだ。自分は全体を考えているとでも言いたいのか?」
「おまえらよりは、そうだろ」
投げやりに話を終わらせようとしていることは明らかだったが、茅野もまたそれ以上は言わなかった。行人にはよくわからなかった。茅野も成瀬も、行人にとっては優しくて、公平で、信頼できる先輩だったからだ。
それなのに、どうして、そんなことを言うのだろうか。そうして、どうして茅野は必要以上に言い返さないのだろうか。その戸惑いに応えたわけではないのだろうが、立ち去る前に、本尾はちらりと行人のほうを見やった。
「おまえもある意味災難だな。そんなところに配属されて」
「……え?」
思わずもれた声に対する、返答はなかった。歩き去っていく背を半ば呆然と見つめていると、茅野の手がもう一度行人の背を叩いた。
「荻原が探してたぞ」
「え? え、……あ」
「なんだ、忘れてたのか? あいつ、わざわざ寮にまで探しに戻ってきてたんだぞ」
苦笑まじりに告げられたそれに、茅野がこうして出てきてくれた理由を行人は察した。
「それは、その、……すみません」
なんだか、ものすごく要らない手間をかけてしまっている。恐縮したものの、気にするな、と茅野は軽く笑い飛ばした。
「ちょうどいい気分転換だ。だから、俺はかまわないが、……まぁ、荻原はあまり心配させてやるなよ。あいつはとんでもなく人が良いからな。胃に穴が開いたら困る」
「……気をつけます」
「それと、本尾のことは、あまり気にするな。感情的に行動するやつでもないし、おまえになにかすることもない。馬鹿じゃないからな」
心配するなと言われていることがわかったから、こくりと頷く。高藤からも似たようなことを言われた覚えはあるし、同学年のこの人が言うのなら、事実そうなのだろうと思ったからだ。
怖いと感じてしまうのは、自分の本能によるものが大きいのだろうな、とも。でも――。
引っかかるものを覚えて、逡巡の末に行人は問いかけた。
「じゃあ、茅野さんは、誰を馬鹿だと思ってるんですか?」
「そういう、おまえは?」
「え……っと」
間髪入れずに問い返されて、思わず言い淀む。
茅野が言った「馬鹿」は、後先考えずに動く、感情的な人間を指しているのだと思う。水城は、そういうタイプには見えない。けれど、なぜか天使のほほえみが浮かんで消えなかったのだ。
「べつに責めてるわけじゃない」
宥めるように、茅野はそう言った。
「なにを馬鹿だとするか、怖いと感じるかは、人それぞれだろうからな。強いて言うなら、水城のほうが厄介だとは思うが」
「厄介、ですか?」
「ああいうプライドばかりが高いタイプは、逃げどころをちゃんと残してやらないといけないから。そういう意味では面倒だというだけの話だ」
面倒、というのは、少しわかる気がした。プライドが高いことは悪いことではないと思うが、それがプラスの方向に作用するのであれば。
でも、そうならないときもある。プライドに雁字搦めにされることもある。頭でわかっていても、心が許容できないように。
そうまで思ったところで、ふとひとつ腑に落ちた。成瀬と対峙していたとき、どうして水城はあそこまで攻撃的な態度を取ったのか、不思議だったのだ。
ほかにも理由はあるのかもしれないが、成瀬がらしくないと思うほどの厳しさで逃げ道を絶って、言い訳を許さなかったからなのかもしれない。
「自分のプライドが最優先で、それ以外に守りたいものがない、という人間は、いざ負けそうだと悟ったときに、とんでもないことをしでかすことがあるからな」
まぁ、でも、と、笑って、茅野は話を切り替えた。
「せっかくの長期休暇なんだ。気にせず家でゆっくり過ごしたらいい」
素直に頷くべきだろうとわかっていたが、不服そうな声にしかならなかった。タイミングが悪すぎたのだ。驚異の遭遇率だったと言ってもいい。運が良いと思ったことはないが、それにしても、あまりにもあまりだった。
「そういう顔をしたくなる気持ちもわかるが」
ちょいちょいと眉間を指差されて、はっとして手で覆う。声だけではなく、表情も険しくなっていたらしい。下手をすれば、恨みがましく睨んでいた気がする。
「……すみません」
「べつに、それも謝らなくていい。それに、新学期が始まっても、しばらくは大人しくしてると思うぞ。だから、必要以上に気にするな」
「え?」
「成瀬が泳がせるのをやめたからな」
眉間を押さえたまま、まじまじと茅野を見上げる。その視線を受けて、茅野が笑った。なんでもない、さらりとしたいつもの調子で。
「おまえからすると、本尾や向原のほうが怖く見えるんだろうが、あいつは怖い男だぞ」
「怖い……」
呟いた行人に、それ以上の説明をするでもなく、茅野はただ繰り返した。それが事実だと告げるように。
「おまえが思っているよりも、たぶん、ずっとな」
11
お気に入りに追加
141
あなたにおすすめの小説
幸せのカタチ
杏西モジコ
BL
幼馴染の須藤祥太に想いを寄せていた唐木幸介。ある日、祥太に呼び出されると結婚の報告をされ、その長年の想いは告げる前に玉砕する。ショックのあまり、その足でやけ酒に溺れた幸介が翌朝目覚めると、そこは見知らぬ青年、福島律也の自宅だった……。
拗れた片想いになかなか決着をつけられないサラリーマンが、新しい幸せに向かうお話。
ガラス玉のように
イケのタコ
BL
クール美形×平凡
成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。
親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。
とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。
圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。
スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。
ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。
三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。
しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。
三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
眺めるほうが好きなんだ
チョコキラー
BL
何事も見るからこそおもしろい。がモットーの主人公は、常におもしろいことの傍観者でありたいと願う。でも、彼からは周りを虜にする謎の色気がムンムンです!w
顔はクマがあり、前髪が長くて顔は見えにくいが、中々美形…!
そんな彼は王道をみて楽しむ側だったのに、気づけば自分が中心に!?
てな感じの巻き込まれくんでーす♪
理香は俺のカノジョじゃねえ
中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。
罪人の僕にはあなたの愛を受ける資格なんてありません。
にゃーつ
BL
真っ白な病室。
まるで絵画のように美しい君はこんな色のない世界に身を置いて、何年も孤独に生きてきたんだね。
4月から研修医として国内でも有数の大病院である国本総合病院に配属された柏木諒は担当となった患者のもとへと足を運ぶ。
国の要人や著名人も多く通院するこの病院には特別室と呼ばれる部屋がいくつかあり、特別なキーカードを持っていないとそのフロアには入ることすらできない。そんな特別室の一室に入院しているのが諒の担当することになった国本奏多だった。
看護師にでも誰にでも笑顔で穏やかで優しい。そんな奏多はスタッフからの評判もよく、諒は楽な患者でラッキーだと初めは思う。担当医師から彼には気を遣ってあげてほしいと言われていたが、この青年のどこに気を遣う要素があるのかと疑問しかない。
だが、接していくうちに違和感が生まれだんだんと大きくなる。彼が異常なのだと知るのに長い時間はかからなかった。
研修医×病弱な大病院の息子
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる