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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅢ 0 ④
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「荻原だからだろ。茅野さん、寮生委員を選ぶ目には自信があるって前に豪語してたし」
その理屈で言うと、現寮生委員の自分も褒めているみたいだな、という気がうっすらと湧いてきたが、さておいておく。自分は、……なんというか、高藤の代打みたいなものだし。
「実際、荻原いいやつだから……って、なんだよ?」
妙にまじまじと凝視されていることに気がついて、気恥ずかしさから声が尖る。らしくないことを言ってしまったと思い至ったからだ。
その反応に、慌てたように荻原が首を横に振る。
「ごめん、ごめん。榛名ちゃんにこんなふうにストレートに褒められるとは思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃって」
「悪かったな」
「なんで? 悪くないよ、ありがとう。うれしい」
素直すぎる返答に、不承不承で「べつに」と呟く。その裏表のなさをほんの少し羨ましく思いながら。
高藤とはまた少し違うけれど、荻原もあまりアルファらしくないアルファだった。偉ぶることなく、いつも周囲を見て気遣っている。
だから、そういった人間を寮を管理する側に選ぶ茅野は、人を見る目があるのだろうと思う。
「榛名ちゃんがそう言ってくれるなら、来年もがんばろうっていう気になるなぁ」
「……その言い方はどうかと思う」
この数ヶ月で、いいやつだと思うようになったことは事実だが、軽い物言いはやっぱりちょっと気に入らない。
トーンの下がった行人の声に、荻原は「本当にそう思ったから言っただけだよ」と弁明していたけれど。
どこか必死な雰囲気に思わずふっと笑みをこぼす。寮生委員の雑務をこなしているあいだに帰宅のピークは過ぎたようで、学園内を歩く生徒の姿はまばらだった。
そのままふたりで校門に向かっていると、携帯電話の振動音が響いた。自分のものではない。となりに視線を向ければ、荻原が携帯電話を取り出していて。
「ごめん、俺だ。――はい、もしもし」
断りひとつで、荻原が行人に背を向けた。距離を取ったということは、すぐに終わる相手ではないということなのだろう、べつに先に帰っても良かったのだが、そうはしなかった。
少し離れたところにある木陰を避難場所に定めて、ふらりと足を進める。暑いは暑いが、湿度はそこまで高くはない。陰にさえ入っていれば、待つこともそこまで苦ではないのだ。荻原の死角に来てしまったが、電話が終わったころを見計らって戻れば問題はないだろう。
そう決めて、行人はふぅと息を吐いた。木々の隙間からのぞく空はどこまでも青く、いかにも夏という感じだった。
あっというまだったな、と思う。本当に、信じられないくらい密度の濃い学期だった。
来期はもう少しでいいから、落ち着けばいいんだけど。他力本願な考えが浮かんだ瞬間、嫌な声が聞こえた気がして、行人はぎょっと周囲を見渡した。そうして見つけた大小の影に、やっぱりと肩を落とす。
もうひとりが誰なのかはわからないが、小さいほうは、できれば会いたくない生徒ランキングの上位に位置する人間――水城だったからだ。
幸いなことに、向こうはまだ行人の存在に気がついていないらしい。どうしようか、と悩んだのはそう長い時間ではなかった。
――いや、べつに、声をかけられたからって、なにがどうってことじゃないんだけど。
そう、なにをされるわけでもないし、めちゃくちゃに嫌なことを言われるわけでも、たぶんない。
あのかわいらしい外面で、にこにこと手を振られて終わりだろうとわかっている。それでも、嫌なものは嫌だし、そんな感情を家に持ち帰りたくはない。
結局、行人は、そそくさと道を外れて建物の影に身を潜めることを選んだ。ものの数分もしないうちに、楽しそうな話し声が耳に届き始める。ギリギリセーフだったらしい。
「――だなぁ。轟くんのお家。でも、本当にずっとお世話になってもよかったの?」
「もちろん。俺から誘ったんだし、遠慮しないでくつろいでって。うち、親も余計な干渉してこないから」
「本当? ありがとう」
「ハルちゃんこそ、本当に一回も家戻んなくてよかったの? 荷物とか――、まぁ、必要になったら俺が用意するよ」
「うん、ありがとう。轟くんは優しいなぁ。僕、夏休みがこんなに楽しみなのはじめてだよ」
次第に遠ざかっていく声に、行人はほっと胸を撫で下ろした。
とりあえず気づかれなかったらしい。気づかれていたとしても、無視してもらえたのなら、それでなにも問題はない。でも、それにしても。
その理屈で言うと、現寮生委員の自分も褒めているみたいだな、という気がうっすらと湧いてきたが、さておいておく。自分は、……なんというか、高藤の代打みたいなものだし。
「実際、荻原いいやつだから……って、なんだよ?」
妙にまじまじと凝視されていることに気がついて、気恥ずかしさから声が尖る。らしくないことを言ってしまったと思い至ったからだ。
その反応に、慌てたように荻原が首を横に振る。
「ごめん、ごめん。榛名ちゃんにこんなふうにストレートに褒められるとは思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃって」
「悪かったな」
「なんで? 悪くないよ、ありがとう。うれしい」
素直すぎる返答に、不承不承で「べつに」と呟く。その裏表のなさをほんの少し羨ましく思いながら。
高藤とはまた少し違うけれど、荻原もあまりアルファらしくないアルファだった。偉ぶることなく、いつも周囲を見て気遣っている。
だから、そういった人間を寮を管理する側に選ぶ茅野は、人を見る目があるのだろうと思う。
「榛名ちゃんがそう言ってくれるなら、来年もがんばろうっていう気になるなぁ」
「……その言い方はどうかと思う」
この数ヶ月で、いいやつだと思うようになったことは事実だが、軽い物言いはやっぱりちょっと気に入らない。
トーンの下がった行人の声に、荻原は「本当にそう思ったから言っただけだよ」と弁明していたけれど。
どこか必死な雰囲気に思わずふっと笑みをこぼす。寮生委員の雑務をこなしているあいだに帰宅のピークは過ぎたようで、学園内を歩く生徒の姿はまばらだった。
そのままふたりで校門に向かっていると、携帯電話の振動音が響いた。自分のものではない。となりに視線を向ければ、荻原が携帯電話を取り出していて。
「ごめん、俺だ。――はい、もしもし」
断りひとつで、荻原が行人に背を向けた。距離を取ったということは、すぐに終わる相手ではないということなのだろう、べつに先に帰っても良かったのだが、そうはしなかった。
少し離れたところにある木陰を避難場所に定めて、ふらりと足を進める。暑いは暑いが、湿度はそこまで高くはない。陰にさえ入っていれば、待つこともそこまで苦ではないのだ。荻原の死角に来てしまったが、電話が終わったころを見計らって戻れば問題はないだろう。
そう決めて、行人はふぅと息を吐いた。木々の隙間からのぞく空はどこまでも青く、いかにも夏という感じだった。
あっというまだったな、と思う。本当に、信じられないくらい密度の濃い学期だった。
来期はもう少しでいいから、落ち着けばいいんだけど。他力本願な考えが浮かんだ瞬間、嫌な声が聞こえた気がして、行人はぎょっと周囲を見渡した。そうして見つけた大小の影に、やっぱりと肩を落とす。
もうひとりが誰なのかはわからないが、小さいほうは、できれば会いたくない生徒ランキングの上位に位置する人間――水城だったからだ。
幸いなことに、向こうはまだ行人の存在に気がついていないらしい。どうしようか、と悩んだのはそう長い時間ではなかった。
――いや、べつに、声をかけられたからって、なにがどうってことじゃないんだけど。
そう、なにをされるわけでもないし、めちゃくちゃに嫌なことを言われるわけでも、たぶんない。
あのかわいらしい外面で、にこにこと手を振られて終わりだろうとわかっている。それでも、嫌なものは嫌だし、そんな感情を家に持ち帰りたくはない。
結局、行人は、そそくさと道を外れて建物の影に身を潜めることを選んだ。ものの数分もしないうちに、楽しそうな話し声が耳に届き始める。ギリギリセーフだったらしい。
「――だなぁ。轟くんのお家。でも、本当にずっとお世話になってもよかったの?」
「もちろん。俺から誘ったんだし、遠慮しないでくつろいでって。うち、親も余計な干渉してこないから」
「本当? ありがとう」
「ハルちゃんこそ、本当に一回も家戻んなくてよかったの? 荷物とか――、まぁ、必要になったら俺が用意するよ」
「うん、ありがとう。轟くんは優しいなぁ。僕、夏休みがこんなに楽しみなのはじめてだよ」
次第に遠ざかっていく声に、行人はほっと胸を撫で下ろした。
とりあえず気づかれなかったらしい。気づかれていたとしても、無視してもらえたのなら、それでなにも問題はない。でも、それにしても。
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