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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅡ 1 ③
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大丈夫、でも余計なことは言うな、するな。と告げている瞳に、はっとして小さく頷く。ここで乗せられて失言をしたら、それこそ水城の思うつぼだということはわかったからだ。
すぐに頭に血が上りそうになる自分を戒めて、行人は荻原たちのやりとりを注視することにした。自分とは違い、荻原は変わらない態度でやんわりとたしなめている。
「そんなことはないと思うけど。でも、まぁ、門限を過ぎたら、所属寮から出たら駄目なわけだし。そういう意味では寮長としては入れてあげられないんじゃないかな」
「もちろん、僕もそれはわかってるよ。でも、そんなこと言ってられないくらい心配になっちゃって。――だって、昨日、そっちの寮が騒がしかった原因、会長でしょう?」
「……え?」
「もしかして、荻原くんは知らなかったの? 僕はずっと知ってたんだけど。……これも僕がオメガだからなのかな。同じ人のことはすぐにわかるんだ」
戸惑った反応を示した荻原に向かって、水城ははっきりと断言してみせた。
「あの人はオメガだよ」
興味本位の視線を送りながらも通り過ぎようとして生徒たちの足が、次々に止まっていくのを、半ば呆然と行人は見ていた。自分たちを取り囲むように人だかりができ始めている。
第二の性は公然と口にしていいものではない。誰もが知っているはずの、あたりまえの倫理観だ。それを、こんなにもあっさりと破ってみせる人間がいることが信じられなかった。
「なに言ってんの、ハルちゃん」
一番最初に我に返ったのは荻原だった。背後の行人たちを気にしているのか、言い聞かせる声の語尾がきつい。
「そんなことあるわけないし。そもそも、こんなところでする話じゃないでしょ、そういうのは」
「どうして?」
それでも、水城は悪意のない顔をとめなかった。
「どうして言っちゃ駄目なの? 恥ずかしいことでもないし、隠すようなことでもないのに」
「いや、そういう問題じゃ」
「それとも、荻原くんは、僕のことも恥ずかしいって思ってる? もしそうだったら、ちょっと悲しいな」
言葉どおりのしゅんとした表情に、荻原が「そんなことは思ってないよ」と慌てて口調を和らげる。
「けど、そういう話でもないよね」
そうだ。そんな話では、ひとつもない。恥ずかしいだとか、隠すだとか、そういうことではないはずだ。
気のせいではなく突き刺さる視線を感じたまま、行人はぎゅっと手のひらを握りしめた。うつむくことはせず、静かに水城を睨みつける。
余計な介入をすべきではないということは、わかっていたからだ。それに、ここで自分が主張をしても、きっと同じことになる。よくわからない理屈のままに、水城は自分を被害者にしてしまう。
それに、あの人は、自分が手を出すことを絶対に望まない。それもわかっている。でも。
――なんで、好き勝手に踏み荒らすのがこいつなんだ。
ここは、あの人たちが大切につくり上げた場所なのに。それなのに――。
肩を叩かれたのは、堪えていた我慢が爆発しそうになった、まさにそのときだった。ばっと振り返る。
「成瀬さ……」
覚えた安堵で、呼びかけが途切れてしまった。何度も見てきた、行人を安心させてくれる、優しくて強いほほえみ。なんの理由もなくても、大丈夫だといつだって信じることができた。
この人がいたら、大丈夫だと、そう。
もう一度小さくほほえんでから、行人をうしろに追いやる。ざわつく周囲も、好奇の視線も、なにもかも気にしないいつもどおりの顔で、成瀬は口を開いた。
「俺がオメガ、ね」
静かなのに、騒音を打ち消すだけの力がある声だった。静まり返った生徒たちをぐるりと見渡した彼の視線が、水城のところで止まる。
「随分と楽しそうに話してたみたいだけど、荻原の言うとおりだな。こんなところでする話じゃないと思うけど、――俺に言いたいことでもあった?」
「あなたを待ってたんです」
いっさいの気おくれなく、水城がにこりと笑った。
「言いたいこと、というか、お顔を見たかったんです。心配だったので。でも、よかった。お元気そうで安心しました」
「心配? なにを」
「昨日のことです。僕もオメガだから、他人事とはとても思えなくて、だから」
「きみにそれを吹き込んだの、誰だか当ててみせようか」
黙って話を聞いていた成瀬が、そこでふっと笑ってみせた。
「本尾だよね」
すぐに頭に血が上りそうになる自分を戒めて、行人は荻原たちのやりとりを注視することにした。自分とは違い、荻原は変わらない態度でやんわりとたしなめている。
「そんなことはないと思うけど。でも、まぁ、門限を過ぎたら、所属寮から出たら駄目なわけだし。そういう意味では寮長としては入れてあげられないんじゃないかな」
「もちろん、僕もそれはわかってるよ。でも、そんなこと言ってられないくらい心配になっちゃって。――だって、昨日、そっちの寮が騒がしかった原因、会長でしょう?」
「……え?」
「もしかして、荻原くんは知らなかったの? 僕はずっと知ってたんだけど。……これも僕がオメガだからなのかな。同じ人のことはすぐにわかるんだ」
戸惑った反応を示した荻原に向かって、水城ははっきりと断言してみせた。
「あの人はオメガだよ」
興味本位の視線を送りながらも通り過ぎようとして生徒たちの足が、次々に止まっていくのを、半ば呆然と行人は見ていた。自分たちを取り囲むように人だかりができ始めている。
第二の性は公然と口にしていいものではない。誰もが知っているはずの、あたりまえの倫理観だ。それを、こんなにもあっさりと破ってみせる人間がいることが信じられなかった。
「なに言ってんの、ハルちゃん」
一番最初に我に返ったのは荻原だった。背後の行人たちを気にしているのか、言い聞かせる声の語尾がきつい。
「そんなことあるわけないし。そもそも、こんなところでする話じゃないでしょ、そういうのは」
「どうして?」
それでも、水城は悪意のない顔をとめなかった。
「どうして言っちゃ駄目なの? 恥ずかしいことでもないし、隠すようなことでもないのに」
「いや、そういう問題じゃ」
「それとも、荻原くんは、僕のことも恥ずかしいって思ってる? もしそうだったら、ちょっと悲しいな」
言葉どおりのしゅんとした表情に、荻原が「そんなことは思ってないよ」と慌てて口調を和らげる。
「けど、そういう話でもないよね」
そうだ。そんな話では、ひとつもない。恥ずかしいだとか、隠すだとか、そういうことではないはずだ。
気のせいではなく突き刺さる視線を感じたまま、行人はぎゅっと手のひらを握りしめた。うつむくことはせず、静かに水城を睨みつける。
余計な介入をすべきではないということは、わかっていたからだ。それに、ここで自分が主張をしても、きっと同じことになる。よくわからない理屈のままに、水城は自分を被害者にしてしまう。
それに、あの人は、自分が手を出すことを絶対に望まない。それもわかっている。でも。
――なんで、好き勝手に踏み荒らすのがこいつなんだ。
ここは、あの人たちが大切につくり上げた場所なのに。それなのに――。
肩を叩かれたのは、堪えていた我慢が爆発しそうになった、まさにそのときだった。ばっと振り返る。
「成瀬さ……」
覚えた安堵で、呼びかけが途切れてしまった。何度も見てきた、行人を安心させてくれる、優しくて強いほほえみ。なんの理由もなくても、大丈夫だといつだって信じることができた。
この人がいたら、大丈夫だと、そう。
もう一度小さくほほえんでから、行人をうしろに追いやる。ざわつく周囲も、好奇の視線も、なにもかも気にしないいつもどおりの顔で、成瀬は口を開いた。
「俺がオメガ、ね」
静かなのに、騒音を打ち消すだけの力がある声だった。静まり返った生徒たちをぐるりと見渡した彼の視線が、水城のところで止まる。
「随分と楽しそうに話してたみたいだけど、荻原の言うとおりだな。こんなところでする話じゃないと思うけど、――俺に言いたいことでもあった?」
「あなたを待ってたんです」
いっさいの気おくれなく、水城がにこりと笑った。
「言いたいこと、というか、お顔を見たかったんです。心配だったので。でも、よかった。お元気そうで安心しました」
「心配? なにを」
「昨日のことです。僕もオメガだから、他人事とはとても思えなくて、だから」
「きみにそれを吹き込んだの、誰だか当ててみせようか」
黙って話を聞いていた成瀬が、そこでふっと笑ってみせた。
「本尾だよね」
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