パーフェクトワールド

木原あざみ

文字の大きさ
上 下
180 / 484
第三部

パーフェクト・ワールド・エンド13 ②

しおりを挟む



「薬が欲しい?」

 診療時間外の電話を最後まで聞き終えた、彼の第一声がそれだった。声は至って穏やかなのに、叱られているような感覚を覚えてしまう。
 居心地の悪さを抱きながらも、いつもどおりの調子で、はいと頷く。
 根負けしたような溜息が響いたのは、沈黙を挟んでからだった。

「あのね、祥平くん。医者としてあたりまえの話をしたいんだけど、この薬は診療なしで渡すことはできないよ」
「それはわかってます。ただ」
「きみが自由な時間をなかなか取れないということは、僕も承知してる。だから、なにかあれば頼りなさい、とも言ったんだ。この五年――もう、六年か、そういった連絡がなかったから、安心していたんだけどね」
「すみません」

 気のない謝罪にか、電話の向こうで小さな笑い声が立った。

「やっぱり、最後までなにもなしに、は無理だったか」
「大丈夫です。問題は起きてません」
「そうは言うけど、問題がなければこんな電話を寄こさないだろう、きみは。まぁ、僕は僕で勝手に責任を感じているだけだから、そこをきみがどうのこうのと思う必要はないけどね」

 おざなりに、すみませんと繰り返すと、苦笑まじりの返答があった。

「きみをアルファだと偽った一件が露見すれば、僕の首も飛ぶからね」

 一蓮托生ってやつだね、と軽口のように彼が言う。生じた苛立ちを押し込んで、あくまでもなんでもないように成瀬は応じた。べつに、自分が頼んだわけでも、なんでもない。

「だったら、最初からあの人のわがままなんて聞かなければよかったでしょう」
「そうだね。いくら旧知の仲だと言っても、危ない橋を渡りすぎたかもしれないな」

 自分の母親と、この医者がどういう関係だったのかも知らないし、どういうわがままを通したのかも知らない。
 ただ、自分の公的な身分証に記載されている第二の性がアルファであることは事実だった。
 黙ったままでいると、話しかけてくる声のトーンが切り替わった。

「と、きみの罪悪感を刺激するのはこのくらいにしておいて」
「……なんですか」
「そもそも、処方した薬は、まだ十分手元に残っていないとおかしいはずなんだけど。どうだろう」
 
 言い含めるように、言葉が続く。

「それにね。僕がきみに一度に多量の処方をしているのは、きみを信用していたからだよ」
「わかってます」
「意味のないオーバードーズはきみならしない。ちゃんと正確に管理できるってね」
「だから」

 できている。問題はない。言い募ろうとした言葉の無意味さに気づいて、その先を呑み込む。電話の向こうで、また溜息を吐かれたのがわかった。向こうも隠す気はない――どころか、自分が大人に諭されることを厭っていると知っていて、やっているのだ。
 苛立ってるくらいのほうが、いつものすまし顔よりかわいげがあるね、と何度か言われたことがある。
 そのほうが、本音が見えるしね、とも。

「それができなくなっているというのなら、問題だ」
「わかってます」

 そうだ。わかってはいる。だから、こうしてかけたくもない電話をしているのだ。

「わかってるのなら、一度うちに来なさい」

 呆れた声で繰り返されて、一度黙り込む。折れてくれそうにないとわかったからだ。

「授業が終わってからでいいから。ちゃんと外出許可を取って、診察を受けに来なさい。そうでないと渡せない」

 面倒だな、という感想しか持てなかった。この人に会わないといけないのも面倒だし、今のこの学園で、いつもと違う行動を取ることも面倒だ。
 けれど、そうしないことには、どうにもならない。しかたないと自身に言い聞かせることで了承を告げて、通話を切る。次の瞬間にもれたのは、舌打ちだった。
 面倒くさかった。お説教を聞かされることも、そんな事態を引き起こしている自分自身も、なにもかもが。

 ――そもそもで言えば、薬なんて飲まないに越したことはないんだよ。

 昔、何度も聞いた話だった。その選択を自分が取ることはないとわかっているくせに、医者の義務だといった顔で繰り返し説いてみせる。それが正しい選択なのだと静かに主張する声が、成瀬は嫌いだった。

 ――薬を飲まずに済む一番簡単で、有効な手段がなにか。きみも知ってるよね。

 知っているに決まっているし、だからこそ、選ぶつもりはなかった。そのこともわかっているくせに、彼は診察の隙間時間にいつもそう語りかけてきた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

幸せのカタチ

杏西モジコ
BL
幼馴染の須藤祥太に想いを寄せていた唐木幸介。ある日、祥太に呼び出されると結婚の報告をされ、その長年の想いは告げる前に玉砕する。ショックのあまり、その足でやけ酒に溺れた幸介が翌朝目覚めると、そこは見知らぬ青年、福島律也の自宅だった……。 拗れた片想いになかなか決着をつけられないサラリーマンが、新しい幸せに向かうお話。

ガラス玉のように

イケのタコ
BL
クール美形×平凡 成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。 親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。 とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。 圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。 スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。 ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。 三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。 しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。 三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

眺めるほうが好きなんだ

チョコキラー
BL
何事も見るからこそおもしろい。がモットーの主人公は、常におもしろいことの傍観者でありたいと願う。でも、彼からは周りを虜にする謎の色気がムンムンです!w 顔はクマがあり、前髪が長くて顔は見えにくいが、中々美形…! そんな彼は王道をみて楽しむ側だったのに、気づけば自分が中心に!? てな感じの巻き込まれくんでーす♪

理香は俺のカノジョじゃねえ

中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

罪人の僕にはあなたの愛を受ける資格なんてありません。

にゃーつ
BL
真っ白な病室。 まるで絵画のように美しい君はこんな色のない世界に身を置いて、何年も孤独に生きてきたんだね。 4月から研修医として国内でも有数の大病院である国本総合病院に配属された柏木諒は担当となった患者のもとへと足を運ぶ。 国の要人や著名人も多く通院するこの病院には特別室と呼ばれる部屋がいくつかあり、特別なキーカードを持っていないとそのフロアには入ることすらできない。そんな特別室の一室に入院しているのが諒の担当することになった国本奏多だった。 看護師にでも誰にでも笑顔で穏やかで優しい。そんな奏多はスタッフからの評判もよく、諒は楽な患者でラッキーだと初めは思う。担当医師から彼には気を遣ってあげてほしいと言われていたが、この青年のどこに気を遣う要素があるのかと疑問しかない。 だが、接していくうちに違和感が生まれだんだんと大きくなる。彼が異常なのだと知るのに長い時間はかからなかった。 研修医×病弱な大病院の息子

処理中です...