パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

パーフェクト・ワールド・エンドⅤ ⑤

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 幼かった当時、成瀬の身近にいたアルファのなかで一番「まとも」だったのは、あの幼馴染みだった。
 両親のような高慢さを持たない、公平で優しく、それでいてアルファだと判断される空気も持っていた、年下の少年。
 アルファとして生きていくための、最良の参考材料だった。持って生まれた自分の性格と大きく乖離していなかったことも幸いして、真似ることは苦痛ではなかった。難しくもなかった。けれど、――だから。
 この学園の生徒たちが「会長」と崇めている自分は、紛い物だ。そうあるべきは、自分ではなかった。

 だから、行人が好きなのも、あいつが好きなのも、俺だとしても、俺じゃない。

 あたりまえのことを、あたりまえに言い聞かす。あたりまえなのに、なんでいまさらになって、こんなふうに思ってしまうのか。自分でもわからなかった。
 あと一年もないのに。そのあいだ、アルファの生徒会長を演じきれば、それでひとつ区切りがつくのに。
 そうすれば、また少し変わる。そうしていつか、ここであったことも、――箱のなかの楽園だと思って大切にしていた記憶も、すべて呑み込んでなかったことになっていく。そうなっていくはずだった。
 それなのに、いつからかおかしくなりかけてしまっていた。

 ――あなたが、私の自慢のアルファであるうちは、私は協力も努力も惜しまないわ。

 あなたがアルファであることは、あなた自身を守るための最善の策なのよ、という台詞は、幼いころから幾度となく刷り込まれてきたものだった。
 それを最後に面と向かって言われたのは、この学園に入学する前夜だった。そういうのを洗脳って言うんだよ、と呆れた顔で向原に指摘されたこともあるが、すべてが間違っているとはそれでも思えなかった。
 どうかと思うところはいくらでもある。けれど、あの人が言ったように、自分がアルファでさえあれば、うまく回る物事というものも、いくらでもあったのだ。

 ――だから、もし、アルファでいることができなくなったのなら、覚悟を決めるしかないわ。あなたにできるのは、そこまでよ。

 ずっと距離を置いていたはずの記憶ばかりがよみがえって、成瀬はそっと息を吐いた。
 認めたくはないが、相当やられている。こんなことくらいで、感情をコントロールできなくなる自分なんて、自分じゃない。
 ずっとそうやってひとりで生きてきたのだ。今までだって、一度だって、誰かを頼ったことはない。そう思っていたかった。

「今日にでも、皓太には話してみる」

 顔を上げて、いつものとおりにほほえむ。できることはそのくらいしかなかった。

「了解。おまえが言うとおり、受けてくれたら助かるんだけどな」
「たぶん大丈夫じゃないかな。……まぁ、茅野にはちょっと恨まれそうだけど」
「あぁ、あいつ、今、寮生委員か」

 そりゃ気の毒に、と笑っていた篠原が、ふと思いついたようにこう言った。

「補選のついでにさ、補佐ももうちょっと増やさねぇ?」
「あー……、うん。どうかな」

 これ見よがしに積み上がっている書類の山を指差されて、曖昧に頷く。その乗り気でない様子に、「あのなぁ」と篠原が眉を上げた。

「この際だから言っておくけどな。そもそもうちの生徒会が慢性的に人手不足なのは、おまえのえり好みが激しいせいだぞ?」
「でも、規定に反してはないだろ」

 最低限の人数で運営を回していた自覚はあるが、できているのだから問題はないはずだ。

「人数が多くても面倒だし」
「……おまえに憧れて入りたがってたやつらに聞かせてやりてぇよ、その台詞」
「なら、その時代のうちに増やしておいたほうがよかったかな」
「べつに、今も入りたがるやつはいくらでもいるだろ」

 気遣っているかのようなそれに、成瀬は小さく笑った。持ったままになっていた書類に目を通しながら。

「補選の手続きは皓太に話してから始めるつもりだから、適当に帰っていいよ」

 そもそも、こんな時間まで篠原が居残っていることが珍しいのだ。だらだらと喋っていることはあっても、仕事で、となると特に。

「おまえは?」
「もう少ししたら帰る」
「ま、じゃぁ、それくらいまで付き合ってやるよ」

 処理の終わった書類を箱に入れながら、呼びかける。

「篠原。おまえ、向原になんか言われただろ」

 責めたつもりはなかったのだが、バツの悪そうな間があった。

「だから、あいつはおまえのこと大事にしてんだって、本当に」

 半ば諦めた口調で繰り返されて、成瀬は口元だけで笑った。
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