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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅢ ④
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「成瀬さんが来たら目立つだろうけど。まぁ、でも、いい牽制か」
「牽制って、水城くんに?」
なんでまたというふうな問いかけに返ってきたのは、重い溜息だった。
「うちのクラスの女王様だから、一年じゃ太刀打ちできないし。そのへんの上級生でも意味ないんだよ」
「大変そうだな」
気の毒になって慰めると、「そうだね」とまたうんざりとした返事があった。
「こんなこと言いたくないけど、驚いたな。たったひとりオメガがいるだけで、こうも変わってくるのかって」
「うん」
「最近じゃ、アルファだなんだって言ったところで、オメガのフェロモンには敵わないんだなっていう気までしてきた」
「そうかな」
「そうでしょ。どいつもこいつも『ハルちゃん、ハルちゃん』で宗教みたいだし」
きつい言葉に、すれ違った一年生がぎょっと動きを止める。注がれる視線に居心地が悪くなったのか、皓太が前言を撤回した。随分とおざなりな口調ではあったが。
「あー……、ごめん。すみません」
「俺に謝ることはないけど」
誰かをあからさまに悪く言うことも、第二の性に批判的に言及したことも、珍しいなとは思ったが、それだけだ。
人の目のある校舎内であることを意識したらしく、囁くような声に変わる。
「その、ちょっと、苦手で。そうじゃないやつが圧倒的に多いから、言わないようにしてるんだけど。成瀬さんは違うから、つい」
「べつに、それは。話を聞くくらいならいくらでもするし」
「ありがと、ごめん。みんな成瀬さんたちみたいに冷静だったらいいんだけどな。まぁ、三年でもわざわざあいつに会いにくる人もいるから、三年だったらどうとは一概に言えないけど。それに――」
そこで、ふいに言葉が途切れた。どうかしたのかと尋ねようとしたタイミングで、人だかりができあがっていることに気がついた。普通科の一年生の教室があるフロアだ。
人だかりをじっと見つめていた皓太が、いぶかしげに呟く。
「あれ、榛名じゃないかな」
「行人?」
まさか。さすがにあんな騒ぎは起こさないだろ。そう言おうと思っていた台詞は、届いた声に立ち消えになる。行人だった。
「――から、返せよ!」
攻撃的な苛立った調子に隣を見やると、眉間にしわを寄せた幼馴染みが小さく溜息を吐く。今日だけで、片手の数では足りないくらいの溜息を吐いていそうだ。
「ちょっと見てくる」
「わかった」
一年生のもめごとに、自分がむやみに首を突っ込むのもよくないだろう。そう思って見送るつもりだったのだが、遠くに見えた人影に成瀬はその肩を引き留めた。
「皓太、やっぱり俺が行く」
「え、でも」
「風紀が来そうだから」
「本当だ。本尾先輩までいるし。なんでこのタイミングで」
視線を巡らして嫌そうな声を出すのに苦笑で応えて、ぽんぽんと肩を叩く。
「うん。だから、俺が行く」
こちらに気づかないまま違う方向に曲がってくれたらありがたいが、そうはいかない可能性のほうが高そうだった。
「できるだけ、こっちに来るまでに終わらせたいんだけど」
間に合わなかったらごめんな、と告げて、諍いの中心に足を向ける。本当に嫌なタイミングだ。
風紀が見回りを強化するのは好きにしたらいいと思うが、なにも委員長自ら一年生の校舎を回らなくてもいいだろうに。だから怖いだのなんだのという苦情が生徒会に入ってくるのだ。
騒動とは関係のないところでうんざりとしたまま、彼らに声をかける。
「こんなところで、なに揉めてるんだ」
「会長!」
なんでこんなところに、というざわめきが響く人垣がゆっくりと崩れていく。取り残されるかたちになったふたりの生徒を順繰りに見やってから、成瀬は問いかけた。
「どうしたの、行人」
「えぇ、と……、その」
言い淀んだまま、行人は視線を外してうつむいてしまった。答えたくないといわんばかりだ。その様子に、もうひとりのほうに視線を転じさせる。
彼の後ろにはいつのまにか、幾人ものアルファが並んでいた。その中心で、水城は不安そうにきゅっと手のひらを握りしめている。
「行人がどうかしたかな、水城くん」
「僕は、……あの、でも、僕が、榛名くんの気に入らないことをしてしまったのかもしれません」
応じたのは、先日とは打って変わった頼りなげな細い声だった。後ろにいた生徒のひとりが庇うように彼に寄り添う。
いかにも庇護欲をそそる風情ではあったが、成瀬は気にしなかった。
「気に入らないこと?」
「それは……」
「気に入らないもなにも、悪いのは榛名ですよ」
問い重ねられて言葉に詰まった水城に代わり、べつの生徒が前に進み出る。
「すれ違ったときに、ハルちゃ……、水城が榛名にぶつかってしまったんです。でも、それだけですし、すぐに水城は謝りました。それなのに、榛名が食ってかかってきて」
だから俺たちが庇ったんです、と違う声が援護する。
たしかに宗教というのもわからなくはない。幼馴染みの台詞を、成瀬は脳内で反芻した。傍観者たちは立ち去ることなく、ただ行人を凝視している。異端者を批判しているように見える、とまではさすがに言わないが。
――それでも、喧嘩になりようがないのは事実だな。
「牽制って、水城くんに?」
なんでまたというふうな問いかけに返ってきたのは、重い溜息だった。
「うちのクラスの女王様だから、一年じゃ太刀打ちできないし。そのへんの上級生でも意味ないんだよ」
「大変そうだな」
気の毒になって慰めると、「そうだね」とまたうんざりとした返事があった。
「こんなこと言いたくないけど、驚いたな。たったひとりオメガがいるだけで、こうも変わってくるのかって」
「うん」
「最近じゃ、アルファだなんだって言ったところで、オメガのフェロモンには敵わないんだなっていう気までしてきた」
「そうかな」
「そうでしょ。どいつもこいつも『ハルちゃん、ハルちゃん』で宗教みたいだし」
きつい言葉に、すれ違った一年生がぎょっと動きを止める。注がれる視線に居心地が悪くなったのか、皓太が前言を撤回した。随分とおざなりな口調ではあったが。
「あー……、ごめん。すみません」
「俺に謝ることはないけど」
誰かをあからさまに悪く言うことも、第二の性に批判的に言及したことも、珍しいなとは思ったが、それだけだ。
人の目のある校舎内であることを意識したらしく、囁くような声に変わる。
「その、ちょっと、苦手で。そうじゃないやつが圧倒的に多いから、言わないようにしてるんだけど。成瀬さんは違うから、つい」
「べつに、それは。話を聞くくらいならいくらでもするし」
「ありがと、ごめん。みんな成瀬さんたちみたいに冷静だったらいいんだけどな。まぁ、三年でもわざわざあいつに会いにくる人もいるから、三年だったらどうとは一概に言えないけど。それに――」
そこで、ふいに言葉が途切れた。どうかしたのかと尋ねようとしたタイミングで、人だかりができあがっていることに気がついた。普通科の一年生の教室があるフロアだ。
人だかりをじっと見つめていた皓太が、いぶかしげに呟く。
「あれ、榛名じゃないかな」
「行人?」
まさか。さすがにあんな騒ぎは起こさないだろ。そう言おうと思っていた台詞は、届いた声に立ち消えになる。行人だった。
「――から、返せよ!」
攻撃的な苛立った調子に隣を見やると、眉間にしわを寄せた幼馴染みが小さく溜息を吐く。今日だけで、片手の数では足りないくらいの溜息を吐いていそうだ。
「ちょっと見てくる」
「わかった」
一年生のもめごとに、自分がむやみに首を突っ込むのもよくないだろう。そう思って見送るつもりだったのだが、遠くに見えた人影に成瀬はその肩を引き留めた。
「皓太、やっぱり俺が行く」
「え、でも」
「風紀が来そうだから」
「本当だ。本尾先輩までいるし。なんでこのタイミングで」
視線を巡らして嫌そうな声を出すのに苦笑で応えて、ぽんぽんと肩を叩く。
「うん。だから、俺が行く」
こちらに気づかないまま違う方向に曲がってくれたらありがたいが、そうはいかない可能性のほうが高そうだった。
「できるだけ、こっちに来るまでに終わらせたいんだけど」
間に合わなかったらごめんな、と告げて、諍いの中心に足を向ける。本当に嫌なタイミングだ。
風紀が見回りを強化するのは好きにしたらいいと思うが、なにも委員長自ら一年生の校舎を回らなくてもいいだろうに。だから怖いだのなんだのという苦情が生徒会に入ってくるのだ。
騒動とは関係のないところでうんざりとしたまま、彼らに声をかける。
「こんなところで、なに揉めてるんだ」
「会長!」
なんでこんなところに、というざわめきが響く人垣がゆっくりと崩れていく。取り残されるかたちになったふたりの生徒を順繰りに見やってから、成瀬は問いかけた。
「どうしたの、行人」
「えぇ、と……、その」
言い淀んだまま、行人は視線を外してうつむいてしまった。答えたくないといわんばかりだ。その様子に、もうひとりのほうに視線を転じさせる。
彼の後ろにはいつのまにか、幾人ものアルファが並んでいた。その中心で、水城は不安そうにきゅっと手のひらを握りしめている。
「行人がどうかしたかな、水城くん」
「僕は、……あの、でも、僕が、榛名くんの気に入らないことをしてしまったのかもしれません」
応じたのは、先日とは打って変わった頼りなげな細い声だった。後ろにいた生徒のひとりが庇うように彼に寄り添う。
いかにも庇護欲をそそる風情ではあったが、成瀬は気にしなかった。
「気に入らないこと?」
「それは……」
「気に入らないもなにも、悪いのは榛名ですよ」
問い重ねられて言葉に詰まった水城に代わり、べつの生徒が前に進み出る。
「すれ違ったときに、ハルちゃ……、水城が榛名にぶつかってしまったんです。でも、それだけですし、すぐに水城は謝りました。それなのに、榛名が食ってかかってきて」
だから俺たちが庇ったんです、と違う声が援護する。
たしかに宗教というのもわからなくはない。幼馴染みの台詞を、成瀬は脳内で反芻した。傍観者たちは立ち去ることなく、ただ行人を凝視している。異端者を批判しているように見える、とまではさすがに言わないが。
――それでも、喧嘩になりようがないのは事実だな。
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