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第一部
パーフェクト・ワールド・ハルⅦ ②
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「そろそろ、一回、終わろうか。暗くなるし」
模造紙に落ちる自分の影と、夕闇とが混じり合う頃になって、四谷の声が頭上から響いた。その声に、行人は切りの良いところまで塗り切って、筆を模造紙から離した。
ちらほらと上がる和やかな声をよそに、行人は肩からゆっくり力を抜いた。変な力の入れ方をしていたのだろう。いつもと違う凝りを感じる。
「俺、もうちょっとだけ手直しするから、先に帰ってて」
「え……?」
「なに。榛名も上がっていいよ。というか、委員会の方の仕事もあるんじゃないの」
持ち場をそのままに散会していく背を、どうしたらいいのか分からないまま見送っていると、面倒臭そうに四谷が手を振った。
「というか、俺がそのまま戻っていいって行ったの。結構前に。勿論、残って片付けるよって言ってはくれたけど。逆に迷惑だから」
「なんで?」
「俺の勝手だから。気になるんだよ、細かいところが。でも、そんなこと一々言っていたら、進まないでしょ? 俺が言って直してもらったところで、またイメージと違ったら意味ないし、お互いストレス溜まるし。だから、俺が片付けがてらチェックしたいの。それだけ」
目星も付けていたのか、淡々と喋りながらも、四谷は筆を細かく動かしている。些細な色むらは、看板として飾られたらば、誰も気が付かないのではないかと思う。けれど、――それで割り切れないんだから、仕方ないよな。
他人から見れば些細なことに拘ってしまうところがあるのは、自分も同じだ。器用に動く手元をじっと追っていると、「なに」と訝しげな声を四谷が上げる。
「いや、……ごめん。すごいなと思って。下絵もすごく時間かかったんじゃないのか?」
「さっきも言った通り、俺の自己満の世界だからね。期限のあるものに、時間を過大にかけること自体、褒められたことでないのも分かってるから。それにどうせ、みささぎ祭のメインはミスコンだしね」
一息にそこまで話して、四谷が顔を上げた。
「イメージと違ったって顔してる。どうせ荻原が言ってたんでしょ、俺は高藤目当てだって」
にっと唇を釣り上げたかと思うと、四谷はまた模造紙に向かった。
薄暗闇の中でも、それがどれだけ時間と根気をかけて練り上げられたものなのか分かる。自分には、芸術的なセンスなど皆無だけれど。それでも。
「まぁ、べつに否定はしないけどね」
「……」
「だって、どうせだったら、高藤に好かれたいし、気に入られたい。俺は素直だからね、そういう意味では。いつだって、そう思ってるよ。当たり前でしょ」
それだったら、あいつが見ているときだけ、真面目にやっているふりをすれば良いのに。
揶揄を呑み込んで、行人は、四谷がやり終えた後方に回る。使用していた色がそのまま残されているパレッドと、人数分の絵筆。
「手伝う」
「だから要らないってば」
「うん、だから、もう使わないのとかあったら、片付けるのくらいは手伝う。洗うのだって、時間かかるだろ?」
もし、最後にもう一度見直して手を加えたいのならば、余計なお世話であるだろうけれど。訊くだけなら、タダだ。四谷は要らない親切であれば、断るだろうし。
「なら、全部終わってから、片付けるときに手伝ってくれる? まだどれ触るか分からないし」
図るように行人を見ていた四谷が、肩を竦めた。残るお許しは貰えたらしい。
「ジャイアンは、映画になると途端に良いヤツになる」
黙々と作業をしていた四谷が漏らしたそれに、行人は思わず首を傾げた。
「なんだ、それ」
「映画の中で、一つの目標に向かって一緒に立ち向かうときは、何故か普段は嫌なヤツなジャイアンが良いヤツに見えるっていう、アレ」
突如出てきた名称は、国民的アニメのキャラクターだ。
「まさに、今の榛名であり、俺」
四谷が手を止めて、悪戯に目を細める。そして、ふと真顔になった。
「この間は、言い過ぎて、ごめん」
それが、どれのことなのかは、すぐに分かった。けれど。
「荻原にもさぁ、アレは俺が悪いって散々言われて、またそっちの肩ばっかり持つ気かよってちょっと頭に来てもいたんだけど。まぁ、でも、俺が絡んだのは確かではあるし」
「いや、俺も。……挑発に乗ったのは俺も一緒だし。キツイ言い方したと思う。そこは、ごめん」
中等部のころから、何かと嫌味を言われたことはあるが、謝られたことはほとんどなかった。だから、まさか直接言われるとは思ってもいなくて、応じる声もしどろもどろになってしまう。
そんな行人を見てか、四谷が小さく笑って、筆に色を含ませた。
「知っていると思うけど、俺、高藤のこと好きなんだよね。結構、ずっと」
もちろん、知ってはいた。それがどれほどのレベルのものかは、知らないけれど。
「まぁ、全然、相手にされてないんだけど。榛名もご存じの通り」
「いや、……、うん」
「だから、つい、余計なこと言っちゃうんだよね。同室っていうのを差し置いても、榛名と高藤、仲良いから」
どこか羨ましそうな色が隠せていないそれに、行人は苦笑を零した。
模造紙に落ちる自分の影と、夕闇とが混じり合う頃になって、四谷の声が頭上から響いた。その声に、行人は切りの良いところまで塗り切って、筆を模造紙から離した。
ちらほらと上がる和やかな声をよそに、行人は肩からゆっくり力を抜いた。変な力の入れ方をしていたのだろう。いつもと違う凝りを感じる。
「俺、もうちょっとだけ手直しするから、先に帰ってて」
「え……?」
「なに。榛名も上がっていいよ。というか、委員会の方の仕事もあるんじゃないの」
持ち場をそのままに散会していく背を、どうしたらいいのか分からないまま見送っていると、面倒臭そうに四谷が手を振った。
「というか、俺がそのまま戻っていいって行ったの。結構前に。勿論、残って片付けるよって言ってはくれたけど。逆に迷惑だから」
「なんで?」
「俺の勝手だから。気になるんだよ、細かいところが。でも、そんなこと一々言っていたら、進まないでしょ? 俺が言って直してもらったところで、またイメージと違ったら意味ないし、お互いストレス溜まるし。だから、俺が片付けがてらチェックしたいの。それだけ」
目星も付けていたのか、淡々と喋りながらも、四谷は筆を細かく動かしている。些細な色むらは、看板として飾られたらば、誰も気が付かないのではないかと思う。けれど、――それで割り切れないんだから、仕方ないよな。
他人から見れば些細なことに拘ってしまうところがあるのは、自分も同じだ。器用に動く手元をじっと追っていると、「なに」と訝しげな声を四谷が上げる。
「いや、……ごめん。すごいなと思って。下絵もすごく時間かかったんじゃないのか?」
「さっきも言った通り、俺の自己満の世界だからね。期限のあるものに、時間を過大にかけること自体、褒められたことでないのも分かってるから。それにどうせ、みささぎ祭のメインはミスコンだしね」
一息にそこまで話して、四谷が顔を上げた。
「イメージと違ったって顔してる。どうせ荻原が言ってたんでしょ、俺は高藤目当てだって」
にっと唇を釣り上げたかと思うと、四谷はまた模造紙に向かった。
薄暗闇の中でも、それがどれだけ時間と根気をかけて練り上げられたものなのか分かる。自分には、芸術的なセンスなど皆無だけれど。それでも。
「まぁ、べつに否定はしないけどね」
「……」
「だって、どうせだったら、高藤に好かれたいし、気に入られたい。俺は素直だからね、そういう意味では。いつだって、そう思ってるよ。当たり前でしょ」
それだったら、あいつが見ているときだけ、真面目にやっているふりをすれば良いのに。
揶揄を呑み込んで、行人は、四谷がやり終えた後方に回る。使用していた色がそのまま残されているパレッドと、人数分の絵筆。
「手伝う」
「だから要らないってば」
「うん、だから、もう使わないのとかあったら、片付けるのくらいは手伝う。洗うのだって、時間かかるだろ?」
もし、最後にもう一度見直して手を加えたいのならば、余計なお世話であるだろうけれど。訊くだけなら、タダだ。四谷は要らない親切であれば、断るだろうし。
「なら、全部終わってから、片付けるときに手伝ってくれる? まだどれ触るか分からないし」
図るように行人を見ていた四谷が、肩を竦めた。残るお許しは貰えたらしい。
「ジャイアンは、映画になると途端に良いヤツになる」
黙々と作業をしていた四谷が漏らしたそれに、行人は思わず首を傾げた。
「なんだ、それ」
「映画の中で、一つの目標に向かって一緒に立ち向かうときは、何故か普段は嫌なヤツなジャイアンが良いヤツに見えるっていう、アレ」
突如出てきた名称は、国民的アニメのキャラクターだ。
「まさに、今の榛名であり、俺」
四谷が手を止めて、悪戯に目を細める。そして、ふと真顔になった。
「この間は、言い過ぎて、ごめん」
それが、どれのことなのかは、すぐに分かった。けれど。
「荻原にもさぁ、アレは俺が悪いって散々言われて、またそっちの肩ばっかり持つ気かよってちょっと頭に来てもいたんだけど。まぁ、でも、俺が絡んだのは確かではあるし」
「いや、俺も。……挑発に乗ったのは俺も一緒だし。キツイ言い方したと思う。そこは、ごめん」
中等部のころから、何かと嫌味を言われたことはあるが、謝られたことはほとんどなかった。だから、まさか直接言われるとは思ってもいなくて、応じる声もしどろもどろになってしまう。
そんな行人を見てか、四谷が小さく笑って、筆に色を含ませた。
「知っていると思うけど、俺、高藤のこと好きなんだよね。結構、ずっと」
もちろん、知ってはいた。それがどれほどのレベルのものかは、知らないけれど。
「まぁ、全然、相手にされてないんだけど。榛名もご存じの通り」
「いや、……、うん」
「だから、つい、余計なこと言っちゃうんだよね。同室っていうのを差し置いても、榛名と高藤、仲良いから」
どこか羨ましそうな色が隠せていないそれに、行人は苦笑を零した。
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