17 / 484
第一部
パーフェクト・ワールド・ハルⅢ ④
しおりを挟む
「じゃあ、そうするか。おまえがそうまで言うなら。ただし、三崎先輩のときみたいなイロモノ枠にはしないからな。やるからには徹底的にやってくれるんだよな?」
「はいはい、了解。全部、茅野に任せます。精々、美人にしてやって」
いかにもどうでも良さそうに成瀬は請け負っているが、どうでも良いわけがない。
もしかすると、女のように見られるのが嫌だと思う自分と違って、成瀬にはたいしたことではないのかもしれないが、少なくとも行人にとっては大問題だ。だが、その成瀬が決めたことを、自分如きの一存で物申して良いのかも、よく分からなくなってきた。
混乱しているうちに、ガタンと小さな音がした。そして呆れたような嘆息。
「良かったな、物好きがいて」
自分に向けられたわけでもない声音だったにも関わらず、行人はその肩を跳ねさせそうになった。不本意ではあるが、これもきっと本能が生む警戒心に違いない。
消えていく背を固まったまま見送っている行人とは反対に、年長者二人は気まずそうに顔を突き合わせている。
「おい。どうするんだ、成瀬。向原が臍を曲げたぞ」
「おまえが呼び寄せたのが原因だろうが」
「本を正せば、おまえが駄々をこねたからだろう」
「それを言ったら、おまえが行人に無理強いするからだろ」
「ならそれを言うなら」
「あの、俺」
低レベルの擦り付け合いに発展していきそうなそれに、もう一度、なら俺がと手を上げかけた瞬間。
「いや、大丈夫。大丈夫だから、行人」
最後まで言わせずに行人にいつもの顔で微笑んだ成瀬が、わずかに面倒臭そうに天を仰いだ。
「あー、……ちょっと行ってくるわ」
「そうしてくれ。下にまで響く声で揉めるなよ」
茅野のそれに、ぎょっとしたのは行人だ。冗談なのかどうかの判別がつかない。立ち上がった成瀬の袖を反射的に引きかけた指先を、彼のそれがそっと離させた。
「行人」
自分を下の名前で呼ぶのは、この人だけだ。だから、というわけでもないとは思うのだけれど、ほっとする。それだけで許されると誤認してしまうような柔らかい声。
「気にしなくていいよ。放っといても別に問題ないんだけどな。どうせなら早くにしこりも失くしたほうがいいだろ? だから、それだけ」
それだけ。自分を悩ませていた懸案も成瀬にかかれば、あっという間に終わらせてしまえることなのだろう、きっと。
取り残されたかたちになった行人に、茅野がおもむろに口を開いた。
「まぁ、気にするな。あいつらは多少揉めることはあっても、盛大に仲違いすることはない」
それは成瀬さんが譲るからじゃないのだろうか、と想像して生じた不満が顔に表れていたのか、茅野が眉を上げた。
「あいつのいかにも誠実でございと言った顔に騙されるんだろうが、成瀬と向原だったら、頑固なのもわがままなのも成瀬のほうだぞ。基本的に向原のほうが気も長いしな」
「気が長い……」
「信じてないな、その顔は。不機嫌そうなナリをしているだけで、滅多と切れんぞ、あいつは。まぁ、地雷を踏まん限りは、だが」
と言っても、誰にでも地雷はあるからな、と続けてから、茅野がそこで表情を和らげた。
「無理を言って悪かったな」
「いえ、あの、俺こそわがままばかりで」
「まぁ、物好きがいたんだ。素直に良かったと思えばいいじゃないか。嫌だったんだろう」
「いや、まぁ、……そう、ですけど」
「どうした。すっきりしない顔をして。もし悪いと思うなら、二年後、困ってる新入生がいたら親身になってやれ。まぁ、そのころおまえがどんなナリになっているかは分からんから、なんとも言えんが」
何を想像したのか愉しそうに肩を揺らした茅野が、立ち上がるなり背後に回り込んできて背を押した。
「引き留めて悪かったな。早く戻れよ、寮室。いや、正に棚から牡丹餅だな。面白いことになりそうだ」
「お、面白いことって」
「やるからには徹底的にやると言っただろう。となれば、今から楓寮に行って断ってくるか。まだ時間は……大丈夫だな」
行人とともに階段へと向かっていた脚を玄関へと方向転換させてから、茅野が最後にとばかりに笑った。
「まぁ、しばらくは向原に気を付けろよ。おまえに理不尽なことをするとは思わんが、機嫌は悪いと思うぞ」
いや、べつに。それは本当にどうでも良いのだけれど。問題はそこではない。そうではなくて。まだ困惑の淵にいる行人の背を叩いて、茅野が足早に外に向かって行った。相変わらず、猪のような勢いだ。
その背が視界から消えた途端、ひどく力が抜けた。疲れたのかもしれない。もうこのままとりあえず、部屋に戻ろう。
結局、鍵を探すと言う第一目的を忘れたことに気が付いたのは、部屋の前まで戻って来てからだった。
「はいはい、了解。全部、茅野に任せます。精々、美人にしてやって」
いかにもどうでも良さそうに成瀬は請け負っているが、どうでも良いわけがない。
もしかすると、女のように見られるのが嫌だと思う自分と違って、成瀬にはたいしたことではないのかもしれないが、少なくとも行人にとっては大問題だ。だが、その成瀬が決めたことを、自分如きの一存で物申して良いのかも、よく分からなくなってきた。
混乱しているうちに、ガタンと小さな音がした。そして呆れたような嘆息。
「良かったな、物好きがいて」
自分に向けられたわけでもない声音だったにも関わらず、行人はその肩を跳ねさせそうになった。不本意ではあるが、これもきっと本能が生む警戒心に違いない。
消えていく背を固まったまま見送っている行人とは反対に、年長者二人は気まずそうに顔を突き合わせている。
「おい。どうするんだ、成瀬。向原が臍を曲げたぞ」
「おまえが呼び寄せたのが原因だろうが」
「本を正せば、おまえが駄々をこねたからだろう」
「それを言ったら、おまえが行人に無理強いするからだろ」
「ならそれを言うなら」
「あの、俺」
低レベルの擦り付け合いに発展していきそうなそれに、もう一度、なら俺がと手を上げかけた瞬間。
「いや、大丈夫。大丈夫だから、行人」
最後まで言わせずに行人にいつもの顔で微笑んだ成瀬が、わずかに面倒臭そうに天を仰いだ。
「あー、……ちょっと行ってくるわ」
「そうしてくれ。下にまで響く声で揉めるなよ」
茅野のそれに、ぎょっとしたのは行人だ。冗談なのかどうかの判別がつかない。立ち上がった成瀬の袖を反射的に引きかけた指先を、彼のそれがそっと離させた。
「行人」
自分を下の名前で呼ぶのは、この人だけだ。だから、というわけでもないとは思うのだけれど、ほっとする。それだけで許されると誤認してしまうような柔らかい声。
「気にしなくていいよ。放っといても別に問題ないんだけどな。どうせなら早くにしこりも失くしたほうがいいだろ? だから、それだけ」
それだけ。自分を悩ませていた懸案も成瀬にかかれば、あっという間に終わらせてしまえることなのだろう、きっと。
取り残されたかたちになった行人に、茅野がおもむろに口を開いた。
「まぁ、気にするな。あいつらは多少揉めることはあっても、盛大に仲違いすることはない」
それは成瀬さんが譲るからじゃないのだろうか、と想像して生じた不満が顔に表れていたのか、茅野が眉を上げた。
「あいつのいかにも誠実でございと言った顔に騙されるんだろうが、成瀬と向原だったら、頑固なのもわがままなのも成瀬のほうだぞ。基本的に向原のほうが気も長いしな」
「気が長い……」
「信じてないな、その顔は。不機嫌そうなナリをしているだけで、滅多と切れんぞ、あいつは。まぁ、地雷を踏まん限りは、だが」
と言っても、誰にでも地雷はあるからな、と続けてから、茅野がそこで表情を和らげた。
「無理を言って悪かったな」
「いえ、あの、俺こそわがままばかりで」
「まぁ、物好きがいたんだ。素直に良かったと思えばいいじゃないか。嫌だったんだろう」
「いや、まぁ、……そう、ですけど」
「どうした。すっきりしない顔をして。もし悪いと思うなら、二年後、困ってる新入生がいたら親身になってやれ。まぁ、そのころおまえがどんなナリになっているかは分からんから、なんとも言えんが」
何を想像したのか愉しそうに肩を揺らした茅野が、立ち上がるなり背後に回り込んできて背を押した。
「引き留めて悪かったな。早く戻れよ、寮室。いや、正に棚から牡丹餅だな。面白いことになりそうだ」
「お、面白いことって」
「やるからには徹底的にやると言っただろう。となれば、今から楓寮に行って断ってくるか。まだ時間は……大丈夫だな」
行人とともに階段へと向かっていた脚を玄関へと方向転換させてから、茅野が最後にとばかりに笑った。
「まぁ、しばらくは向原に気を付けろよ。おまえに理不尽なことをするとは思わんが、機嫌は悪いと思うぞ」
いや、べつに。それは本当にどうでも良いのだけれど。問題はそこではない。そうではなくて。まだ困惑の淵にいる行人の背を叩いて、茅野が足早に外に向かって行った。相変わらず、猪のような勢いだ。
その背が視界から消えた途端、ひどく力が抜けた。疲れたのかもしれない。もうこのままとりあえず、部屋に戻ろう。
結局、鍵を探すと言う第一目的を忘れたことに気が付いたのは、部屋の前まで戻って来てからだった。
21
お気に入りに追加
141
あなたにおすすめの小説
幸せのカタチ
杏西モジコ
BL
幼馴染の須藤祥太に想いを寄せていた唐木幸介。ある日、祥太に呼び出されると結婚の報告をされ、その長年の想いは告げる前に玉砕する。ショックのあまり、その足でやけ酒に溺れた幸介が翌朝目覚めると、そこは見知らぬ青年、福島律也の自宅だった……。
拗れた片想いになかなか決着をつけられないサラリーマンが、新しい幸せに向かうお話。
ガラス玉のように
イケのタコ
BL
クール美形×平凡
成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。
親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。
とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。
圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。
スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。
ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。
三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。
しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。
三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
眺めるほうが好きなんだ
チョコキラー
BL
何事も見るからこそおもしろい。がモットーの主人公は、常におもしろいことの傍観者でありたいと願う。でも、彼からは周りを虜にする謎の色気がムンムンです!w
顔はクマがあり、前髪が長くて顔は見えにくいが、中々美形…!
そんな彼は王道をみて楽しむ側だったのに、気づけば自分が中心に!?
てな感じの巻き込まれくんでーす♪
理香は俺のカノジョじゃねえ
中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。
罪人の僕にはあなたの愛を受ける資格なんてありません。
にゃーつ
BL
真っ白な病室。
まるで絵画のように美しい君はこんな色のない世界に身を置いて、何年も孤独に生きてきたんだね。
4月から研修医として国内でも有数の大病院である国本総合病院に配属された柏木諒は担当となった患者のもとへと足を運ぶ。
国の要人や著名人も多く通院するこの病院には特別室と呼ばれる部屋がいくつかあり、特別なキーカードを持っていないとそのフロアには入ることすらできない。そんな特別室の一室に入院しているのが諒の担当することになった国本奏多だった。
看護師にでも誰にでも笑顔で穏やかで優しい。そんな奏多はスタッフからの評判もよく、諒は楽な患者でラッキーだと初めは思う。担当医師から彼には気を遣ってあげてほしいと言われていたが、この青年のどこに気を遣う要素があるのかと疑問しかない。
だが、接していくうちに違和感が生まれだんだんと大きくなる。彼が異常なのだと知るのに長い時間はかからなかった。
研修医×病弱な大病院の息子
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる