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32.その手の温もり

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小さく小さくノックをした。
まるで子供の悪戯のようだわ。

「シャノン!?」

扉を開けたノアが驚いている。それはそうだろう。こんな時間に婚約者とはいえ、異性の部屋に出向くなど大変よろしくない。

「こんばんは。月が綺麗ですね」
「……何かあった?」
「貴方に会いたかったの」

素直に気持ちを伝えたのに、大きくため息を吐かれた。
心配してくれたのは分かるが愛しの婚約者に対してその態度はいただけない。

「入れてくれないのかしら」
「……叱られるのは私なのだけど」
「一緒に叱られてあげますよ」

本当は自分でも驚いている。夜中に一人で男性の部屋を訪ねるだなんて。部屋の中はノアと私の二人きり。でも、恐怖は感じない。だって怖いのはそんなことではないもの。

「ごめんなさい。トレイシー様の手紙を読んだわ」

部屋に入るなり、そう告げた。
大きく見開かれた目。でも、一度だけ大きく呼吸をすると、冷静に言葉を紡いだ。

「……母上だね?」
「貴方が子を儲けられないかもしれないと教えて下さったの。誠実な方だわ」
「そうか……。そうだな、母上が黙っているはずが無い。だが、何も手紙を読ませなくても」
「私が望んだのよ。貴方を傷付けるものは許せないから」
「……貴方は本当に格好良いね。これ以上好きにさせてどうするの?」

……なぜ時々激甘になるのかしら。案外と質の悪い男なのだから。

「そのまま私一筋で生きればいいのでは?」
「あははっ、なるほど」
「……貴方はもう笑えるのね?」

よかった。つい、この手紙を受け取った貴方が心配でここまで来てしまったけれど。

「そうだね、薄情だと思う時もあるよ。でも、私はこれからも生きて行くから。何時までもあの頃に囚われたままではいられなかった」

そうか。手紙の生々しさに、つい焦ってしまったけれど、あれからもう4年近くも過ぎているのだった。

「……いいえ。貴方が私と生きて行く道を選んでくれたのが嬉しい。でも、ご両親にはちゃんと言わないと駄目よ」
「泣いて喜んでくれたから伝わっているものだと勘違いしてた。明日ちゃんと話します」
「そうしてあげて」

穏やかなノアの顔に安堵した。彼は本当に乗り越えていると信じられたから。

ようやく気持ちが落ち着いて、今更だが自分の姿に気付いた。

……私ったらとても焦ったみたい。こんなはしたない格好で駆けてきたなんて。

寝間着にショールを羽織っただけの姿に愕然とする。

胸の前でショールをかき合わせて固まる。このあと如何したらいいのかしら?

「これ、少し大きいけど羽織って?」

私の様子に気付いたのだろう。そう言って着ていたガウンを渡された。

「……ありがとう」

いそいそと袖を通し腰紐を結ぶ。
……大きい。それに、仄かにシダーウッドの香りと彼の温もりが残っていて……

「そんな顔をしては駄目ですよ」

……どんな顔をしていたかしら。
ノアを見ると、彼の耳が少し赤くなっている。

「ごめんなさい?」
「……部屋まで送ります」
「あ、待って。一つだけ教えてほしいの」

ここで話してしまわないと、この話題を出しづらくなってしまうわ。

「あの手紙だけど、ラザフォード家に渡さなくていいの?」

本当であれば、あれを読むべきなのはトレイシー様のご両親だったと思う。悪意の無い無理解が彼女を追い詰めた。それに……

「……当時、父にも言われたけど判断がつきませんでした。前伯爵は既に心を病んで隠居されてしまったから。それなのに、更にあの手紙を渡すのは酷な気がして……」
「でも、あの手紙には犯人のことが書かれています」

読んでいて驚いた。はっきりと犯人の名が書かれていることに。彼女はいつ思い出したのだろうか。

「彼はもうこの世にいないですよ」
「……え?」
「平民だから噂にはならなかったけど、ご両親が事業に失敗して学園を辞めなくてはいけなかったらしい」

それが理由?もう二度と会えないから?だから犯したとでもいうの!?

「学園を辞めて暫くしてから自殺したらしい。遺書も何も無く……ご両親はご自分達のせいだととても憔悴していた」
「会いに行ったのですか?」
「ああ。まさか亡くなっているとは思わなくて。
……同じ学年の男だ。でも、クラスが違ったし、ほとんど話したことは無かったな。体は大きいけれど、物静かな人だったとしか」

罪の意識に耐えかねたのか……。
ならばそんな事しなければよかったのに。

「子供の罪は親の罪になってしまうでしょう。だけど、彼等にとっては大切な子供で……その子を喪った悲しみの中、更に罪だけ負わされるのはどうしても不憫で、結局は何も言えなかった」

……罪とは本当に重い。その重みは本人だけで無く、被害者も、それぞれの家族も、多くの人達を巻き込んで沈めていくのだ。

なぜ、思い止まってくれなかったのか。
本当にそう思ってしまうわ。

「……哀しいわね」
「そうですね」

罪を犯した人はもういない。償われるべき人ももういない。それなら──

「……燃やしてしまいましょうか」
「え?」
「もう、トレイシー様をこの苦しみから解放してあげませんか?」

あの手紙が残っている限り、彼女の苦しみがそこに存在している気がした。彼女だって4年も経てば、あんな手紙を書いたことを天国で後悔しているのではないだろうか。

本当は、もう一度貴方と話がしたかっただけかもしれない。

そんなふうに思っていてくれるといい。

「……そうですね。それも含めて明日、両親と話してみます」
「ええ」

そろそろ部屋に戻らなくてはいけないわね。

「ねえ?私ね、夜の廊下が大嫌いだったの。なのにあの手紙を読んだら、そんなことも関係なく駆けてきてしまったわ。愛って凄いわね」

愛はこんなにも人を強くもするのに。

「シャノン……とても嬉しいです。嬉しいのだけどね?これ以上誘惑しないでくれないか……
でも、私の為に駆け付けてくれてありがとう」

私に触れることなく、髪をそっと掬い口付けた。
だから何故そういう甘い行動を……
誘惑しているのは貴方の方だわ。

だって、触れてほしいと思ってしまった。

「……手を、繋いでもいいかしら」
「平気?」
「貴方だもの」

彼が手を差し伸べてくれる。ゆっくりと手を重ねる。温かくて大きな手だ。うん、怖くない。

「行こうか」
「ええ」

貴方となら大丈夫。そう信じられた。




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