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29 熱い視線から解放されて

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「待て、それほど痛かったか!?」

「痛いよりダニエル様が…」

 ノックの音の後に、ヨハンの声がした。

「薬篭とタイツをお持ちしました」

 表立って”フォルカー様に惹かれているからですね”とは言えないし、雰囲気もまずいし、エリカはヨハンの登場に飛びついた。

「入ってください」

「失礼いたします――。エリカ様、この薬篭くすりかごは…」

 目の前の光景に入ってきたヨハンが足を止め、言いかけた言葉を引っ込めた。

「エリカ、見せてみろ」

「いいです……」

 瞳を潤ませて身を引こうとするエリカに、にじり寄るダニエル。

「ダニエル様。無理強いはいけません。まだ陽も高いですし」

「お前は何を考えている?」

「ヨハン様。薬篭はこちらにお願いします」

「かしこまりました」

 エリカがテーブルの皿をどけて場所を作り、ヨハンがそこに薬篭を置いた。

「お前の指が先だ。見せてみろ」

「大丈夫です。少し強く噛まれただけで、大したことありません」

「……ケダモノ」

「お前はさっきから……、違うぞ! エリカは指を俺に見せろ」

 強引にエリカの右手を掴み取り、指先に目を走らせる。

「赤くなっているじゃないか。悪かった。加減したつもりだったんだが……」

「気にしないでください……あっ、」

 ダニエルが目を閉じて、エリカの指先にくちづけた。まるで恋人のようなその仕草に、エリカは頬を上気させる。

「エリカ……」

 見開いて、エリカを熱っぽく見つめるダニエル。

「お目付け役に、侍女をつけたほうがいいかもしれませんね」

 ヨハンの言葉に、息をつめていたエリカが我に返り、ダニエルはギロリとヨハンを睨んだ。

「このタイツはどのようにお使いになるんですか?」

 ヨハンは素知らぬ顔をして、篭から覗いているタイツに興味深々で目を向けた。

「エリカ、手当ては食べてからでいい。お腹が空いただろう? ヨハン、お前は出ていけ」

「酷い――」

 熱い視線から解放されて、二人のいつものやりとりに、エリカはほっと安堵の息を吐く。

「お気遣い頂きありがとうございます。大丈夫なので先にしてしまいましょう。手当ての仕方をヨハン様にも知っておいてもらいたいので、ここで見て頂いてもよろしいでしょうか?」

「それは残念だな。もう食べさせてもらえなくなるのか」

 意味深に片眉を上げるダニエルを、意識しないようにして手を差し出す。

「さぁ、右手をこちらに」

 まずは手当てしやすいよう、ダニエルの上着の袖を捲り上げた。

 掌の傷口に膏薬をペタペタと塗っていき、油紙を貼る。

 篭から白いタイツを取り出して、手の平の長さに切り、親指を出す穴をあけた。 

「手袋で油紙をとめるような感じですか?」

「そうです。これならペンを持てるかと思って」

 ダニエルの掌に切ったタイツを嵌めて、油紙を固定する。

 ダニエルは手を閉じたり開いたりした。

「驚いたな。これなら書き物ができる――。ありがとうエリカ」

「お役に立てて良かったです。激しく動くときは包帯で巻いたほうがいいと思いますが、剣の練習は暫く禁止ですからね」

「分かった」

「大人しく言うことを聞いている……誰にも口出しさせない殿下が言う事を……」

「ヨハン」

「かしこまりました。退室いたします」

 ヨハンは頭を下げると言い添えた。

「御前試合の女神の件、お忘れなきよう」

「ああ、そうだな」 

「え、まさか……」

 青ざめるエリカにダニエルが微笑む。

「エリカ・バートレイ。二か月後の武闘大会で、俺の勝利の女神になってくれ」

 
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