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三章

20. オリーブの島の子供たち

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 玄関は家庭教師について勉強を習い始めてから、頭がすっきりとしてきたように感じていた。
 それは14歳になった頃からなんとなく感じてはいたのだけれど、最近は背中についていた何か重いたいなものがはがれて、ずっと軽くなっている。学ぶとはこういうことなのか。知識を身につけると、ものがよく見えてくるものなのかと思った。

 家庭教師のデュランスは最初、「この子は知恵はあるが、なんとも知識が著しく不足している」と嘆いたものだが、その熱心さとその著しい吸収力には、目を細めるようになっていた。覚えが尋常でないほど早いので、もしかしたら、前世では特別な人間だったのかもしれないとさえ思った。

 ある日、デュランスが言った。
「玄関よ、きみは将来、人の上に立つ人になるかもしれない」
「それはないです」
「なぜか」
「わたしの願いは飴細工のジャミルのお嫁さんになることです。わたしも飴細工を習って、ふたり並んで市場の店に立つことです」

「そうか。人には運命というものがあるからな、望むと望まないにかかわらず、その道を選ばねばならないこともある」
「はい」
「玄関、今日はひとつ、大事なことを教えよう」
「はい」
「『実るほど頭の下がる稲穂かな』、意味がわかるか」
「はい。いつでも、謙虚でいなさいということです」
「そうだ。どんな高い地位についても、これを忘れてはならないぞ」
「はい」


 玄関は第二王子が愛しく思っている少年が海の宮殿に住むことを望むのなら、第二王子と結婚式をあげてもよいと思うようになっていた。みんなが幸せなのが一番よい。

「黄金の太陽の下、アドリアの海原しずか
 オリーブの実がみのる時……」

 玄関は首を振りながら、歌い始めた。歌が口から自然と出てくるのだった。
 次は何だったのかなと天井を見つめていたら、美しい笛の音が続いてきて、玄関は続きを思い出した。

「青い匂いは風に乗り、アテナの女神が空を行く
 オリーブの島は永遠なり」
 

 笛がその歌の続きをもう一度吹き、そして、止んだ。

 どうしてこの笛の主は、この歌を知っているのだろうかと思っていたら、白に薄青の衣を着た白い顔の少年が、壁の横から姿を見せた。

 だれ?

「相変わらず、下手だなあ」
 と彼が言った。
 
 えっ。

 頭の先からつま先まで輝くように美しい少年で、人間とは思えなかった。
 
「あなたはこの宮殿に住んでいるという幽霊ですか」
 玄関がおそるおそる訊いた。

「この間の子だよね。やっぱりきみはエヴァンネリじゃないか」
「いいえ、わたしは玄関」

 あっ。
 
 玄関はジャミルからもその名前で呼ばれたことがあったのを思い出した。
「わたしって、エヴァンネリなのですか」

「エヴァ、忘れてしまったのかい。自分の名前を覚えていないのかい」
 いいえ。
 玄関が首を振ると、少年の灰色の瞳から、大粒の涙が流れ落ちた。

 それを見て、玄関は息をするのを忘れるくらい驚いた。
 その少年の反応が、ジャミルのそれとそっくりだったから。
 わたしがエヴァンネリという名前を覚えていないのは、そんなんに悲しいことなの?
 

「ぼく達は、同じ島で育ったんだよ」
「あなたとわたしが、同じ島で?」

「そうだよ。地中海の西の島だよ。オリーブの島だよ」
「じゃ、その島には、わたしの両親や兄弟がいるんですか」
「ぼくたちはみんなみなし子だったから、親も兄弟もいない。でも、エヴァには羊飼いの養父がいるよ」

「わたし、羊飼いだったのですか」
「そうだよ」
「でも、わたしはそっちでも、みなし子なのかぁ」
 と玄関が言ったので、少年は泣きながら、ふふっと笑った。

「エヴァはやっぱりおもしろいなぁ。ぼくはハミルだよ。覚えていないのかい」
「ううん」
 そのハミルという少年が近づいてきて、玄関の頭をぽんぽんとした。

「エヴァ、ジャミル、サナシス、ぼくの4人はいつも一緒に遊んでいたんだよ」
「ジャミルのことも、知っているの?」
「よく知っているよ」

「ジャミル、ジャミルは今はどこ?」
「エヴァを探しに行ったところまでしか知らない」
「いつの話?」
「13 、いやもう14年前のことになる」
「わたしは今、14歳だけれど、14年前って、どういう意味ですか」

「ぼくたちは、あることで、女神アテネを怒らせて、転生されられてしまったんだよ。エヴァは生まれたばかりの赤ん坊に、ぼく達は3歳児に」
「転生?昔、ジャミルがわたしを探しに行ったって、それはどういう意味ですか?詳しく教えてください」
「うん。まずは落ち着こう」

「それから、その島では、みんな頭をぽんぽんするのですか」
 玄関の興奮がおさまらない。

「違うよ。みんなじゃない」
 ハミルがまたおかしそうに笑った。

「ぼく達男子3人は同じ年で、エヴァンネリだけはみっつ年下。エヴァは10歳くらいまでとても小さくてね、ぼく達の背丈の半分くらいしかなかった。だから、会うたびに、小さいなって、頭をぽんぽんするのが挨拶みたいになったんだよ」
「そうなのかぁ。みんながぽんぽんかぁ」
 玄関が悲しそうな表情をした。

「それがどうかしたのかい?」
「市場で初めて会った時から、ジャンミルはいつもぽんぽんをしてくれたんです。だから、わたしのことをちょっと好きなのかなと思っていたんですけど、……ただの挨拶だったのかぁ」
 玄関が顔を赤らめ、指をいじった。 
 あははとハミルが笑った。

「ジャミルは、島の時から、エヴァが大好きだったよ。だから、追いかけて行ったんだよ」
「ほんと?」
「うん。エヴァだけが大好きだったよ」
「わたし、今、ジャミルを追っているんです」


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