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一章
4. 仕事をゲット
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翌朝、玄関が厩舎に行くと、馬糞を片付ける者が急にいなくなり困っているところだったらしく、面接で、「馬に詳しいか」と訊かれて、「はい」と答えたらすぐに採用された。
馬に詳しくはないけれど、ジュマ村の工房の塀の外に馬が飼われていたから、馬を知らないというわけではない。
玄関は緑色の作業着や靴まで支給され、掃除の仕方を教えてもらった。
臭い仕事だったが、食べ物はもらえたし、狭い場所だが、寝るところも与えられたから、文句はなかった。
馬は見たことはあっても世話はしたことがなかったので、なかなかの重労働だったが、がんばって働こうと思った。早くお金をためて、西の果てまで行かなければならないのだ。
新しいことを始めると、当たり前だが新しいことがわかる。この仕事を始めて、馬の馬糞というのはすごい量なのだとわかった。それに、くさい。羊の糞の差ではない。なぜ急に羊のことを思ったのかはわからないが、そんな気がした。
馬糞掃除の後は、風呂にはいってよいと言われた。浴衣はどこでもらうのだろうかと教えられた方向に行くと、外に大きな窯があって、男達が裸ではいっていたのでおったまげて逃げ戻った。
絨毯工房の風呂とはずいぶんと違う。
少しくらい臭くても、男たちの前で裸になるわけにはいかないし、あんな鍋みたいな中にはいって煮られるのはいやだと思った。
仕事を始めて3日目の夕方、玄関は井戸でふたつの桶に水をいれ、棒の両方にかけて均衡を保ちながらゆっくりと歩いていた。
馬用の給水桶を満たすのは、細い身体にはきつい仕事なので、玄関はもうふらふらだ。前は指を使う仕事だったから、重いものは持ったことがないのだ。
下を向いて歯をくいしばって歩いていたら、乗馬用のズボンが目にはいってきた。
その足は勢いをつけてまっすぐに歩いてきて、ぶつかりそうになった。
「じゃま」
その無神経な足の男は、人を避けるということを知らないらしい。
「なんですか?」
「よけ」
その男は横暴だ。
「そっちがよけてくれ」
こんなに重いものを運んでいるのが見えないのか。
「じゃま」
その男はもう一度同じことを言った。
玄関の耳には「じゅま」と聞こえたので、変な質問だとは思ったが、ジュマ村はあっちの方角だと顎で示した。
「何を言っているのだ。おまえは馬鹿なのか」
「はい」
「この私が、よけと言っているのだ」
その男が玄関の肩を乱暴に押したから、
「いたっ」
玄関はよろけて、尻もちをついた。身体に桶の水がかかり、着物がびしょびしょになり、水が地面を流れて黒く広がっていった。
ひどいじゃないか、と玄関は初めて男を見上げた。
その男の態度はでかいが、顔はまだ少年だ。
いつか動物の絨毯を織ったことがあったが、あの中の茶色の狸に似ていた。
狸は弓の練習をしていたらしく、肌脱ぎをしていた。
「おまえ、おとこか」
狸が斜めに構えて言った。
「そうだ、おれは男だ」
「ここで、待っていろ」
狸はそう言って、足早に奥に消えた。
緑の服を着たふたりの下男があたふたと駆け寄ってきて、どんな間違いをしでかしたのかと玄関を叱った。
「何かしたのは、あっちだ」
「ばかもの」
と下男が怒鳴った。
またか。
宮廷というところは何かというと、「ばか、ばか」という。
ここは厩舎といっても兵隊用の馬ではなくて、王子の白や栗毛色の馬が8頭飼われている場所なのだった。
「あのお方は第三王子、ロニロイ殿下だ。おまえ、首を切られるぞ」
首を切られる。
ひやっ、それは困る。
玄関は青くなって、うなじを撫でながら、一刻も早く逃げなくてはと思った。
すぐに仕事箱を背負って、裏口から外に出ようとした時、青い表紙の冊子が落ちていた。とても上等な紙でよい匂いがして、中を開くと黒いきれいな文字がずらりと並んでいたから、それを懐にいれた。きれいなものは好きだ。
仕事を紹介してくれた門番のマルキにだけはお礼と別れを告げなくてはならないと思った。
せっかく仕事を紹介してもらったけど、第三王子に失礼なことをしてしまったから、逮捕される前に逃げると伝えに寄った。
「そうか。まずいことになったな。どこへ逃げるつもりだ」
「わからない」
「第三王子は火山のようなお方で、爆発するが。すぐに冷める。そうだ、山のふもとに、王家の深い森がある。そこは一般人ははいれないが、王宮の者はほとんど行かないから、そこにしばらく隠れていろ。わしは妻と子に去られて家族なし家なしになった時、あそこの森に住んでいたことがあるんだ」
「おじさん、家も家族もいないのか」
「そうなんだ。仕事がうまくいっている時もあったんだが、弟子にまかせてなまけていたら、仕事がこなくなって、店が潰れてしまった。それで、家族も失った。全部、おれが悪い」
「何の仕事?」
「庭の仕事だ。それで、あの森に住んでいた」
「森?」
「木がたくさんあって、木の実もたくさんあって、暮らしやすいところだ。わしはやっぱり木や草が好きなんだ」
「木や草は好きになるものか」
「おまえは、何を言ってるんだ」
玄関は木や草を織ったことはあるが、動かないものを「好き」になるという感覚を知らなかった。
「おばけみたいな大きなソテツの木のうしろに、森にはいる入口がある」
「はい」
「騒ぎが収まったら、教えに行ってやる。それまでは、そこに隠れていろ」
馬に詳しくはないけれど、ジュマ村の工房の塀の外に馬が飼われていたから、馬を知らないというわけではない。
玄関は緑色の作業着や靴まで支給され、掃除の仕方を教えてもらった。
臭い仕事だったが、食べ物はもらえたし、狭い場所だが、寝るところも与えられたから、文句はなかった。
馬は見たことはあっても世話はしたことがなかったので、なかなかの重労働だったが、がんばって働こうと思った。早くお金をためて、西の果てまで行かなければならないのだ。
新しいことを始めると、当たり前だが新しいことがわかる。この仕事を始めて、馬の馬糞というのはすごい量なのだとわかった。それに、くさい。羊の糞の差ではない。なぜ急に羊のことを思ったのかはわからないが、そんな気がした。
馬糞掃除の後は、風呂にはいってよいと言われた。浴衣はどこでもらうのだろうかと教えられた方向に行くと、外に大きな窯があって、男達が裸ではいっていたのでおったまげて逃げ戻った。
絨毯工房の風呂とはずいぶんと違う。
少しくらい臭くても、男たちの前で裸になるわけにはいかないし、あんな鍋みたいな中にはいって煮られるのはいやだと思った。
仕事を始めて3日目の夕方、玄関は井戸でふたつの桶に水をいれ、棒の両方にかけて均衡を保ちながらゆっくりと歩いていた。
馬用の給水桶を満たすのは、細い身体にはきつい仕事なので、玄関はもうふらふらだ。前は指を使う仕事だったから、重いものは持ったことがないのだ。
下を向いて歯をくいしばって歩いていたら、乗馬用のズボンが目にはいってきた。
その足は勢いをつけてまっすぐに歩いてきて、ぶつかりそうになった。
「じゃま」
その無神経な足の男は、人を避けるということを知らないらしい。
「なんですか?」
「よけ」
その男は横暴だ。
「そっちがよけてくれ」
こんなに重いものを運んでいるのが見えないのか。
「じゃま」
その男はもう一度同じことを言った。
玄関の耳には「じゅま」と聞こえたので、変な質問だとは思ったが、ジュマ村はあっちの方角だと顎で示した。
「何を言っているのだ。おまえは馬鹿なのか」
「はい」
「この私が、よけと言っているのだ」
その男が玄関の肩を乱暴に押したから、
「いたっ」
玄関はよろけて、尻もちをついた。身体に桶の水がかかり、着物がびしょびしょになり、水が地面を流れて黒く広がっていった。
ひどいじゃないか、と玄関は初めて男を見上げた。
その男の態度はでかいが、顔はまだ少年だ。
いつか動物の絨毯を織ったことがあったが、あの中の茶色の狸に似ていた。
狸は弓の練習をしていたらしく、肌脱ぎをしていた。
「おまえ、おとこか」
狸が斜めに構えて言った。
「そうだ、おれは男だ」
「ここで、待っていろ」
狸はそう言って、足早に奥に消えた。
緑の服を着たふたりの下男があたふたと駆け寄ってきて、どんな間違いをしでかしたのかと玄関を叱った。
「何かしたのは、あっちだ」
「ばかもの」
と下男が怒鳴った。
またか。
宮廷というところは何かというと、「ばか、ばか」という。
ここは厩舎といっても兵隊用の馬ではなくて、王子の白や栗毛色の馬が8頭飼われている場所なのだった。
「あのお方は第三王子、ロニロイ殿下だ。おまえ、首を切られるぞ」
首を切られる。
ひやっ、それは困る。
玄関は青くなって、うなじを撫でながら、一刻も早く逃げなくてはと思った。
すぐに仕事箱を背負って、裏口から外に出ようとした時、青い表紙の冊子が落ちていた。とても上等な紙でよい匂いがして、中を開くと黒いきれいな文字がずらりと並んでいたから、それを懐にいれた。きれいなものは好きだ。
仕事を紹介してくれた門番のマルキにだけはお礼と別れを告げなくてはならないと思った。
せっかく仕事を紹介してもらったけど、第三王子に失礼なことをしてしまったから、逮捕される前に逃げると伝えに寄った。
「そうか。まずいことになったな。どこへ逃げるつもりだ」
「わからない」
「第三王子は火山のようなお方で、爆発するが。すぐに冷める。そうだ、山のふもとに、王家の深い森がある。そこは一般人ははいれないが、王宮の者はほとんど行かないから、そこにしばらく隠れていろ。わしは妻と子に去られて家族なし家なしになった時、あそこの森に住んでいたことがあるんだ」
「おじさん、家も家族もいないのか」
「そうなんだ。仕事がうまくいっている時もあったんだが、弟子にまかせてなまけていたら、仕事がこなくなって、店が潰れてしまった。それで、家族も失った。全部、おれが悪い」
「何の仕事?」
「庭の仕事だ。それで、あの森に住んでいた」
「森?」
「木がたくさんあって、木の実もたくさんあって、暮らしやすいところだ。わしはやっぱり木や草が好きなんだ」
「木や草は好きになるものか」
「おまえは、何を言ってるんだ」
玄関は木や草を織ったことはあるが、動かないものを「好き」になるという感覚を知らなかった。
「おばけみたいな大きなソテツの木のうしろに、森にはいる入口がある」
「はい」
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