上 下
4 / 52
一章

4. 仕事をゲット

しおりを挟む
 翌朝、玄関が厩舎に行くと、馬糞を片付ける者が急にいなくなり困っているところだったらしく、面接で、「馬に詳しいか」と訊かれて、「はい」と答えたらすぐに採用された。
 馬に詳しくはないけれど、ジュマ村の工房の塀の外に馬が飼われていたから、馬を知らないというわけではない。

 玄関は緑色の作業着や靴まで支給され、掃除の仕方を教えてもらった。
 臭い仕事だったが、食べ物はもらえたし、狭い場所だが、寝るところも与えられたから、文句はなかった。
 馬は見たことはあっても世話はしたことがなかったので、なかなかの重労働だったが、がんばって働こうと思った。早くお金をためて、西の果てまで行かなければならないのだ。

 新しいことを始めると、当たり前だが新しいことがわかる。この仕事を始めて、馬の馬糞というのはすごい量なのだとわかった。それに、くさい。羊の糞の差ではない。なぜ急に羊のことを思ったのかはわからないが、そんな気がした。

 馬糞掃除の後は、風呂にはいってよいと言われた。浴衣はどこでもらうのだろうかと教えられた方向に行くと、外に大きな窯があって、男達が裸ではいっていたのでおったまげて逃げ戻った。
 絨毯工房の風呂とはずいぶんと違う。
 少しくらい臭くても、男たちの前で裸になるわけにはいかないし、あんな鍋みたいな中にはいって煮られるのはいやだと思った。

 仕事を始めて3日目の夕方、玄関は井戸でふたつの桶に水をいれ、棒の両方にかけて均衡を保ちながらゆっくりと歩いていた。
 馬用の給水桶を満たすのは、細い身体にはきつい仕事なので、玄関はもうふらふらだ。前は指を使う仕事だったから、重いものは持ったことがないのだ。

 下を向いて歯をくいしばって歩いていたら、乗馬用のズボンが目にはいってきた。
 その足は勢いをつけてまっすぐに歩いてきて、ぶつかりそうになった。
「じゃま」
 その無神経な足の男は、人を避けるということを知らないらしい。

「なんですか?」
「よけ」
 その男は横暴だ。
「そっちがよけてくれ」
 こんなに重いものを運んでいるのが見えないのか。

「じゃま」
 その男はもう一度同じことを言った。

 玄関の耳には「じゅま」と聞こえたので、変な質問だとは思ったが、ジュマ村はあっちの方角だと顎で示した。

「何を言っているのだ。おまえは馬鹿なのか」
「はい」
「この私が、よけと言っているのだ」

 その男が玄関の肩を乱暴に押したから、
「いたっ」
 玄関はよろけて、尻もちをついた。身体に桶の水がかかり、着物がびしょびしょになり、水が地面を流れて黒く広がっていった。
  
 ひどいじゃないか、と玄関は初めて男を見上げた。
 その男の態度はでかいが、顔はまだ少年だ。
 いつか動物の絨毯を織ったことがあったが、あの中の茶色の狸に似ていた。
 狸は弓の練習をしていたらしく、肌脱ぎをしていた。

「おまえ、おとこか」
 狸が斜めに構えて言った。
「そうだ、おれは男だ」
「ここで、待っていろ」
 狸はそう言って、足早に奥に消えた。
 
 緑の服を着たふたりの下男があたふたと駆け寄ってきて、どんな間違いをしでかしたのかと玄関を叱った。
「何かしたのは、あっちだ」
「ばかもの」
 と下男が怒鳴った。
 またか。
 宮廷というところは何かというと、「ばか、ばか」という。

  ここは厩舎といっても兵隊用の馬ではなくて、王子の白や栗毛色の馬が8頭飼われている場所なのだった。
「あのお方は第三王子、ロニロイ殿下だ。おまえ、首を切られるぞ」

 首を切られる。
 ひやっ、それは困る。
 玄関は青くなって、うなじを撫でながら、一刻も早く逃げなくてはと思った。
 すぐに仕事箱を背負って、裏口から外に出ようとした時、青い表紙の冊子が落ちていた。とても上等な紙でよい匂いがして、中を開くと黒いきれいな文字がずらりと並んでいたから、それを懐にいれた。きれいなものは好きだ。

 仕事を紹介してくれた門番のマルキにだけはお礼と別れを告げなくてはならないと思った。
 せっかく仕事を紹介してもらったけど、第三王子に失礼なことをしてしまったから、逮捕される前に逃げると伝えに寄った。

「そうか。まずいことになったな。どこへ逃げるつもりだ」
「わからない」

「第三王子は火山のようなお方で、爆発するが。すぐに冷める。そうだ、山のふもとに、王家の深い森がある。そこは一般人ははいれないが、王宮の者はほとんど行かないから、そこにしばらく隠れていろ。わしは妻と子に去られて家族なし家なしになった時、あそこの森に住んでいたことがあるんだ」
「おじさん、家も家族もいないのか」
「そうなんだ。仕事がうまくいっている時もあったんだが、弟子にまかせてなまけていたら、仕事がこなくなって、店が潰れてしまった。それで、家族も失った。全部、おれが悪い」
「何の仕事?」
「庭の仕事だ。それで、あの森に住んでいた」
「森?」
「木がたくさんあって、木の実もたくさんあって、暮らしやすいところだ。わしはやっぱり木や草が好きなんだ」
「木や草は好きになるものか」
「おまえは、何を言ってるんだ」
 玄関は木や草を織ったことはあるが、動かないものを「好き」になるという感覚を知らなかった。

「おばけみたいな大きなソテツの木のうしろに、森にはいる入口がある」
「はい」
「騒ぎが収まったら、教えに行ってやる。それまでは、そこに隠れていろ」




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、無実の罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました

深水えいな
キャラ文芸
無実の罪で巫女の座を奪われ処刑された明琳。死の淵で、このままだと国が乱れると謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女としてのやり直しはまたしてもうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは怪事件の数々で――。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

処理中です...