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第五回 喪失、奸計、近づくもの。

五の二(宋江の弟、任務失敗、三人だけの祝杯)

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 /二


 宋清そうせいは、定期的に兄が寄越す手紙を嫌いだった。
 そもそも、兄自体を嫌っていた。

 故郷の宋家村を離れて都会で暮らす兄は、病弱なくせして家を飛び出した大馬鹿者だ。
 父と喧嘩をして出て行ったというのに、飛脚便を使って手紙を寄越す。
 どこまでも甘っちょろくて、そんな中途半端さが宋清の癇に障った。

(そんなに僕達のことが心配なら、傍で見張っていればいいのに)

 家には年老いた父がいる。兄弟は遅く生まれた子で、父は年相応に弱っていた。
 心身共に弱り始めた父のもとに、父を案じる手紙が届く。
 傍にいて元気だと顔を見せれば安らぐ痛みも、遠くで聞かされる「元気だ」は的確に心を抉った。

 だから腹立たしい。
 敢えて返事なんて書いてやらない。兄へ伝えたい言葉など、無いからだ。
 だが兄に、定期的に届けてやらねばならない品があった。
 古くから宋家とやり取りをしている滄州横海郡の柴家さいけ柴進さいしんから取り寄せている秘薬を、飛脚便を使って送らなければならなかった。

(その仕入れをするのは、他ならぬ宋家の後継者である僕だ)

 幼少期の兄が病を患い、父が必死になって薬を探った。
 ついに見つけた治療薬を持つ名家は、名家というのも失礼なほど高貴な血筋で、かの大周皇帝の子孫であった。
 一つの地方をそのまま牛耳る大貴族と取引をしなくてはならない。
 皇帝陛下の一族の機嫌を損ねぬように、宋家の跡継ぎとして、常に緊張感ある交流をする。
 どう考えても、畑を耕す百姓の仕事ではなかった。

(しかも『湖に薬を全部流しちまったから余分に寄越せ』とか、そんな理由でハイどうぞってくれるお人じゃねーんだぞ。馬鹿兄貴!)

 取引も最初は面と向かってしていたが、近頃は手紙のやり取りだけで済ませるようになってくれた。
 それもあって、宋清の手紙嫌いはどんどん加速した。

 そして、もう一つ。
 父親同士が親友であり、先祖代々の交流をしている花家かけの花栄も、よく手紙を寄越した。

 花栄は同い年の宋清だけでなく、兄の宋江にも手紙を送ってくる。
 花栄が宋江へ贈る文は、とても優しく、穏やかだ。
 親愛する義兄へ綴る言葉はどれも華やかで、心細い宋江の心を潤していたに違いない。
 しかしそんな花栄も、宋清への手紙には苛烈な本音を走らせている。

『俺が宋江の傍に居たなら大事な薬を外に持ち歩かせはしない。いいや、よく判らない病の宋江を外へ連れ出したりもしない。なのにどうして宋清、お前は』

(いや、そんなこと僕に言われても!)

 苛立ちを隠せず、責め立てる文。
 宋清もさすがに腹が立ったが、すぐに撤回する言葉が述べられていたので、親しき仲として許してやった。

『次に俺が宋江に会ったとき、鎖で繋いで部屋に閉じ込めてやる。手足を縛って、もしくは斬り落としてでも。宋江は、守ってあげるべきなんだ』

(花栄の奴、こんな冗談を言えるようになったのか。……冗談、だよな?)

 同い年の幼馴染が、人ならざる獣に思えるときがある。
 兄の話題以外では、ごくごく普通の青年なのに。それがまた、恐ろしい。

 傍に居てくれないのに、間接的に存在を誇示アピールしてくる実兄。
 送られたふみを読むたび心を病むくせに捨てない父。
 ただの字なのに威圧感を醸し出してくる取引先。
 愛情というより怨念を込めてくる幼馴染。
 宋清は次第に、手紙自体を嫌悪するようになっていった。

 どうして目の前に誰か居る訳でもないのに、怯えて暮らさなければならない?
 憎々しく、兄の言葉を、握り潰した。


 宋江が役場に座り込んでいると、鎧に身を包んだ雷横と朱仝が戻ってきた。

 二人とも、沈痛な面持ちだった。何も言わず宋江は一戦を終えた友を迎え、報告を終える。
 上官も「賊を、取り逃がしたか」以上のことを言わず、重苦しい空気のまま、宋江は自宅へ戻るように命じられた。

 東渓村の晁保正の大屋敷は燃えた。
 兵士達を連れた雷横と朱仝がいざ晁蓋捕縛のために向かったところ、晁蓋自身が屋敷に火を放ったという。
 大きな敷地はどこも次々と燃えた。まずは村民の避難を最優先すべきだと判断した朱仝は、晁蓋逮捕を命ずる何観察に猛抗議し、東渓村民の誘導に徹した。
 朱仝の働きなのか、風向きが良かったのか、または火が点けられた場所が良かったのか。
 晁蓋の屋敷以外の家屋に炎が移ることはなかった。

 遅れる形で雷横の部隊が晁蓋達を追跡した。
 だが腕の良い漁師三兄弟の船は速く、陸地で勝負する雷横率いる歩兵団は太刀打ちができなかった。

 知県への連絡が遅れた宋江も、避難を最優先し逮捕に向わなかった朱仝も、陸地ではないから本領発揮ができなかった雷横も、全員失態を晒すことになった。

 ――沈んだ顔で、三人は宋江宅の門を潜る。

 雷横と朱仝は沈んだ顔のまま、二階の寝室へ案内された。
 戸の鍵を幾重にも掛けられる。外に漏れぬ声の壁の中、三人は一言も話さない。
 泥棒は忍び込めず、武器を持った屈強な戦士ですら破るには時間が掛かる宋江宅にて、雷横と朱仝は沈痛で重苦しい顔を……ようやっと上げた。

 そして、

「……雷横くん! 朱仝くん!」
「はあーあ! わざと負ける喧嘩ほど難しいものはないなぁ!」
「上手くやってくれたな、雷横。宋江のご要望通り、晁蓋殿らを逃がせたよ」

 堪えきれず、大声で笑い出した。
 その二人の変貌を見て、宋江は膝から崩れ落ちる。良かった、良かったと喜びの笑みを浮かべた。

「ありがとう、二人とも、本当にありがとう!」

 緊張感が解かれたことで腰が抜けた宋江を、雷横が支え起こした。その表情からはしてやったりの得意げな笑みが剥がれない。

「言うな宋江。……俺としていても、あの晁蓋殿が捕まって殺されると聞けば止めたいと思う。俺が世話になったのはたった一晩、でも良くしてくれた人だったんだ」
「僕は会ったことないけど、雷横と宋江が良い人だと言うなら、そうなんだろう? 疑わないよ」

 大屋敷に報告を終えた宋江は、雷横と朱仝のもとへ馬を走らせ、事情を説明した。

 ――晁蓋が強盗事件を起こした。
 だから逮捕される。極刑は免れない。だが救いたい。本人が犯人だと認めていた、でも……。
 本来ならば罰しなければならない。それでも逃がしたい。許したい。どうか助けてほしい――!
 宋江に懇願され、二人は、了承した。

 逮捕に動くべき者達が、犯人を匿い、逃がした。
 バレたら罪は逃れられない。だとしても救いたい人なんだと訴える姿に、雷横と朱仝は頷き合った。
 朱仝は「悔いなど無い」と声を掛ける。
 雷横も「晁蓋殿なら、無事に逃げ延びてみせるさ」と心から宥めた。
 そんな二人に宋江が、寝室にあった貯蓄金を渡す。謝礼のつもりだったが、二人は同時に押し返した。

「そんなものよりさ、腹が減ったからご飯が食べたいな。宋江の作ったやつが良い」
「えっ、じゃあ……良い酒を出してもらおう。外へ食べに……」
「ほら僕達、強盗犯を逮捕できず任務失敗して帰ってきたロクデナシだから、肩身が狭いんだ。そんな奴が堂々と良い酒を飲んでいたら、周りはどう思う?」
「あうっ……」
「だから宋江のご飯、食べたいな。雷横もそう思うだろ?」
「食べたい。けど、急に来た訳だし材料はあるのか?」
「あ、あるよ。実家の弟が作った野菜を漬物にしたものが、あとは米を炊いて、そんな物でも良ければ……」
「じゃあそれで頼む。……あ、今日まで寝込んでいたよな? 今日は慌ただしかったし、疲れているなら俺達が作ろうか?」
「そうだった。宋江、台所を借りるよ……晁蓋殿の話は、ここでおしまいにしよう」

 笑顔で二人は一階に戻ろうと戸を開けようとする。
 だが開かない。
 複雑な造りの扉は、家主以外が太刀打ちできなかった。
 凝った造りに立ち止まり、双方見合う。宋江は慌てて鍵を開け、二人を密室から解放した。

「……なあ宋江。この部屋は?」

 晁蓋の事件が最優先であり追及しなかったが、雷横は意を決して、尋ねる。
 この牢屋のような部屋は、金持ちとは思えぬ質素すぎる家は、何なのだと。

「私の寝室だよ。わ、私が夕食を作るから、雷横くん達は座っていていい」

 部屋のことを軽く流し、宋江は急いで階段を駆け下りていく。
 気にするなと言うのなら、雷横は黙るしかなかった。

 宋江は早速、保存していた酒を出して振る舞う。
 三人分の杯に並々と注ぎ、まずは一杯、豪快に飲み干した。
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