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90、くっつきたい
しおりを挟む右手を掴んだ楓花をグイッと引き寄せて、天馬は力強く抱き締めた。
「天馬……ありがとう」
震える背中をゆっくりさすりながら、
ーーああ、間違えなくて良かった。
天馬はしみじみとそう思う。
気付いてあげられて良かった。
間違えなくて良かった……。
強引に同棲になだれ込んで勢いで結婚していたら、きっと楓花は後々後悔しただろう。
天馬と笑顔で過ごしながらも、心の片隅では『これで良かったのだろうか』と思い続ける。
天馬が椿と付き合っていた時のように……。
そんなのは絶対に嫌だ。
「ごめんな、楓花……気付くのが遅くて。もっと話を聞いてやれば良かったな。もっと早くに気付いてやれれば良かったな」
保護者の誹謗中傷で傷ついた楓花を可哀想だと同情はしても、それによって失った仕事については深く考えた事がなかった。
楓花の仕事に想いをめぐらせようともしていなかった。
「同棲だ結婚だって1人で勝手に浮かれて……俺は大馬鹿ヤロウだな」
天馬の胸に顔を埋めたまま、楓花がフルフルと首を横に振る。
「違うの……私が憶病なくせに、勝手に未練を持ってて……」
「それが当然なんだよな。わざわざ東京の大学にまで行って資格を取った仕事なんだ。お前って子供が大好きだもんな。天職だ。諦めることはない……いや、続けるべきだ」
楓花が顔を上げ、濡れた瞳で不安げに見つめてくる。
「私……また働けるのかな。まだ怖いし自信が無いのに……大丈夫なのかな」
「……大丈夫になるよう、俺が手伝う。言っただろ?楓花は1人じゃない」
天馬は楓花の額に口づけると、またギュッと抱きしめた。
「お前だけが頑張る必要はないんだ。どうするのが一番いいのか、これから一緒に考えていこう」
「うん……ありがとう」
ーーああ、抱きたいな……。
こんな時に不謹慎だとは思うけれど、無性に彼女を抱きたいと思った。
やっと最後の薄い壁が取り払われた。取り払ってやる事が出来た。
自分はちゃんと恋人として彼女の気持ちを汲み取ってやることが出来た……それが本当に嬉しくて感動している。
ーーだけど、今はそうするべきでは無い……よな。
天馬は楓花の身体を離し、頭にポンと手を乗せて顔を覗き込んだ。
「お腹空いてないか?何か食べに行くか? それとも甘いものでも……」
「ううん……」
予想に反して楓花が首を振った。
「それじゃあドライブでも……」
「ううん、2人っきりになりたい」
「……えっ…」
「天馬と2人きりになりたい。……ギュッてくっつきたいの……」
ウルウルした瞳で、頬を赤く染めて申し訳なさそうに言われて……頭が一瞬で沸騰した。
「駄目?……」と楓花が言い終わる前に、手首をグイッと掴んで歩き出していた。
「天馬?!」
「……マンションに行こう……すぐに抱きたい。いいだろう?」
コクコクと頷く姿を見て、フッと頬が緩んだ。
ーーああそうか、これが阿吽の呼吸か。
辻には今度本当に焼き肉を奢ってやろう。いや、たこ焼き機でも買ってやるか……。
たこ焼きパーティーをするのなら、道具は多い方がいい。
そんな事を考えながら、天馬は愛車をフルスピードで発進させた。
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