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54、コイツは貰ってくから

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「楓花ちゃん、大丈夫? 顔色が悪いから今日はもう家に帰って休んだ方がいいわ」

 椿が去った後のテーブルで茫然と座り込んでいると、茜が心配そうに顔を覗き込んできた。

「ううん……大丈夫」

 のろのろと立ち上がりティーカップをシルバートレイに乗せようとしたら、バランスを崩してソーサーからカップが滑り落ちた。

「あっ!」

 ガチャン! と硬質な音がして、陶器のカケラがフローリングの床に飛び散る。

「お騒がせして申し訳ありません!」

 慌ててホウキを取りに行こうとすると、茜に手首を掴まれ止められた。

「楓花ちゃん、上司からの命令。今日はもう帰りなさい。そんな状態で仕事をされても迷惑」
「茜ちゃん……」

 茜は楓花の肩に両手をポンと置いて顔をグッと近付けた。

「楓花ちゃん、健康管理も仕事の一つよ。今日は帰ってアールグレイでも飲んで休憩なさい。そして今夜は天馬に思いっきり甘えて癒してもらいなさい」

「茜ちゃん……ありがとう。ごめんなさい」

 涙ぐみながら漸くそれだけを告げると、
「こういう時は『ありがとう』だけでいいの。『ごめん』は不要!」
 そう言って背中を押された。





「あ~あ、最悪だ……」

ーー気分も最悪だし、私も最低、最悪……。

 楓花は部屋のベッドに横になりながら、スマホで時間を確認した。

 午後5時2分

ーー本当なら、今頃は天にいと……。

 今日は午後5時に天馬と駅前で待ち合わせてデートの予定だった。

 だけど椿との会話を思い出すと、胸が痛くて辛くて堪らないのだ。
 こんな気持ちのままで楽しく過ごすなんて無理だ。天馬に会ったら自分が何を言い出すか分からないし、誕生日の前日に口論なんてしたくない。

 楓花はどうしようかギリギリまで悩んだ挙句、 結局キャンセルのメールを送ったのだった。

 スマホの画面を開いて天馬とのやり取りを見返す。

『ごめんなさい。今日は気分が優れないのでキャンセルさせて下さい』

『分かった。大丈夫なのか? 』
『大丈夫です』

『身体の調子が悪いの?』
『違う。大丈夫 』

『風邪を引いたの?熱は?』

 最後はやり取りをするのも辛くなって放置した。

ーー椿さんの言う通りだ……。

「私には…… 何もない」

 椿さんの言っていた通りだとすれば、天馬は楓花にキスされた直後に婚約を解消したということになる。
 そのせいで教授の顰蹙ひんしゅくを買い、医局を追われ、柊胃腸科で働き始めた。
 だけどそこも、兄である内科部長が継いだら居辛くなってしまう……。

ーー私は天にいに与えるものが無いどころか……いろんなものを奪っていたんだ……。

「もう、最悪……最悪だ……」

 両腕を顔に乗せて目をつぶると、閉じた瞼の下から涙が溢れて首筋へと伝って行った。


 トントン

 急に部屋の扉をノックされ、楓花はビクッとした。ガバッと上半身を起こしてドアを見る。

ーー茜ちゃん? 

「茜ちゃん、ありがとう!でも放っておいてくれて大丈夫だから!」

ーー今はこの涙を見られたくない……

 すると、予想に反してドアがカチャッと開き、 楓花が「えっ?!」と思っているうちに全開になった。

「……えっ」

 そこに立っていたのは、他ならぬ天馬だった。

「天にい!」

 天馬はツカツカとベッドまで歩いて来ると、楓花の背中と膝裏に手を差し入れて、グイッと持ち上げた。

「えっ、ちょっと!」

 天馬は楓花をお姫様抱っこしたまま軽々と階段を下り、玄関へと向かう。

「ちょっと!嫌だ!天にい!」


「天馬、楓花ちゃんをよろしく」
 玄関で待ち構えていた茜がドアを開ける。

「茜、世話になった。ありがとうな」
 天馬がそう返して外に出ると、ちょうど出先から帰って来た大河と出くわした。

「おう、天馬……うわっ、楓花?! お前ら何やってんだよ! 何処に行くの?」

 天馬は楓花を助手席に押し込んでドアを閉めると、運転席側に移動してドアを開けながら大河に向かって叫んだ。

「コイツは貰ってくから!……あと、お前のせいで遠回りさせられた!今度シメるから覚悟しておけよっ!」

 ドアがバタンと閉められると、黒塗りのメルセデスマイバッハはキキキッ!と激しくタイヤを鳴らしながら夜の街に消えて行った。
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