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<< バレンタイン番外編>>

ハート型クッキーの行方 (2) side冬馬

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 日曜日の午後、俺が法テラスの離婚相談を終えてマンションに帰ると、家中が甘い匂いに包まれていた。

ーーんっ?

 お昼どきだから昼食の準備をしてくれているとは思ったが、デザートも作ってくれているのだろうか。

 楽しみにしながらキッチンに向かうと、さっきよりも濃厚なバターの香りが鼻孔をくすぐった。

 キッチンカウンターに向かって何やら必死になっている桜子に「ただいま」と声をかけると、桜子は「きゃっ!」と声を上げて振り向いた。

「あっ、冬馬さん! ごめんなさい、気づかなくて」
「いや、驚かせてごめん。夢中になって何をしてたの?」
 
 ひょいと作業台を覗きこめば、まな板の上には星やヒヨコやお花など、様々な型で抜かれたクッキー生地が並べられている。

「クッキー?」
「そう、クッキー」

 桜子は「なんだか懐かしくなっちゃって」と言って、自分が中学生の頃の思い出話をはじめた。



「——— それでね、お兄ちゃんったら、冬馬にはハート型は1枚だけだ! って言いながらポイッと袋に戻してくれて」

 桜子が語った話は、彼女が中1の終わりのバレンタインデイのことだった。
 桜子が友人とハート型のクッキーを焼いたら大志が独り占めしてしまったのだという。

「ああ、クッキーか……俺も覚えてるよ」

 確かいつものように週末に大志の家の夕食に招待されて、唐揚げとかポテトサラダをいただいて……
 夕食後にお茶を飲んでいたら、桜子が『ハッピーバレンタイン!』って言いながらクッキーをくれたんだ。

 なぜそんなに鮮明に覚えているかというと、桜子がくれたクッキーがとても嬉しくて、特に中に1枚だけ入っていたハート型のクッキーが本当に嬉しくて……それだけはしばらく食べずに袋に入れたまま残してあったからだ。


「確かあの時も、ここに並んでるみたいな星型やヒヨコ型なんかがあったよな」
「凄い記憶力! そう、あの時を思い出して、同じような型を買ってきたの!」
「そうか……」

 俺はすでに焼きあがっているヒヨコ型の1枚を手に取り、齧ってみる。
 美味しい。だけどあの日と同じ味なのかどうかはわからない。
 あの時はなんだか舞い上がっていて、バターの風味がどうのとかサクサクした食感が……なんてペラペラ語って、大志に『食レポしてんじゃねえよ!』と頭を小突かれた記憶がある。

ーークリスマスといい、バレンタインといい……。

 今思えば、あの頃から俺と大志は桜子をめぐって恋の鞘当さやあてをしてたんだな。

ーーまあ、結果は大志の不戦勝のようなものだが。

 アイツがハート型のクッキーを1枚だけ袋に戻す様子が目に浮かぶ。
 きっと渋い顔をしながら『アイツを調子づかせる』なんてブツブツぼやいていたに違いない。

 それでもアイツはそのたった1枚を俺に許し、俺を家に呼び、桜子がクッキーを渡す様子を見守っていたんだ。

「ハハッ、参ったな……」

 大志には一生敵わないな。
 おまえはずっと俺の親友でライバルで、ヒーローだ。

ーーほんと、憎らしいくらいにカッコいいよ。

 俺が手のひらで両目を覆うと、桜子が「冬馬さん?」と心配そうに声をかけてくる。

 俺はスンと鼻をすすり、大きく深呼吸して顔から手を離す。

「ごめん、大丈夫だ」

 すると桜子が、レース柄の透明な袋に入ったクッキーを差し出してきた。
 口が赤いリボンで結ばれている。

「ふふっ、あの日のを忠実に再現してみました。ハッピーバレンタインデイ!」
「……ありがとう」

 桜子がくれた袋を受け取り、リボンをほどく。

ーーあっ!

 中に入っているのはハート型のクッキー。
 全部、全部ハート型だ。

 目を見開いて桜子を見ると、彼女は満足げに俺を見つめ、中の一枚をつまみ出す。

「あの時はたった1枚しかあげられなかったけど……はい、私の愛を召し上がれ」

 桜子が持つハート型のそれを、俺は頬を震わせながらゆっくりと齧る。
 甘い。甘くてなぜか、少しだけしょっぱい。

「桜子……」

 桜子は俺の頬を伝う涙をそっと指でぬぐい、「お兄ちゃんのことを思い出して泣いてくれてるの? ありがとう」と自分自身も涙ぐんでいる。

 抱きしめて口づけると、それはやはり、バターの濃厚な、甘ったるくてしょっぱい味だった。

「桜子、今度のお墓参りには、クッキーを持っていくか」

 可愛いレース柄の袋に、桜子が焼いたクッキーを詰めこんで赤いリボンをかけて。
 だけど中身は星型やヒヨコ型。ハート型はたった1枚だけだ。

 そして墓石の前で手を合わせながら言ってやろう。

『ハート型は1枚だけだ。おまえが調子に乗るからな』

 天国で悔しがるであろう大志の顔を思い浮かべながら、俺はハート型のクッキーをもう1枚口に頬張った。







Fin


*・゜゚・*:.。..。.:*・' .。.:*・・** .。.:*・゜゚・*

 刊行後初の番外編はバレンタインデイのお話です。

 今回は応援してくださっている皆様への感謝の気持ちを込めて、アルファポリスに投稿中の恋愛もの9作品全てにバレンタイン番外編を書きました。

 バレンタインなので明るいハッピーなお話だけを書いたつもりですが、どうも大志が絡むとしっとりした感じになってしまいますね。
 それでもしあわせだった頃の大志を感じていただけたら幸いです。

 久々に『兄の遺言』の続きを書けて嬉しかったので、また機会があればこんな感じで番外編を投稿していきたいな……と思っています。
 その際にはまたお付き合いよろしくお願いいたします。

 それではHappy Valentine’s Day💕

 2021年2月14日

 田沢みん拝

 
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