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<< 外伝 水口麻耶への手紙 >>
22、ストーカー事件 (1)
しおりを挟む私の元夫が福岡の実家に押し掛けた。
母が1人で住んでいる家に何の予告もなしに突然現れて、私との復縁の橋渡しを頼んできたという。
離婚裁判の時に八神先生のアドバイスで接近禁止命令を出してもらってあったため、私に近づけないのなら……と母の方に泣きついたのだろう。
どこまでもネチネチした卑怯者だ。
「私の実家に今日DV野郎が押し掛けたらしいんです」
母から電話があったその日はちょうど法テラスの相談依頼があり、私と日野先生は土曜日にも関わらず午後から事務所に来ていた。
「押し掛けたって……アイツが福岡まで行ったってこと?」
無料相談が終わった後で、今朝の母からの電話の内容を話して聞かせ、明日から福岡に行って来るから月曜日から2日間ほど休みが欲しいと願い出た。
日曜日1日だけでは問題が片付かないかも知れないと思ったからだ。
「ちょっと待って。休みは構わないけど、君が1人で行くのは危険だよ! アイツと鉢合わせしたらどうするんだ」
福岡には日野先生の同期の弁護士先生がいらっしゃるそうで、その方を紹介ついでに先生が一緒に家まで来てくれると言う。
正直言うと女2人であのDV野郎に対峙する勇気は無かったし、彬にも絶対会わせたくはなかったから、男の人、しかも弁護士である日野先生が一緒に来てくれるのならありがたい。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
福岡に着いたのは午前10時前で、私たちはこれからまず最初に私の実家に向かうことになっている。
今日も来ると言っていたDV野郎を待ち伏せて、日野先生が睨みをきかせて下さるそうだ。
タクシーに乗り込んでふと横を見ると、窓の外を眺めている日野先生の頬がフニャリと緩んでいる。
「先生、昨日いいことでもありました?」
「えっ?どうして……」
「顔がニヤけています。今晩会えなくて寂しいって、新妻に甘えられちゃいました?」
新婚さんの週末を潰してしまって申し訳ないけれど、非常事態なので許してもらおう。
桜子さんには福岡の名産品を沢山用意して、日野先生にお土産として持ち帰ってもらおう……なんて考えていたら、聞こえてきた言葉はなんとも能天気なものだった。
「少し不安げな顔はしていたけれど、今朝も笑顔で送り出してくれたよ。君によろしくって言ってた」
ーーえっ?
「まさか先生は桜子さんに私と一緒だって話したんですか?」
「ああ、変に隠して勘繰られるよりはと思って、君と一緒に出張だと言ってある。あながち嘘じゃないだろう?」
ーーなんと馬鹿正直な。そこはサラッと嘘をついておけばいいものを……。
「それは……馬鹿ですね」
男女のペアで出張なんて会社では珍しくないし、私と日野先生に恋愛感情が無いことは一目瞭然だ。
だけど桜子さんは恋愛に免疫が無さそうだし、しかも新婚さん。
私についこの間まで彼氏がいて、しかも子持ちだということも知らないのだ。
まさか浮気までは疑わないにせよ、いい気はしないだろう。
日野先生もその辺りの女心の機微に疎そうだから、私が先回りして口止めをしておくべきだったのに……。
ーー失敗したかな……。
日野先生は優秀な弁護士だし、年齢以上の落ち着きがあって素晴らしい男性だと思う。だけどとにかく毒が無さ過ぎる。『性善説』の男だ。
彼の慎重さや誠実さに八神先生の大胆さと狡猾さが加わっていれば最強だったのに。
2人のコンビネーションは目を見張るものがあった……。
今更そんな事を言ったって仕方がないのに、ついそんなことを考えてしまう。
「今からでも東京に戻られますか?」
桜子さんに嫌な思いをさせるのは本意では無い。残念だけどここは……。
「いや、問題を解決していないのに放って帰るなんて出来ないよ。せっかくここまで来たんだ。ちゃんと仕事をやり遂げさせてくれ」
ーー本当に真面目なんだから……。
「……だったらもう、この際だから全部言っちゃいません?」
「言うって……」
私の言葉に日野先生が怪訝な顔をする。
「私のことですよ。変に隠そうとするからギクシャクしちゃうんですよ。桜子さん、私と話す時は今だに緊張してるし、私だって言いたいことを言えなくて気まずいんですよ」
「それは……悪いけど……俺は……大志から桜子を預かったんだ。だから、すまないけど…」
ーー結局そこに行き着いてしまうのね。
八神先生が手紙で私に桜子さんを託したように、日野先生にも同じように……いえ、それ以上に何度も何度も彼女を守り支えるよう頼んだに違いない。
八神先生の言葉は私たちに前に進む勇気や励ましをくれたけれど、同時に過去に縛り付ける足枷も遺していった。
ーーいつまで内緒にしなきゃいけないんだろう。
彼女と私は仕事を通じて少しずつだけど打ち解けて来ていると思う。
だけど、まだ薄い壁が挟まったままだ。
それはきっと、私が踏み込んだ会話を避けているからで……。
「まあ、日野先生がそうするって仰るのなら私は従うまでですが」
結局最後はそう言うしか無くて、気まずい空気を追い払うように、慌てて話題を変えた。
「それより日野先生、まずは家に寄って下さるんですよね? 母が楽しみにしてるんです」
「ああ、ご挨拶をさせていただくよ」
「よろしくお願いします。彬、もうすぐお婆ちゃんに会えるからね」
そのあと私の実家で日野先生は母から大歓迎を受け、昼食のみでなく夕食も食べて行くよう熱心に口説かれた。
「先生、無理しなくていいですよ」
「いや、せっかくだからいただきます。ありがとうございます」
そして元夫のDV野郎は、お昼を少し過ぎた頃に現れた。
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