仮初めの花嫁 義理で娶られた妻は夫に溺愛されてます!?

田沢みん

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12、激震

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「今朝も桜子とFaceTimeをしたんだけどさ、先生が面倒見がいい人らしくて、今日、向こうの家で一緒にお昼ご飯を食べたんだってさ」

「ああ、あちらはまだ日曜日の夜ですね」

 アメリカ東海岸との時差は13時間。
 桜子さんは大抵こちらの早朝……八神先生が起きる時間を見計らって連絡をしてくるらしく、今朝はFaceTime で顔を見たと上機嫌で出社して来た。
 
「それでさ、アイツ、先生の家で肉じゃがと唐揚げを作って喜ばれたって言って、凄く嬉しそうにしてたんだ。良かったよ」

「桜子さん、すっかりアメリカの生活に馴染んでるじゃないですか。この勢いで向こうで結婚して永住しちゃうんじゃないですか?」

「縁起でもない!俺、桜子を迎えに行こうかなぁ~」
「自分で行けって言っておいて」
「……だよなぁ~」

 ハハッと笑い出した八神先生を見て、私と冬馬先生も笑い出す。
 もちろん桜子さんが帰って来るに決まっていると分かっていての会話だ。

 そう、私たちは確信している。
 桜子さんは絶対に日本に帰って来る。この事務所で大好きな兄を支えるために……帰って来るために留学したんだ。


 桜子さんがボストンに語学留学して約半年。
 八神法律事務所は順調に業績を伸ばし、経営状況は右肩上がりと言っても良かった。

 私も事務所の仕事に慣れては来ていたけれど、精力的に仕事を引き受けている2人のスケジュール管理と書類作成は法律の知識が無い私にはなかなか大変で、電話番やお茶出しだけでもしてくれる事務員があと1人欲しいところだった。

「あと半年もしたら桜子が帰って来る。大変だと思うけれど、それまでは今の体制で頑張って欲しい」

 八神先生の言葉に、

「コピーや書類作成は自分でやればいいし、出張の新幹線のチケットだって自分で予約すればいい話だ。桜子ちゃんが戻るまではどうにか3人で しのいでいこう」

 日野先生もそう応じて、あと半年は3人でどうにか頑張って行くということになった。

 それは即ち2人が今以上に忙しくなるということだ。
 自分たちがどれだけ苦労しようとも構わないという覚悟。
 あくまで桜子さんの居場所を確保しておきたいという2人の気持ちが、言葉の端々から伝わってくる。

 最高レベルの男2人にここまで想われ、遠く離れていても常に大切にされている桜子さんが、単純に羨ましいと思った。
 


 夏の終わり頃から八神先生が痩せ始めた。多忙を極めているところに夏バテが重なったのだろうと、事務所の皆が思っていた。

 秋になるとそれが顕著になり、流石に健康状態が心配になって来る。

「大志、お前ちゃんと食べてるか?」

 外での仕事を終えて事務所に戻って来た八神先生に、日野先生が声を掛けた。

「お前、随分痩せたよな。無理しすぎなんじゃないか? ちゃんと寝てるのか?」

「私もそれを思ってたんですよ。夏の終わり頃から急に痩せて来たなって。事務所が大きくなっても八神先生が倒れちゃったら意味ないですからね。身体を大事にして下さいよ」

「う~ん、夏バテしたのかな。最近胃もたれもするし、今度検診でも受けてみるかな」

 そんな風に軽い口調で話していた1週間後、事務所を激震が襲うことになる。




「ああ、どうだった?……うん……ああ……分かったけど……うん、気を付けて」

 その会話を聞いただけで、電話の相手が八神先生だと分かった。
 今日は胃カメラの生検の結果を聞きに行っているはずだ。

 日野先生は電話の途中で私の方をチラッと見て、だけど電話を切ってから何も言わず暗い顔で考え事をしている。
 その姿を見ていると、なんだか胸騒ぎがして落ち着かなかった。


「水口さん、備品の買い出しをお願いしていいかな」
「えっ、今からですか?」

 それから20分程して、急に日野先生に買い出しを頼まれた。
 コーヒーやお茶っ葉は買って来たばかりだし、コピー用紙もまだ充分にあるのに……だ。

「お茶請けのお菓子と封筒と……郵便局で切手も買って来て欲しいんだ」

「……分かりました」

 もう違和感しかない。

 もうすぐお昼休憩の時間じゃない。それまで待ってちゃいけないってこと?
 もうそろそろ八神先生が帰って来る時間じゃなかった?

ーー嫌だなに、あの思い詰めた表情。嫌だ、本当に嫌。

 暗い予感が脳裏をかすめた途端、心臓がバクバクして足が震えた。
 買い物はあっという間に終わったけれど、なんだかすぐに戻ってはいけない気がして、それから更に30分ほど時間を潰してから事務所に帰った。


 私が帰った時にはもう八神先生が事務所に戻って来ていて、彼は2時からアポが入っているクライアント用の資料をまとめていた。
 日野先生は裁判の準備書類の起案をしている。

「水口さんお帰り。買い物をありがとう」
「あっ……はい」

 そう言った八神先生の瞼は腫れぼったく、目は充血していた。

 絶対私に言うべきことがあるはずなのに、2人とも黙りこくったまま黙々と仕事を続けている。

ーー何よこれ、本当に……本当に嫌なんだけど。

 だけど私もそれを聞くのが怖くて、ちょうどデスクの電話が鳴ったのをいいことに、重要な話を聞くのを先延ばしにした。


 その3日後に『病院に行くから』と午前中2時間事務所を留守にしていた2人は、帰って来るなりわざわざ応接室に私を呼んで、2人揃って向かい側に座った。

「水口さん……本当に申し訳ない」

 神妙な面持ちで口を開いた八神先生に告げられたのは、残酷で衝撃的な事実。

 ステージIVのスキルス胃癌。

 実質的な余命宣告だった。
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