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<< 外伝 水口麻耶への手紙 >>

3、 出会い

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『あっ、若いな』

 それが、八神大志を初めて見たときの第一印象。
 そして同時にこうも思った。

『これはハズレだったかも……』


 夫のDVに耐えかねて離婚を望んだ私が、藁にもすがる想いで街で見かけた弁護士事務所に飛び込んだのは、緑が眩しい5月中旬のことだった。


 弁護士事務所を訪ねて来るクライアントが望むものは、確かな実績と経験、そして安心感だ。

 そのためにはそれなりの相談件数を受けていて欲しいし、裁判経験も多いに越したことはない。

 その点で言えば、八神法律事務所代表の彼は見るからに不合格だった。

 少し色素の薄い柔らかそうな髪に甘いマスク。今どきの若者らしい容姿は人気アイドルと言っても通用しそうだ。
 快活な話し方は好感が持てるけれど、その屈託ない笑顔が余計に彼を若々しく見せている。
 28歳と言うけれど、それよりももう少し若く見えた。


「失礼致します」

 そう言ってコーヒーを運んできてくれた男性を見て、さらに驚いた。

ーーちょっと、ここってホストクラブ?!

 濡れたような漆黒の髪に漆黒の瞳。ギリシャ彫刻を思わせるような彫りの深い顔立ちをしたモデルみたいな男性が、カップとミルクとシュガースティックが乗ったソーサーをカチャリと置くと、会釈をして部屋を出て行く。

 秘書なのかな……と思った。
 それにしても、この小さな事務所に目を惹く美形が2人も固まっているなんて、そんな凄い偶然があっていいものだろうか。
 いや、実際目の前にいるわけだから、起こり得ることなんだろうけど。

 いずれにせよ、彼の弁護はあまりアテには出来なさそうだ。

ーーでもまあ、せっかく来たんだし……。

 無料相談の30分を無駄にするのも勿体ない。
 2度とここには来ないだろうけど、ちょっとアドバイスだけでももらえれば……という軽い気持ちで、期待もせずに打ち明けた。

 だけど……彼から得られたものは期待以上だった。

「夫のDVに悩んでいて……このままだと子供が殺されます。離婚したいんです」

「分かりました。詳しく話をお聞かせ下さい」

 話し上手の聞き上手。
 彼はテーブルの上で両手を組んで話を聞く体勢を整えると、時には神妙な表情で相槌を打ち、時には柔らかい笑顔で優しい言葉を掛け、巧みにこちらの言葉を引き出して行く。
 気付けば彼氏がいることや彼との結婚を望んでいることまでペラペラと打ち明けてしまっていた。

 そこまで聞いてからの彼の反応は素早かった。

「医師の診断書はありますか?」
「お尻に青痣を作った時に病院に行って診察してもらいましたが、診断書までは……」

「でしたらすぐに診断書を発行してもらって下さい。今からでも頼めば書いてもらえますから。痣の写真は撮ってありますね?」
「はい」

「恋人とは……出来ればしばらく会わないでいただきたい」
「えっ?」

「その事が御主人側にバレたら不利になります」
「だけど向こうが先に暴力を……」

「あなたの不貞が以前からのもので、その苛立ちを息子にぶつけてしまった……あるいは息子が自分の本当の子ではないと疑い可愛くなくなった……そう言われたら?」
「それは……」

「そうでなくても、あなたが『不倫をしている』という事実だけで、向こうに反論する余地を与え、慰謝料減額の理由にされる可能性があるんです」

 黙り込む私に畳み掛けるように、彼は次々と指示を与えて行く。

「何も別れろと言っている訳ではありません。彼氏と会うことを極力控えて、どうしても会いたければ、建物の出入りを時間差にする、連絡手段もメールなど記録に残る方法は避けるなど、上手くやればいいんです」
「……はい」

「御主人側が興信所に依頼している可能性も考えて、尾行にはくれぐれも気を付けて下さい。移動手段も移動経路もたまに変更したほうがいいでしょう。今までの恋人とのメールは全部削除。ホテルや飲食店の領収書もシュレッダーにかけて破棄して下さい」

 気付くと彼から言われたことを慌ててメモして、次回の面談の予約を取り付けていた。

 夫が離婚を渋ったために調停では決着がつかず裁判にもつれ込んだけれど、そこでも八神先生の弁舌は冴えていた。
 滑らかでハキハキした口調でいながらも、時には凄みのある声色で、鋭い指摘を繰り出して先方を追究していく。
 結果的には約半年という異例の早さで、全面的にこちらの要望通りの形で判決が下された。


『人は見かけによらない』とは言うけれど、この時こそそれを改めて思い知らされた事は無かった。
 自分の人を見る目の無さや、見かけの雰囲気だけで彼を判断しようとしたことが恥ずかしく、大いに反省をした。

 そして後に、彼の内に秘めた懊悩おうのうや胸に秘めた想いを知るにつれ、更にその気持ちを強くすることになるのだけれど……

 その時はまだ何も知らなかった私は、彼の優秀さに感心し、彼の尽力に感謝したものの、裁判が終われば関わることのない人だと、そう思っていたのだった。
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