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<< 妹と親友への遺言 >> side 大志

56、唯一弱音を吐ける男

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「あっ、八神先生!」

 お昼休憩の時間を見計らって事務所に行くと、ちょうど法律相談の客が事務所を出て行くところで、俺は入れ替わるようにして中に入っていった。

「1週間の休みをありがとう。お土産を持ってきた」

 パソコンの手を止めてこちらを見ている冬馬のデスクにドサリと袋を置いて、中から土産を取り出して行く。

「冬馬には定番の缶入りアーモンドとハーバードのキャップ。水口さんには彬くん用にチョコレートとハーバードのキャップ、それと水口さんが使ってる香水を空港で安く買ってきた」

「わぁ、ありがとうございます。それで……体調は如何でしたか? 桜子さんとはゆっくり過ごせました?」

 水口さんが遠慮気味に聞いてきたから、俺は「楽しかったよ」と笑顔で頷いて見せた。

「機内はビジネスクラスで快適だったし、桜子のアパートは広くて過ごしやすかった。街も見所が一杯あったし料理も上手くて最高だった」

「それは良かった……身体の方は大丈夫なのか?」

 冬馬にも「ああ」と返事をしてから、水口さんに向き直る。

「水口さん、これからお昼休憩だろ? のんびりして来ていいよ。休憩が終わったらそのまま郵便局に寄ってもらってもいいかな?」

 賢い彼女は俺の意図を察してくれたのだろう。少し目を伏せながら、「分かりました。行ってきます」と財布とスマホと郵便物を持って出て行った。


「……シンドいだろう。ソファーに座るか」

 冬馬が先に立って歩き出し、2人で応接室に入った。向かい合って座ると、冬馬が開いた膝の上で指を組み、前屈みになって話を聞く体勢になった。

「結局……何も言えなかったよ」
「……そうか」

 喜んでいるのかも知れないし、哀れに思っているのかも知れない。だけど一言呟いただけのその表情からは、冬馬がどう思っているのか読み取れなかった。

「だってさ…… 久し振りに会った俺に、『お兄ちゃん、 お兄ちゃん』って無邪気に甘えてきてさ…… そんな桜子に、 今更オトコを前面に出すなんて出来ないよ」
「……うん」

「俺が桜子に留学を勧めたのはさ…… もちろん英語の勉強のためでもあったけど、 俺のためでもあったんだ」
「お前のため? 」

「……うん、 そう。 アイツと一旦距離を置いて、 自分の気持ちを冷静に見極めたいって思ったんだ。 そして、 桜子にも俺がいない世界で自由に生きる期間を与えてやりたかった。 そして、 もしもアイツが戻ってきた時にまだ付き合ってる男がいなかったら…… 俺は兄としてではなく、 1人の男としてアイツに告白するつもりだった」

 そこまで話すつもりは無かったのに……こんな言葉を冬馬には聞かせるべきじゃ無いって分かっているのに……一度溢れ出した想いは自分でも止められなくて、俺は馬鹿みたいに正直に心の内を漏らしていた。

「甘く囁いて、 優しく指先で触れて…… 少しずつ態度を変えて、 意識させて…… 俺は兄である前に1人の男なんだって、 ゆっくりゆっくり気付かせてから気持ちを伝えようって思ってたけど…… 」

ーーそう思っていたけれど……

「だけどもう俺には、 そんな資格も時間も無いから…… 」

 震える声でそこまで一気に言い募ると、後は悔しさや虚しさや哀しみが一気に押し寄せて何も言えなくなった。

ーー泣くつもりなんて無かったのに……。

  テーブルの上にポツリポツリと滴が落ちている間、冬馬は身じろぎ一つせず、何の言葉も発せず、ただただ黙ってそこにいてくれた。

 そう言えば、親父たちが死んで弱っていた時もコイツの前で号泣したんだっけな……なんて事を思い出した。

ーー悔しいけれど、冬馬は俺が一番弱音を吐きたくない男で、だけど俺が唯一弱音を吐ける男なんだ……。

 何分経ったのか分からない。だけど感情の波が漸くおさまって顔を上げると、冬馬も前屈みになっていた身体をゆっくり起こして苦笑いのような複雑な表情を浮かべた。

「冬馬……だけど俺は自分の選択を後悔してないよ。とにかく、 桜子がボストンから帰って来るまでは、 絶対に生き延びてみせるさ」

 鼻をすすりながらニッコリ微笑んで立ち上がると、冬馬も立ち上がり、右手を差し出して来た。

「お前が無事に帰って来れて良かった。それが何よりだ。俺も協力する。お前は生きて桜子ちゃんに会うんだ」

「……ああ」

 手を握り返したら、冬馬の手にグッと力が籠もった。生命力の溢れる、未来ある力強い手。
 俺はコイツに負けたくなくて、ありったけの力を込めて強く握り返した。

 
 事務所の前でタクシーに乗り込んだ途端にドッと疲れが出て来た。
 背もたれに深くもたれて目を瞑る。

ーー甘く囁いて、 優しく指先で触れて…… 少しずつ態度を変えて、 意識させて…… 俺は兄である前に1人の男なんだって、 ゆっくりゆっくり気付かせてから気持ちを伝えようって思ってたけど…… か。

 自分が発した甘っちょろいセリフを思い出して苦笑した。
 そんな悠長なことをしている時間さえ……いや、そんな資格さえ、俺にはもう残されていないんだな……。

 もっと早くに告白していれば……。
 駄目だ、それだと桜子とぎこちなくなって終わるだけだ。

 やっぱりボストンで抱いておけば……。
 それは散々考えて、駄目だって、気持ちは自分の中だけに封印するって決めたんじゃないか。

……なんだよ、どのルートを選んでも結局最後はどん詰まりのバッドエンドなんじゃないか……。

ーーどうせ死んじゃうんだしな。

「ハハッ……」

 突然小さく笑った俺を、ミラーの中の運転手が怪訝そうな顔で覗いていた。
 だけどそんなのお構いなしで、俺は喉の奥で乾いた笑いを漏らし続けていた。
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