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<< 妹と親友への遺言 >> side 大志
11、痴漢
しおりを挟む桜子が痴漢に遭った。中1の夏休みのことだ。
学校の友達と映画を観に行った帰りの電車。帰宅ラッシュの時間でそこそこ混んでいたらしく、ドアの近くの手摺りに掴まって立っていたら、フレアースカートの上からお尻を撫でられ、揉まれたらしい。
「大志、今すぐ駅に行ってくれないか。桜子が痴漢に遭ったらしい。俺はクライアントのアポがあるからまだ暫くは動けないんだ。終わり次第そっちに向かうから……」
父親からの電話を受けて、最後まで聞く前にもう走り出していた。
母親は高校の同窓会で千葉に行っているからすぐには来れない。桜子は知らない大人に囲まれて怖い思いをしているに違いない。
駅に向かっている途中でまたしても父親から電話があり、今度は病院に行けと言う。
桜子が過呼吸で倒れて病院に担ぎ込まれたらしい。
ーーくそっ!
すぐにタクシーを捕まえて病院へと向かった。
桜子は内科の処置室で寝かされていて、右腕には点滴の管が繋がっていた。
俺が行った時にはもう目が覚めていて、俺の顔を見るなり顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
「お兄ちゃん……」
「桜子、怖かったな。ごめんな、守ってやれなくて」
桜子は首をふるふると横に振って、左手で何度も涙を拭っていた。
廊下に出て桜子と一緒にいた友人2人から事情を聞いくと、混雑した車内で身動きが取れない状態でいると、電車の停車直前になって急に桜子が悲鳴を上げたのだと言う。
「キャーッ!キャーッ!キャーーッ!」
突如聞こえてきたヒステリックな叫びに車内は騒然となり、ザワザワしているうちに電車が駅に停まった。ジロジロと桜子を見ながら乗客が降りて行くと、桜子は床にペタリと座り込み、顔を覆って泣き出した。
「ワーーーッ!」
誰かが呼んできたらしく駅員がやって来た。
駅員が肩に触れて顔を覗き込むと、「嫌っ!」とその手を振り払って床を這いずり逃げようとした。
これは痴漢の被害に遭ったのではと察した駅員が女性の警備員を連れて来て、彼女に抱えられるようにして事務所に行った。
そこで桜子が痴漢の被害状況を話しているうちに顔色が悪くなって呼吸が浅くなり、ヒッと短く息を吸ったかと思うと意識を失ったのだと言う。
どんなに怖かっただろう。
ただでさえ男性が苦手なのに、暴力行為のトラウマがあるのに……身動きの取れない狭い車内で得体の知れない誰かにイタズラされたなんて……。
いや、イタズラなんて軽いもんじゃない。
これは陵辱。俺の桜子を辱しめ貶めたんだ。『迷惑防止条例違反』、立派な犯罪だ。
「2人ともありがとう。これからも桜子と仲良くしてやってね。ねえ、俺と連絡先の交換をしてくれないかな。学校での桜子の事とか、いろいろ教えて欲しいな……あっ、今日の出来事は学校で内緒にしてもらえると助かるんだけど……」
ニコッと微笑みかけてスマホをかざすと、2人とも瞬時に頬をバラ色に染めてコクコクと頷いた。
友人2人にはそこで帰ってもらって、1人処置室に戻った俺は、桜子の右腕に刺さっている点滴の針と、その横にある紫色の採血の跡を見つめ、必死で目に焼き付けた。
もう2度と桜子にこんな辛い思いはさせない。
桜子をこんな目に遭わせたヤツをぶっ殺してやる。社会的に抹殺してやる。
真剣にそう思った。
その翌日から俺は、桜子が乗っていたのと同じ時間の同じ車両に毎日乗り込んだ。
桜子の友人たちから聞いた情報によると、桜子の後ろにいたのはヒョロっとした生真面目風なサラリーマン。銀縁の眼鏡をかけていたと言う。
どの駅から乗って来たかは分からないが、何度も乗客の入れ替わりがある中で、気付くと彼が桜子の後ろにピッタリとくっついていた。
そして桜子が叫び出した直後、電車が停まるとすぐにホームに下りて行ったと言う。
ソイツが犯人なのかどうかは分からない。桜子のお尻に手を伸ばしたのはその隣にいたヤツなのかも知れないし、その反対側のヤツかも知れない。
だけど分からないからと言ってジッとしてはいられなかった。俺の胸には怒りと憎しみの炎が燃え盛っていて、その熱が俺を突き動かしていた。
コトはそんなに都合よく運ばなくて、毎日同じ電車に揺られているからって、犯人に簡単に会えるもんじゃ無かった。
そもそもこんなに混雑していたら、ソイツが同じ車両に乗り込んで来たとしても発見するのは困難だ。
だけど運は俺に味方した。満員電車に揺られるようになって3週間後、桜子の友人から聞いたのと似たような特徴のヒョロ長いメガネ男を発見したのだ。
俺は人混みの中を少しずつ慎重に移動して、ソイツの斜め後ろの辺りまで近付いた。そしてソイツの動きを一瞬たりとも見逃すまいと注視した。
メガネ男は電車が駅で停車するとススッと移動して、スマホを見ている制服姿の女子中学生の後方に立った。
それを見た時に、ああ、やっぱりコイツが犯人だ……と確信した。
俺も乗車してくる客に紛れてソイツの手元が見える位置に移動する。
車内アナウンスが流れて次の停車駅に電車が滑り込んだその時……メガネ男の右手が動いた。
紺色のプリーツスカートの膨らみの上からサワサワと手のひらを滑らせ、電車のドアが開くと同時にムギュッと肉を揉んだ。
ーーやりやがった!
「おっさん、何やってんだよ!」
出口へと向かうソイツの手首を捻り上げ、被害に遭っていた女子中学生の手も掴むと、3人揃って電車から降りた。
手を振りほどこうと暴れるソイツの脛に蹴りを入れたら怒りが込み上げて来たから、あと2発思いっきりキツイのを追加してやった。ついでに茶色いカバンも取り上げた。
「駅員さん、痴漢の現行犯逮捕で~す!」
ソイツを駅の警備員に引き渡し、女子中学生と共に事情聴取に応じて帰ってくると、家では桜子が母親と夕食の準備をしていた。
「桜子、ただいま」
「お兄ちゃん、お帰り。今日もまた友達と遊んでたの?」
「ああ。クレーンゲームでチョコレートをゲットした。ほら」
俺が帰りにコンビニでゲットした20円の小さなチョコレートをバラバラとダイニングテーブル に広げると、桜子が「わぁ」と目を輝かせて手に取った。
「抹茶味と、きなこもち味と、イチゴと……私が好きなのばっかり!お兄ちゃん、ありがとう!」
「おう」
ーーうん、コイツの笑顔を守るためなら俺はなんだって出来る。
3週間張り込んだ甲斐があったな。世の中の害虫を1匹駆除完了だ。
「部屋に荷物を置いてくる。桜子が作ったポテトサラダ、美味いんだよな。めちゃくちゃ楽しみだ」
俺は2階の自分の部屋に行くとポケットからスマホを取り出し、大手証券会社の番号を押した。
「あっ、もしもし? お宅で営業やってる社員さん、さっき痴漢で現行犯逮捕されましたよ」
害虫が2度と世の中を這い回れないよう、2度と桜子の目の前に汚い顔を晒さないよう、全力で叩き潰す!
俺はあの事件の後、お金は働いて返すと両親に頼み込んで、セダンの国産車を購入した。
免許を取ってあって良かったと心から思った。
これで桜子の送迎が出来る。
食卓には桜子が学校の調理実習で覚えてから得意料理になっているポテトサラダ。ここ3日間ほどサラダはこればかりが続いている。
桜子が作ってくれるのなら、3日間でも1週間でも毎日だって飽きることは無い。
「うん、やっぱり桜子の料理は最高だな」
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