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6、縁側の思い出
しおりを挟むカシャッ、カシャッ……。
「う~ん、やっぱりD300sよりも音が軽いな……」
専門学校2年の夏休み。
手にしているのは買ったばかりのNikon D500。
家の庭にしゃがみ込み、花壇に咲いているマリーゴールドを撮影していたら、急に背後から声がした。
「何が軽いって?」
「えっ?……うわっ!」
「うわっ!……って何よ。久々に会いに来た彼女に失礼だな」
振り向いたそこには、棒付きのアイスキャンディーを片手に立っている彩乃。
裾の部分を横でキュッと結んだ白いTシャツ。ショート丈のジーンズからスラリと伸びた真っ直ぐで細い脚。白いサンダルから見える爪先は、薄い桜色に塗られている。
しばらくボンヤリと見惚れていたら、
「どうしたの? 暑さで頭がやられちゃったんじゃないの? それとも可愛い彼女に見惚れちゃった?」
別に暑さでイカれちゃいないけど、後半の指摘は合っている。久々に見た彩乃は垢抜けて、ますます綺麗になっていた。
「ちげーよ。撮影に夢中になってたら急に声を掛けられてビビっただけ。お前、人ん家に来たなら『お邪魔します』くらい言えよ」
そして相変わらず素直じゃない俺は、彼女を直視出来なくて、僅かに視線を逸らして憎まれ口を叩く。
「驚かせてごめんってば。だって家に来たら真理子さんがアイスをくれて、雄大は庭にいるよ~って教えてくれたから」
クスクス笑いながらアイスの先を俺の前にヌッと差し出して来る。
因みに真理子とは俺の母親の名前だ。
差し出されたアイスに齧り付くと、胃の中に冷たい塊が流れ込んで来て、次にこめかみがキンとした。
「んっ、冷たっ。ソーダ味、美味いな」
「だよね。ガリガリ君はソーダ味一択だよね」
「だな」
俺が立ち上がって縁側に座ると、彩乃がついて来て隣に座る。
彩乃が1口齧り、俺に差し出して。俺が一口齧ったら、またアイツが食べて。
「おい、アイスが溶けて腕まで垂れて来てるぞ」
「あっ、本当だ!」
慌てるアイツの腕を掴んでペロッと舐めて、目が合って。
自然に顔が近付いて、チュッと短いキスをする。
「……雄大、ただいま」
「ん……お帰り」
もう一度口づける。少し冷たいソーダ味のキス。見つめ合って、彩乃がコテンと俺の肩に頭を預けて来た。
そんな行為が当たり前になっているほど、その頃の俺たちはすっかり恋人らしくなっていた。
15歳の高1の秋から付き合い始めて、今は19歳の夏。もうすぐトランスフォーム歴丸4年になる。
俺は高校卒業後、地元、横浜のカメラマンの専門学校生となり、先輩に紹介してもらった写真スタジオでアシスタントのアルバイトをしている。
彩乃は東京のモデル事務所に所属していて、今ではファッション誌の表紙を飾るかたわらタレントみたいな活動もしている、そこそこの売れっ子だ。
高校3年の夏、部長の彩乃率いるダンス部が、『高校生ダンス選手権』で初優勝を果たした。
彩乃は『千年に1人の天使』と騒がれて、いくつものタレント事務所からスカウトが訪れた。
その時も、縁側で並んで腰掛けて話をした。
『ねえ雄大、私、どうしたらいいと思う?』
『……せっかくスカウトに来てくれてるんだ。嫌じゃなければ話を受ければいいんじゃないの?』
相変わらず素直じゃなかった俺。
だけどそんなの彩乃にはお見通しで……。
『そんな強がり言っちゃって。本当は寂しいくせに』
『寂しくたってさ……お前の夢を邪魔するわけには行かないだろ?』
『……夢?』
『だってさ、ほら、お前小さい時からアイドルの真似してお玉を持って歌ったりしてたじゃん。アイドルになりたかったんだろ?ダンスしてるのだって……』
『そりゃあ、アイドルに憧れはしたけれど……あれは雄大が褒めてくれたから……』
『えっ?!』
『ほら、私が振り付けを真似て歌ってるとさ、雄大が手拍子してくれて、最後にパチパチパチって拍手してくれて……それが嬉しかったんだよね』
ーーえっ、そうだったのか?!
まさかの俺が、芸能界入りのきっかけだったとは。
良くやった、俺!と褒めるべきか、余計な事をしやがってと叱るべきか……。
『ふ~ん、そうだったのか』
『そうだったんです』
『でもさ……お前、タレントとか向いてると思うよ。人前でも堂々としてるし、ダンス上手いし……可愛いし』
『へへっ、彼氏に可愛いって言われた~』
『うるさいわっ! ……でも、彩乃はマジで可愛いしモテるからさ、そりゃあ心配だけど……信じてるから』
『……うん、信じてて』
『うん……信じてるから、頑張れ』
日差しで熱くなった板張りの縁側で、どちらともなく指を絡め合った。
『雄大、私の夢はね……純白のウエディングドレスを着て、花嫁さんになる事だよ』
『そっか……』
『うん、そうなんだよ』
俺が花嫁さんにしてやるよ……って、冗談めかしてサラッと言ってやれたら良かったのにな。
俺はいつでも臆病で、自信が無くて。
遠く先を進んでいるあの人への対抗意識と憧れと嫉妬を拗らせていて。
そのくせ『いつかは俺だって』なんて妙な自信だけ燻らせていて……タチが悪いよな。
俺がNikon D500を片手に立ち上がると、綾乃も一緒に立ち上がる。
「お前、今度はいつまでいられるの?」
「明日の午前中には帰らなきゃ。午後から撮影」
「そうか……」
「ホテル、行く?」
「今からかよ」
「今じゃなくてもいいけど、ここじゃ無理だし、うちには晴人がいるし、イチャイチャ出来ないじゃない」
「そりゃあ、そうだけど……」
カシャカシャッ……と、カメラで花に止まっている蝶を撮っていたら、「私も撮ってよ」と言われた。
「雄大が自分のお金で買った、その新品のカメラでさ、私を撮って欲しいな~」
「一眼レフじゃ撮らないよ」
「なんでよ、ケチ」
「お前のスマホでなら撮ってやる」
「ちぇっ」
これは俺たちのお約束のやりとり。
スマホのカメラで普通に記念写真として撮る分には構わないけれど、アート作品としては彩乃を撮らない。撮りたくないと思っていた。
だってさ、彩乃はプロのカメラマンに写真を撮ってもらってるんだぜ?
ド素人の俺が撮ってどうするっていうんだよ。
それに……俺の脳裏に映るあの彩乃が、いつまでも残像になって、消えないんだ。
高1の夏のお前の最高の一瞬。
文化祭に飾られていた、『成瀬先輩の撮った彩乃』の写真。
俺がお前を撮ってみて、先輩が撮ったあの1枚に負けていたら……もう怖くてカメラを手に出来なくなるに違いない。
勝てる自信が無かった。怖かった。
臆病な俺は、理由をつけて逃げていたんだ。
だけどさ、彩乃。
それでも俺は、あの人のあの1枚をどうしても超えたかったんだ。
お前を誰よりも綺麗に撮れるのは俺だって、そう思える日まで……。
そんな意地を張ってた俺を、お前はずっと待っててくれたんだな。
カシャッ!
お前のスマホのシャッター音は、やけに軽くて小さくて……。
やっぱり俺は、存在感のあるNikonのシャッター音の方が好きだな……と思った。
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