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63、 コタロー、じいちゃんの言葉に覚醒する (1)

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「…… ありません」
「なんだ虎太朗こたろう、 もう投了とうりょうか」

 3月も半ばに差し掛かった水曜日の夜。
 いつものようにじいちゃんの部屋で囲碁いごを打っていたけれど、 今日は序盤じょばんから悪手あくしゅの連発で、 勝負と呼ぶにはあまりにもお粗末そまつな結果となってしまった。


「今日は全く集中出来てなかったな」
「はい…… 」

「お前、 さっきアタリに持ち込む前にアッサリとあきらめただろう」
「…… はい」

 自分ではアッサリというつもりは無かったけれど、 じいちゃんの石を粘り強く囲い込めずに途中であきらめたのは本当なので、 言い訳はしない。


 俺は祖父のことが大好きだ。
 小さい頃から遊びも勉強も主にこの祖父から教わってきた。

 家では祖父と孫として、 はしの使い方から言葉遣い、 虫捕りの方法や草木くさきの名前まで、 全部じいちゃんに教えてもらった。
 塾では先生と生徒として、 夜は囲碁の師匠ししょうと弟子として、 時には優しく穏やかに、 時にはきびしく威厳いげんある態度で俺を導いてくれる、 尊敬すべき人。


 寝る前の囲碁は、 精神統一にもってこいだ。

 碁盤ごばんに石を打つときのパチンという澄んだ音は心地良く、 先の先を読みながら脳みそフル回転で次の一手いってを考えていく作業は、 余計なことを考えるひまを与えない。
 それは終わった時に程良い疲労感を与えてくれて、 部屋に戻ってすぐに眠りにつかせてくれる。

 だから……

 こんな煩悩ぼんのうだらけの状態で碁盤ごばんの前に座って、 じいちゃんの貴重な時間を無駄にさせたなんて…… 失礼にも程があるだろう、 俺。



花名はなちゃんとはまだ仲直り出来てないようだな」
「…… えっ? 」

 今の勝負を反省してしおれていたら、 いきなり煩悩の大元おおもととなっているハナの名を出されてドキッとした。


「チョコレートをあげるのは、 もうやめたのか? 」
「えっ……ええっ?! 」

 思わず正座せいざくずしてのけぞった。


「じいちゃん…… なんで…… ? 」

 じいちゃんは碁石ごいしを片付けながら口の端をニヤリと上げて、 

「ハハハッ、 コタロー、 じいちゃんを見くびるなよ。 毎日ガラスボウルにチョコレートを追加してるのが誰だと思ってるんだ」

 まるでドラマの名探偵が推理すいり披露ひろうするかのように語った。


「最初におかしいなと思ったのは、 お前が囲碁の時間をズラしたいと言い出した時だ。 何年も繰り返して来た事を変えるには、 それなりの理由が必要だ。 だけどお前は明確な理由も告げず、 ただ『寝る前にズラしたい』と曖昧あいまいな頼み方をした。 お前にしてはめずらしいなと思った」

 そうだった……。
 俺は小さい頃からじいちゃんに、「人に何かを伝える時は、 一度で分かるように説明しなさい」と言われていたんだ。

 例えば誰かに「 ねえ、 明日ってヒマ? 」と聞くとする。

 聞かれた方は、『何故この質問をしたのかな』、『何か用事があるのかな』、『何処かに行くのかな』、『頼み事があるのかな』と言う疑問を持ったまま、とりあえず『ヒマ』か『ヒマじゃない』のどちらかで答えるしかない。

 『ヒマだ』と答えたその後に、『それじゃあ遊びに行こうよ』なんて誘われたら、『ヒマだ』と答えた手前、 なんだか断りにくくなるだろう。
 そしてその後にもまだ、『何時?』、『何処に行くの?』、『誰か他に来るの?』などのやり取りが待っている。

 相手にそんな気苦労を掛けないためにも、 時間の無駄を避けるためにも、 大切な話をする時には、 5W1H、 『いつ、 何処で、 誰が、 何を、 何故、どのように』を使って、 なるべく要件をまとめて伝えなさい…… と言うのが、 じいちゃんの持論じろんだった。


「さすがするどいね…… 」
「そうだろう。 まだあるぞ」

 じいちゃんは、 まるで隠していた宝物を取り出して見せるかのように、 イキイキと話を続ける。


「お前が囲碁を終わって階段を下りて行くだろう? それから家に続くドアの音がするまでに、 いつも数分のくんだ」

「あっ!…… 」

 そうだった。
 俺はいつも、 踏み台を広げるガチャンという音やチョコレートを取る時のガサガサという音には細心の注意を払っていたくせに、 家に続くドアの音には全く気を使っていなかった。

 だって、 家に帰るときにドアを開けるのは当然のことで、 それが不審ふしんがられる原因になるとは思っていなかったから。

ーー そうか、 階段を下りてからの時間か……。


まいったよ、 降参こうさんだ」
「続きを聞きたいか? 」

「そうだね。 ここまで来たら、 最後まで教えてよ」

 俺がコソコソやってた事がお見通しだったのは恥ずかしいけれど、 何だかじいちゃんの種明かしを聞くのが楽しみになって来た。

ドラマや漫画で、 探偵に追い詰められた犯人が大広間の真ん中で「ハハハ」と大笑いしてるのを見て、 こんな時に馬鹿じゃないかと思ってたけど、 実際こんな心境だったのかも知れないな。

 俺は胡座あぐらをかきながら両手を後ろの畳についてリラックスすると、 名探偵の推理の続きを聞くための体勢を整えた。
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