63 / 100
63、 コタロー、じいちゃんの言葉に覚醒する (1)
しおりを挟む「…… ありません」
「なんだ虎太朗、 もう投了か」
3月も半ばに差し掛かった水曜日の夜。
いつものようにじいちゃんの部屋で囲碁を打っていたけれど、 今日は序盤から悪手の連発で、 勝負と呼ぶにはあまりにもお粗末な結果となってしまった。
「今日は全く集中出来てなかったな」
「はい…… 」
「お前、 さっきアタリに持ち込む前にアッサリと諦めただろう」
「…… はい」
自分ではアッサリというつもりは無かったけれど、 じいちゃんの石を粘り強く囲い込めずに途中で諦めたのは本当なので、 言い訳はしない。
俺は祖父のことが大好きだ。
小さい頃から遊びも勉強も主にこの祖父から教わってきた。
家では祖父と孫として、 箸の使い方から言葉遣い、 虫捕りの方法や草木の名前まで、 全部じいちゃんに教えてもらった。
塾では先生と生徒として、 夜は囲碁の師匠と弟子として、 時には優しく穏やかに、 時には厳しく威厳ある態度で俺を導いてくれる、 尊敬すべき人。
寝る前の囲碁は、 精神統一にもってこいだ。
碁盤に石を打つときのパチンという澄んだ音は心地良く、 先の先を読みながら脳みそフル回転で次の一手を考えていく作業は、 余計なことを考える暇を与えない。
それは終わった時に程良い疲労感を与えてくれて、 部屋に戻ってすぐに眠りにつかせてくれる。
だから……
こんな煩悩だらけの状態で碁盤の前に座って、 じいちゃんの貴重な時間を無駄にさせたなんて…… 失礼にも程があるだろう、 俺。
「花名ちゃんとはまだ仲直り出来てないようだな」
「…… えっ? 」
今の勝負を反省して萎れていたら、 いきなり煩悩の大元となっているハナの名を出されてドキッとした。
「チョコレートをあげるのは、 もうやめたのか? 」
「えっ……ええっ?! 」
思わず正座を崩してのけぞった。
「じいちゃん…… なんで…… ? 」
じいちゃんは碁石を片付けながら口の端をニヤリと上げて、
「ハハハッ、 コタロー、 じいちゃんを見くびるなよ。 毎日ガラスボウルにチョコレートを追加してるのが誰だと思ってるんだ」
まるでドラマの名探偵が推理を披露するかのように語った。
「最初におかしいなと思ったのは、 お前が囲碁の時間をズラしたいと言い出した時だ。 何年も繰り返して来た事を変えるには、 それなりの理由が必要だ。 だけどお前は明確な理由も告げず、 ただ『寝る前にズラしたい』と曖昧な頼み方をした。 お前にしては珍しいなと思った」
そうだった……。
俺は小さい頃からじいちゃんに、「人に何かを伝える時は、 一度で分かるように説明しなさい」と言われていたんだ。
例えば誰かに「 ねえ、 明日ってヒマ? 」と聞くとする。
聞かれた方は、『何故この質問をしたのかな』、『何か用事があるのかな』、『何処かに行くのかな』、『頼み事があるのかな』と言う疑問を持ったまま、とりあえず『ヒマ』か『ヒマじゃない』のどちらかで答えるしかない。
『ヒマだ』と答えたその後に、『それじゃあ遊びに行こうよ』なんて誘われたら、『ヒマだ』と答えた手前、 なんだか断りにくくなるだろう。
そしてその後にもまだ、『何時?』、『何処に行くの?』、『誰か他に来るの?』などのやり取りが待っている。
相手にそんな気苦労を掛けないためにも、 時間の無駄を避けるためにも、 大切な話をする時には、 5W1H、 『いつ、 何処で、 誰が、 何を、 何故、どのように』を使って、 なるべく要件をまとめて伝えなさい…… と言うのが、 じいちゃんの持論だった。
「さすが鋭いね…… 」
「そうだろう。 まだあるぞ」
じいちゃんは、 まるで隠していた宝物を取り出して見せるかのように、 イキイキと話を続ける。
「お前が囲碁を終わって階段を下りて行くだろう? それから家に続くドアの音がするまでに、 いつも数分の間が開くんだ」
「あっ!…… 」
そうだった。
俺はいつも、 踏み台を広げるガチャンという音やチョコレートを取る時のガサガサという音には細心の注意を払っていたくせに、 家に続くドアの音には全く気を使っていなかった。
だって、 家に帰るときにドアを開けるのは当然のことで、 それが不審がられる原因になるとは思っていなかったから。
ーー そうか、 階段を下りてからの時間か……。
「参ったよ、 降参だ」
「続きを聞きたいか? 」
「そうだね。 ここまで来たら、 最後まで教えてよ」
俺がコソコソやってた事がお見通しだったのは恥ずかしいけれど、 何だかじいちゃんの種明かしを聞くのが楽しみになって来た。
ドラマや漫画で、 探偵に追い詰められた犯人が大広間の真ん中で「ハハハ」と大笑いしてるのを見て、 こんな時に馬鹿じゃないかと思ってたけど、 実際こんな心境だったのかも知れないな。
俺は胡座をかきながら両手を後ろの畳についてリラックスすると、 名探偵の推理の続きを聞くための体勢を整えた。
0
お気に入りに追加
384
あなたにおすすめの小説
高嶺のライバル
いっき
恋愛
(カッコいい……)
絶世の美少女、菫(すみれ)は、親友であり最強の剣道部員でもある凛(りん)に、憧れの感情を抱いている。
しかし、凛は菫に対して、それとは少し違う感情を抱いていて……
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
苺の誘惑 ~御曹司副社長の甘い計略~
泉南佳那
恋愛
来栖エリカ26歳✖️芹澤宗太27歳
売れないタレントのエリカのもとに
破格のギャラの依頼が……
ちょっと怪しげな黒の高級国産車に乗せられて
ついた先は、巷で話題のニュースポット
サニーヒルズビレッジ!
そこでエリカを待ちうけていたのは
極上イケメン御曹司の副社長。
彼からの依頼はなんと『偽装恋人』!
そして、これから2カ月あまり
サニーヒルズレジデンスの彼の家で
ルームシェアをしてほしいというものだった!
一緒に暮らすうちに、エリカは本気で彼に恋をしてしまい
とうとう苦しい胸の内を告げることに……
***
ラグジュアリーな再開発都市を舞台に繰り広げられる
御曹司と売れないタレントの恋
はたして、その結末は⁉︎
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
契約結婚の終わりの花が咲きます、旦那様
日室千種・ちぐ
恋愛
エブリスタ新星ファンタジーコンテストで佳作をいただいた作品を、講評を参考に全体的に手直ししました。
春を告げるラクサの花が咲いたら、この契約結婚は終わり。
夫は他の女性を追いかけて家に帰らない。私はそれに傷つきながらも、夫の弱みにつけ込んで結婚した罪悪感から、なかば諦めていた。体を弱らせながらも、寄り添ってくれる老医師に夫への想いを語り聞かせて、前を向こうとしていたのに。繰り返す女の悪夢に少しずつ壊れた私は、ついにある時、ラクサの花を咲かせてしまう――。
真実とは。老医師の決断とは。
愛する人に別れを告げられることを恐れる妻と、妻を愛していたのに契約結婚を申し出てしまった夫。悪しき魔女に掻き回された夫婦が絆を見つめ直すお話。
全十二話。完結しています。
元婚約者様の勘違い
希猫 ゆうみ
恋愛
ある日突然、婚約者の伯爵令息アーノルドから「浮気者」と罵られた伯爵令嬢カイラ。
そのまま罵詈雑言を浴びせられ婚約破棄されてしまう。
しかしアーノルドは酷い勘違いをしているのだ。
アーノルドが見たというホッブス伯爵とキスしていたのは別人。
カイラの双子の妹で数年前親戚である伯爵家の養子となったハリエットだった。
「知らない方がいらっしゃるなんて驚きよ」
「そんな変な男は忘れましょう」
一件落着かに思えたが元婚約者アーノルドは更なる言掛りをつけてくる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる