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最終章 2人の未来編

30、一緒に夢を追い掛けてくれるんだな?

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 4月に晴れて女子大生デビューを果たした私は、サークルには入らず、5月から近所のコンビニで週3日のアルバイトを始めた。

 たっくんは、『コンビニのバイトって同僚か常連客と恋が芽生えるパターンじゃん!』って渋い顔をしていたけれど、今のところそういう気配は一切無い。

 一度だけたっくんが偵察という名目で買い物に来てくれて、『折原さんの彼氏がモデルみたいな超絶美形!』だと同僚に拡がったせいもあるのかも知れない。


 たっくんはこの春から施設の近くの美容院で見習いとして働いている。
 更に9月からは働きながら美容学校の通信課程も受講していて、3年後の国家資格取得を目指して勉強中だ。


『俺、美容師になりたいんだ』

 たっくんからそんなメッセージが届いたのは去年の夏頃。

 受験が終わるまでは必要最低限の連絡しかしないと決めていた私も、この時はさすがに速攻でFaceTime に切り替えた。

「たっくん、美容師になるの?」
「なれたらいいな……って思っている」

 聞くと実は、私と施設で再会した4月頃には薄っすらとその考えが頭にあったらしい。

「母さんのいる施設に週1で美容師さんが出張に来るって言ってただろ?俺さ、たまにそれを手伝ってるんだよ」

 施設に来ているのは、丘を下った先の海沿いの道にある美容院のオーナーで、なんでも3年程前まで自分の父親が『サニープレイス横須賀』に入居していたのだと言う。


「須藤さんって言って、まだ30代半ばなんだけどさ、同居してたお父さんが、奥さんが亡くなったのをきっかけにボケちゃって大変だったんだって」

 それは父親が営んでいた理容室を須藤さんが継いで美容院に改装後、しばらく経った頃だった。

 痴呆症状が出始めた父親を家族でお世話していたけれど、亡くなった妻を探して昼夜問わず徘徊するため夜もゆっくり眠れず、須藤さんの奥さんが精神的に参ってしまった。
 そして藁にもすがる思いで入居させたのが『サニープレイス横須賀』だったのだ。


「どうしようもなくて仕方なく施設に入れたんだけど、息子夫婦がいるのに施設だなんて……って言う親戚もいて、罪悪感を感じたり落ち込んだりしたって言ってた」

 自分は手もお金も出さないくせに、遠い親戚が無責任に口だけ出してくる……ありがちな話だ。

「だけど施設に入居させていなかったらきっと家族はバラバラになっていただろうし、余裕ができたお陰で父親を憎まずに済んで、優しくなれたって。最期は肺炎になって病院で亡くなったけど、施設のスタッフには本当に感謝してる……って」

 父親が入居していた頃から、美容院の定休日である月曜日に出張サービスを始めて、それを父親の死後もそのまま続けているのだと言う。


「その時に施設のスタッフも付き添うんだけど、俺も一緒に準備や片付けを手伝ったりしてたんだ。そこで作業を見てて、楽しそうだなって思って。そしたら須藤さんが、興味があるなら自分のところに見習いに来るか?……って言ってくれて」

 須藤さんは認知症患者の家族の苦労を知っているだけあって、たっくんの境遇にも理解があった。

 お店に顔を出すのは朝10時の開店時間ギリギリで構わないし、お昼も穂華さんの食事介助に抜けていい。無理のない時間に働きに来て、国家試験に必要な技術を身につけて行けばいい……という破格の待遇を提示してもらい、その言葉に甘えることにしたのだ。


「月曜日なんて、施設を離れずに仕事が出来るわけだろ? 本当に好条件なんだ」

「うん、いいと思う。たっくんにピッタリだよ!」

 最初こそ驚いたけれど、美容師と聞いて納得している自分もいた。

 たっくんは手先が器用だし、三つ編みの仕方もあっという間に覚えてしまった。穂華さんのヘアカラーだって大成功だったし、絶対に向いている。

「まあ、最低でも3年は掛かるんだけどな。それに着付けも出来るようになりたいし、ネイリストの資格も取りたい」

 小3の夏祭りで私の浴衣姿を見た時には既に、自分の手で着付けをしたいと思っていたのだそうだ。
 そう考えると、たっくんが美容師を志すのは必然だったんだろう。


「素敵!たっくんならすぐにカリスマ美容師だよ。私もいつかたっくんのお店をお手伝い出来るよう、大学で経営について学んでおくね」

「おっ、ソレいいな。小夏も一緒に夢を追い掛けてくれるんだな?」

 そういう訳で、お互い忙しくてなかなかゆっくりは会えないけれど、たまの週末には私が横須賀に出向いてたっくんのアパートに泊まったり、たっくんの働く美容院で閉店後にたっくんに髪を切ってもらったりと、私たちなりに恋人としての時間を積み重ねていった。


 それと並行するように、穂華さんの症状は徐々に酷くなっていく。

 浮腫ふしゅが酷くなった穂華さんは、お腹にも水が溜まって思うように動けなくなった。
 ……と言っても、本人はボンヤリしている事が多く、自分から動こうとはしないので、運動制限があっても無くても関係ないような状態だ。

 穂華さんが大人しくなったお陰でたっくんが長時間施設から離れていられるようになったのだけれど、彼女のために高校を退学し、私からも離れて横須賀に来たのに、たった1年後にはもう誰が側にいようが気にも留めなくなってしまった事を考えると、素直に喜べない。


 12月に入ると病状は更に悪化し、完全にベッドで寝たきりの状態となった。

 この頃からたっくんは自分のアパートには殆ど帰らず、夜は穂華さんの部屋で寝泊りするようになった。

 私も週末には働きに行くたっくんの代わりに穂華さんに付き添ったりしていたけれど、食事介助や身体の向きを変えたりするだけなのに、夕方にはグッタリ疲れてしまっている。

 これをたっくんは毎日続けているんだと思うと尊敬しか無い。
 寝心地の悪いソファーベッドで熟睡出来ていないだろうに、仕事と勉強、そして看病の日々を続けているんだ。
 その精神力と献身ぶりは、称賛に値すると思う。


 
 12月の中旬に入ったある日の夕方、たっくんから電話が掛かって来た。

『小夏……さっきお医者さんから母さんの余命宣告を受けたよ。もって2~3週間。たぶん年は越せないだろうって』
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