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第3章 過去編 side 拓巳

13、夏の日の思い出

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 今でも時々、あの短い夏の日々を思い出す。

 どんよりと薄汚れたモノクロな俺の人生の中で、あの瞬間だけは鮮やかに色付いて、キラキラと輝きを放っているんだ。

 手をべたべたにしながら食べた、瑞々みずみずしいスイカの味と、鮮やかな赤と緑。
 線香花火の閃光せんこうと、手のひらで受け止めた火玉のジュッという感覚。
 今も右の手のひらに残る火傷の痕、そして甦るのは、チリチリと痒みを伴う甘い痛み。


 特に夏祭りの思い出は鮮明で、生成り地にピンクのまりと花を散らした浴衣ゆかた姿の小夏が、いつもよりちょっとだけ大人っぽくて、ドキッとしたのを覚えている。

 立ち並ぶ屋台に赤い提灯。
 軽快な祭囃子に足取りを軽くしながら、俺たちは手を繋いで石段を上がった。

 俺は生まれて初めての夏祭りに相当浮かれていて、多分おりから出たばかりのさる並みにキョロキョロしていたと思う。

 射的で小夏が欲しがった女の子の人形を狙ったら、どう見ても確実に箱に当たってるのに倒れないから、2人して『絶対ズルだ! 箱の底が台にくっつけてあるだろう』と文句を言ったら、おじさんが苦笑しながら、代わりに黄色い箱のキャラメルを1箱くれた。
 12粒入りのそれを2人で半分こして食べたら、凄く甘くてねっとりしていた。
 ミルクとカラメルの混じった甘ったるいその味は、まるでその時の俺の気持ちそのままで、俺は今でも『初恋』と聞くと、あの時のキャラメルの味を思い出すんだ。


 俺と小夏が金魚すくいに興味を示すと、最初、早苗さんは『生き物はあとが大変だから』と難色を示していたけれど、俺たちのガッカリした顔を見て、『沢山とってらっしゃい』と500円玉をくれた。
 結局俺が3匹すくって、小夏は1匹もれなくて、和金を1匹もらった。

 俺は自分がった出目金に『チビたく』、小夏は自分が貰ってきた和金に『チビ夏』と名付け、残りの2匹はそれぞれ1号と2号という名前にした。
 小夏のお祖母さんが立派な水槽を買って来てくれて、その大きな水槽の中で、たった4匹の金魚が悠々と泳ぐのを見るのが好きだった。

「来年もここに来たらコイツらに会えるかな?  」
「うん、会えるよ。また来年も来ようよ。それで、また金魚すくいをして仲間を増やそうよ」

 無邪気にそんな約束をしながら、俺は心のどこかで『無理だろうな』って諦めていた。
 アイツがいる限り、俺の喜びや楽しみは全部奪われてしまうのだから……。

 案の定、俺が『チビたく』と過ごせたのは、それからたった4日間ほどで、俺を地獄へと連れ戻しに来たのは、他でもない、自分の母親だった。



 なあ小夏、早苗さんは、『小夏のために』って俺を名古屋に連れてってくれたけど、たぶんアレは俺のためでもあったんだろうな。
 他人である彼女が俺のために出来ることなんて限られていて、だけど、その中で何が出来るかを精一杯考えてくれたんだ。

 花火だって金魚すくいだって、甚平を着るのだって初めてだったけれど、俺はあの縁側で、木々に囲まれた古い家で、生まれて初めて本当の『家族団欒の過ごし方』っていうのを知ったよ。
 お祖父さんのお墓で『小夏の彼氏です』って挨拶できて、本当に嬉しかったよ。

 だけどさ、小夏と楽しく過ごしている一方で、いつも心の片隅では、母さんへの後ろめたさがあったんだ。
 俺が名古屋に行ったら、あのアパートに残された母さんがどうなるかなんて分かりきっていたのに、それでも俺は、小夏に会いに行くことを選んだんだから。

 だからかな、俺は心のどこかで、ああなる事を予想していたような気がする。
 あのとき早苗さんやお祖母さんは俺のために必死で母さんを説得しようと頑張ってくれて、小夏は俺のことを泣きながら引き留めてくれたよな。

 そりゃあさ、出来る事ならあのままあそこで夢のような時間ときを過ごしていたかったよ。
 だけど、どうせそれはいつか終わりが来るんだ。

 仕方なかったんだよ。

 夢からめるのが、ほんのちょっと早くなっただけのことさ。
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