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第2章 再会編

35、何を色気づいてんの?

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「お前、なんでこんな時間にこんなトコ来てんだよ! それに、なんだよその格好! 髪まで下ろして、何を色気づいてんの?  ここはお前が来るようなトコじゃないんだ! 今すぐ帰れよ! 」

 たっくんは出口の方を真っ直ぐ指差しながら、顔だけこちらに向けて、大声で怒鳴った。

 想像以上の剣幕けんまく怖気おじけ付く。
 だけどここでひるむわけにはいかない。 
 私だって覚悟を決めてここまで来たんだ。
 今日はたっくんと話をするまで帰る気はない。


「帰らない! 私はお客として来たの! 」
「何言ってんだ、ここは喫茶店じゃないんだぞ! 座っただけでチャージ料を取られるんだ! 」

「お金なら、ちゃんと持って来てるよ! お客さんだったらさっきの女の人みたいに1対1でゆっくり話してくれるんでしょ?! 私はたっくんと話がしたいの! 」

 私が顔を上げてキッとにらみ返すと、たっくんのに動揺の色が走って、口調が少しだけ穏やかになった。

「小夏、お前……誰にこの場所を聞いた? 」
「……紗良さん」
「えっ?! 」

「紗良さんにお願いしたの。そしたらこのお店のカードをくれた」
「……お前、アイツに何かされなかっただろうな」

 肩を掴んで問いかけられて、首を横に振って答える。

「紗良さんはそんな事しないよ。彼女はただ、たっくんのことを本気で好きなだけ」
「本気ったって…… 」

「たっくん、私はこの前のことをちゃんと謝りたくて来たの。そして、たっくんの事をちゃんと知りたいと思ってる ……教えてくれないかな? 」

「……ダメだ」
「えっ?! 」

「お前は何も知らなくていいんだ。わざわざこっち側に来ることない」 

ーーこっち側って……。

「たっくん、私はたっくんの彼女じゃないの? 」
「彼女に決まってんだろ! 」

「彼女なのに、どうして私は紗良さんより何も知らないの? バイト先だって、たっくんが私をどう思っているのかでさえ、私は紗良さんに聞かなきゃ分からなかったんだよ! 」

「俺の気持ちって……俺はずっとお前のことが好きだって言ってるだろ! なんで伝わらないんだよ! 」


 そのとき扉がギッと開いて、たっくんが『リュウさん』と呼んでいた人が顔を出した。

「拓巳、お前うるさい。今日はもう帰れ」
「えっ?! 」

「その子はこういうトコに来るタイプじゃないだろ。家まで送って行ってやれ」
「だけど…… 」

「どうせ今日は商売にならねえよ。お前がそんな大声で好きだのなんだの言ってるから、お前目当めあての女性客がドン引きで帰ってったわ。それにこの雨で客足もまばらだしな、俺1人で大丈夫だ」

「リュウさん、すいません。ありがとうございます」

 たっくんはリュウさんに頭を下げると私を振り返って、「家まで送ってく。着替えてから行くから、おもてで待ってて」と言い、ドアを閉めた。


 私がカウンターでグラスを並べているリュウさんに「お邪魔しました」とペコリと頭を下げると、彼はキツネみたいな切れ長の目を更に細めて、ニコッと微笑んだ。

「今度は1人じゃなくて、拓巳に連れてきてもらいな」
「何も注文しなくて、すいません」

「今日は面白いもん見せてもらったから大丈夫。アイツがあんなに感情的になったの、初めて見たよ。よっぽど君のことが大事なんだね 」

 リュウさんは一見冷徹れいてつそうに見える目つきと顔立ちだけど、実はそんなに怖い人じゃないのかな……と思った。


 外で待っていようと、お店のドアを開けて傘を手にしようとした時に、近くの街灯がいとうのところからこちらを見ている女性に気付いた。

「あの……お店、やってますよ」

 雨粒あまつぶ越しに声を掛けたら、その女性は赤い傘を差したままゆっくりこちらに歩いて来て、 目の前で立ち止まった。

「ああ、人が出て来てくれて良かった。あの、中で青い目をした綺麗な男の子が働いてると思うんだけど、今日は来てるかしら? 」

「あっ、はい。もうすぐ出てくると思います」

 細くて背の高い、モデルみたいに華やかな雰囲気のある女性だった。

 猫みたいな大きくクリッとした瞳は、自信の強さを象徴しているように見えた。
 ライトブラウンのロングヘアーは、毛先だけ軽くウエーブがかかっている。

 この人もたっくんの目当てのお客様なんだろうか。だったら中に入ればいいのに……。

 そう思いながらチラッと見上げたら視線が合って、その瞬間、彼女が「えっ?! 」と口に手を当てて、一歩後ずさった。

「あなた……小夏さん? 」
「えっ?! 」

「拓巳の幼馴染の小夏さんじゃない? 」
「…… はい、そうですけど 」

「そうなの ……髪型が違ってたからすぐに気付かなかったけど、小さい頃の写真と同じ顔をしてるわ。あなた達、いつの間にか再会してたのね」

「あの……? 」

 彼女は肩から掛けていたストラップの細いハンドバッグを開けると、中から小さなメモ帳を取り出して、黒いペンで何かを走り書きした。
 メモ帳から1枚だけビリっと破り取って私の手に握らせると、

「あなたとゆっくりお話したいわ。ここに連絡をちょうだい。絶対よ」

 私の手を両手でギュッと握りしめたまま、真剣な眼差まなざしでそう言った。

「あの、あなたは……? 」

 そのまま立ち去ろうとした背中に声を掛けたら、 彼女は傘ごと振り返って、含みを持たせるように、ゆっくりと口角を上げた。


「私は和倉朝美わくらあさみ、拓巳の義理の姉 ……そして、拓巳の初めてのオンナよ」

ーーえっ?!

 一瞬、彼女の言ってることが分からなくてポカンとしたけれど、数秒後に脳内で彼女の言葉を反芻はんすうして、ようやくその意味を理解した。

 このひとは、穂華ほのかさんの再婚相手の娘さんで、たっくんのお義姉ねえさんで……そして、たっくんの初体験の相手……。


 そのとき後ろのドアがギッと開いた。


ーー嫌だ、たっくん、来ないで!

 瞬間的に心の中で叫んだけれど、それはたっくんに届くことなく、無残むざんにも木の扉は勢いよく開け放たれた。

「小夏、俺もお前の傘に一緒に…… 」

 私に話しかけながら、肩越しに朝美さんを視界に入れたたっくんは、口を開けたまま言葉を失って一瞬だけ黙り込んだ。

 ヒュッと息をむ音が耳元でして、その次に、「朝美…… 」と彼女の名を呼ぶ声がして…… 私の理性は限界を迎えた。


「私……帰るね!じゃあ! 」
「おい待て、小夏! 」

「触らないでっ! 」

 自分でもビックリするくらい、たっくんの手を勢いよく払って、私は一目散に駆け出した。
 後ろで呼ぶ声がしたけれど、 振り返りたくはなかった。

 こんなに嫉妬まみれで動揺している顔を、あのひとに……彼女には絶対に見せたくない。

 途中で傘を忘れてきたことを思い出したけれど、もうそんなのどうでも良かった。



 駅の灯りが見えた所で足のスピードをゆるめ、ゆっくり歩き出すと、途端に自分がひどくみじめに思えた。

「あ~あ…… 」

 ああ、ほらね、やっぱり…… 『悪いことは重なる』んだ……。

 紙切れを握りしめた右手にギュッと力を込めて、私は細い雨の中を、とぼとぼと歩いた。
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