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第1章 幼馴染編

24、そんなに心配したの? (3)

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 病院に救急搬送はんそうされたたっくんは、救急室で診察を受けている最中に目を覚ました。

 診察の結果、特に体に異常はなく、たぶん何らかの薬物を無理に吸引させられたことと、口を押さえられたときの過度の緊張で気を失ったのだろうということだった。

 たっくんは自分が見知らぬ場所で横になっていたことに最初は戸惑ったみたいだけど、お医者様から説明を受けて、すぐに状況を理解したらしい。

 受け答えもしっかりしているし、そのまま帰っても大丈夫そうではあったけど、後で吐き気やめまいなど体調が悪くなることも考えられるので、念のため処置室で1時間ほど様子を見ることになった。


「早苗さん……小夏……」

 看護師さんから呼ばれて処置室に入って行くと、たっくんがベッドに横になったままでこちらに顔を向けた。
 大丈夫だと聞いていたのに、ベッドサイドの棒に点滴の袋がぶら下がってる。
 右手に刺さった針が痛々しい。

「たっくん…… 痛い? 苦しい? 怖かった? 私のこと分かる? 小夏だよ」

 ベッドサイドの椅子に座って顔を覗き込むと、青い瞳がクリッと上の方向に動いて、私に焦点しょうてんを合わせた。

「小夏、ちょっと待って。いっぺんに聞きすぎだ」

 たっくんがフフッと笑う。

「なんで笑うの? 本当に……凄く凄く心配したのに!」

 私が涙目になって訴えると、たっくんは困ったという顔をして母を見て、それから私に視線を戻した。

「ごめん……小夏、ごめんな。ありがとう、心配してくれて。どこも痛くないから、苦しくないから大丈夫」

「……本当? 」
「うん、本当」

 そう言って私に手をのばそうと右手を動かして、「てっ! 」と顔をしかめる。

「やっぱり痛いんじゃん」
「これは違うってば!点滴してること忘れてた」

 2人でフフッと笑って、それでようやくいつもの雰囲気に戻った気がした。


「拓巳くん、本当に何ともない? 吐き気は? 」

 2人を見守っていた母が私の隣に立って聞いた。

「大丈夫。心配かけてごめんなさい」
「あなたが謝ることは無いのよ。怖かったでしょう」
「……うん、ビックリした」


 事件が起こった時のことを、たっくんは割としっかり覚えていた。

 その時たっくんは、すぐに気を失ってしまったので、怖かったのは一瞬だけだったと言う。


 トイレに行こうとしていたら、途中にある障害者用トイレの前で、急に後ろの誰かからガッと首に腕を回された。
 えっ?!と思ったら今度は口に布が当てられて、そのまま横の障害者用トイレに引っ張り込まれたそうだ。

 中には髪を後ろで1つに結んだ女の人がいて、『なんなんだ? 』と思った瞬間には視界がボヤけてフッと意識が途絶えた。

 そして目が覚めたら病院のベッドだったと言うわけだ。


「だから、怖いって言うよりかはビックリしたって感じで…… 」

 ヘヘッと照れたように笑うたっくんを見てたら、何かがブワッと胸にあふれて、目頭めがしらが熱くなってきた。

「……えっ?! 小夏、どうしたんだよ」

 ほほを震わせながら黙って目元を手で拭いだした私に気付いて、たっくんが焦ったような声を出した。

「小夏、泣くなよ。もう俺は大丈夫だって! 」

「凄く心配したのに……。本当に怖かったんだから! 」

 そう声に出したら、たっくんがトイレにいなかった瞬間や、『誘拐』と聞いて身震いした時のこと、狭いブースで息を潜めてひたすら通行者の靴ばかり見つめていた時のことがよみがえってきた。

「たっくんが死んじゃうかと思って、本当に…… 」

 本当に恐ろしかった。

 人はこんなに簡単に目の前から消えて無くなるものなのだと、この時に気付いてしまったから。

 そこにいて、そこにあって当たり前だと思っていたものが、決して当たり前ではなかった。

 別れは予期せぬ時に突然、一瞬にして訪れるものなのだ。


「小夏、そんなに心配したの? そんなに俺がいなくなってビックリした? 」
「当たり前じゃん、バカ! 」

「俺のこと探してくれたの? 」

 何故だか嬉しそうにヘラヘラしてるのを見たら、どんどん腹が立ってきた。

 なんだ、この能天気な笑顔は。

「いっぱい探したよ! たっくんのバカ! 」

「これ小夏、人様ひとさまにバカって言うんじゃありません! ……でもね、拓巳くん、私たちは本当に心配したのよ。あなた、髪の毛もスプレーで黒くされてたから、小夏があなたの靴を覚えていなかったら見つけられなかったかも知れなかったの」

「黒? 俺の髪が? 」

 たっくんは左手で自分の髪を触りながら、何故なぜか「ずっと黒ければいいのに…… 」と呟く。

「えっ、たっくん、黒い髪の方がいいの? そしたら光に当たってキラキラしなくなっちゃうよ。ヒマワリじゃ無くなっちゃうよ」

 たっくんは不思議そうにしている私の質問には答えず、二カッと笑って見せる。

「あっ、 点滴! 」

 上を指さされて見上げたら、点滴の袋が空になっていた。

「あっ! たっくんが死んじゃう! 」

 慌ててナースコールのボタンを押す。

「ハハッ、俺は死なないって。小夏は本当に俺のことが心配なんだな」
「心配したって言ってるじゃん、バカ! 」

「小夏! 何度もバカって……いい加減にしなさい! 」

 母に叱られて首をすくめたけれど、私は悪くない。
 こんなに心配させておいて笑ってる方がバカだ。


 あの時、狭いブースの中で、私はミルクのことを思い出していた。

 保育園に行きさえいれば会えると思っていたミルクがお月様に帰って行った。
 だから、お隣に行けば会えると思っていたたっくんが、急に何処どこかに行ってしまうことだってあるんだ。

 そんな当然のことに、私はずっと気付いていなかった。
 いつまでもたっくんの隣に並んでいられると思っていたけれど、そんなのは幻なんだ……。

 そう思ったらまた悲しくなってくる。

「ヘヘッ、小夏は俺の命の恩人だな」

 その言葉を聞きながら、私はもう一度泣いた。




 あの日たっくんを連れ去ろうとしていたのは、アジア系の誘拐グループのメンバーだった。
 そのあとたっくんは病院に来た警察から事情聴取を受けたりしてから、私たちと一緒に家に帰ってきた。

 私たちが1泊してくるものと思っていた穂華さんは、当然のようにアパートの部屋にはいなくて、電話にもなかなか出ず、連絡がついたのはその日の夜遅くだった。

 穂華さんは、どうしてメールにも電話にもすぐ応答しないのだととがめた母に向かって、 

「だって早苗さんが連れてったんでしょ? だったら責任は早苗さんにあるんじゃない。私は悪くないわ」
 堂々とそう言い放った。

 関係修復のきっかけになるはずだったネズミーランド行きは、母親たちの関係を更に悪化させるものとなった。
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