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第1章 幼馴染編
19、なに勝手なことしてんの? (4)
しおりを挟む翌日、たっくんと私は再び保育園に行って、夜にここで起こったことをおまわりさんに全て説明させられた。
昼間の園庭は見慣れた姿でそこにあって、夜の騒動が嘘のように、平和で穏やかだった。
ただ、うさぎ小屋の破られた金網だけが、事件が実際にここであったのだと伝えていて、そこを見た途端、自分のしたことの無謀さと起こったことの恐ろしさを思い出して、ブルッと身震いした。
うさぎ小屋は空になっていた。
ココアとチョコは無事だったけれど、破れた金網が修理されるまでの間、しばらく室内で飼われることになったためだ。
犯人は近所に住む浪人生で、受験勉強のストレス解消で、近くの保育園にいるうさぎを逃すことを思いついたらしい。
うさぎを痛めつけるというよりは、うさぎを逃して園児を悲しませることの方が目的だったという。
私たちが彼に遭遇した夜は、自分がやったことの成果を確認しようとやってきたそうだ。
鍵が変わっていることも想定して、自転車のカゴにペンチを入れてきていた。
うさぎ小屋を見たら、予想に反してまだうさぎが2匹も残っていたので、自転車カゴからペンチを持ってきて金網に穴を開けようとしていたら、たっくんが突撃してきたというわけだ。
「一応お手柄だからね、感謝状を贈ろうかって話も出たんだけど、ヒーロー扱いしてこんな危険なことを子供たちに真似されちゃたまらないからって、却下されたんだよ」
おまわりさんが母にそう言うと、母は「ごもっともです」と恐縮して何度も頭を下げていた。
犯人の男は器物破損罪には問われたけれど、罰金程度の軽い罰だけで終わった。
私たちへの暴行罪も科そうと思えば出来たけれど、親同士が話し合って、示談にしたらしい。
『らしい』というのは、当時私とたっくんの知らないところで親が勝手に話し合って決めてしまっていたからだ。
たっくんも私も幸い軽い打撲と擦り傷だけで済んだし、犯人の母親が家まで押しかけてきて、泣きながら何度も頭を下げたので、訴えることはやめたという。
……と、のちに母に聞かされたけれど、ご近所ということもあって、裁判沙汰にまでしてゴチャゴチャしたくなかったという、大人の事情というやつもあったんじゃないかと思う。
まあ、結局その数ヶ月後には、犯人家族は揃って何処かに引っ越して行ったけれど……。
ミルクが死んだと聞かされたのは、その日の午後だった。
園長先生から電話を受けた母は、どうしようか悩んだ挙句、 私にそのままを伝えた。
ミルクが月に帰ったと聞いて、私は泣きに泣いた。
「一緒にミルクにお別れしに行く? 」
私が頷くと、母はたっくんと私を連れて保育園に向かった。
園庭では園長先生と副園長先生、楓先生が待っていて、その後ろには2メートルくらいの深い穴が掘られていた。
ミルクは毛布に包まれていて、顔を見せてもらったら、ただ眠っているだけのように見えた。
みんなで花とともに埋葬して、その上に桜の苗木を植えた。
お線香をあげて手を合わせていたら、ミルクとの思い出が次々と浮かんできて、涙がどんどん溢れてくる。
そして悲しみの次に湧き上がってきたのは、犯人への激しい怒り。
なんでアイツは牢屋に入らないの?
なんで普通に生きてるの?
アイツはミルクを殺したのに。
おまわりさんが母と、『未来のある若者の可能性を潰しちゃ可哀想だ』と話していた。
それじゃあ、潰されたミルクの未来は誰が取り戻してくれるんだろう?
誰かを苦しめたり傷つけたりしなくてはストレスを発散できないような人間に、未来なんて必要なんだろうか?
少なくとも私の心を癒して救ってくれたのは、あんな人間じゃなくてミルクたちだった。
あんなヤツより何十倍も何千倍も大切で必要な存在だった。
ミルクにだって、園児に見守られながら穏やかに最期を迎えるという未来があったはずなのだ。
アイツの方が死んでしまえばいいのにと心から思った。
「アイツが死ねば良かったのに」
耳元でそう聞こえてきて、思っていたことが口に出てしまったのかとドキッとしたら、実際にそれを言ったのはたっくんだった。
「……あんな奴、死んじゃえばいいんだ」
たっくんが立ち上がって、桜の苗木を見つめながらそう言うと、園長先生がたっくんの両肩をグッと掴んでちょっと怖い顔をした。
「たっくん、そんな言葉を二度と口にしちゃダメだ。『言霊』っていうのがあってね、優しい言葉を使えば、それは優しい気持ちになって自分に戻ってくるし、汚い言葉を使い続ければ、自分の心も汚れていってしまうんだよ」
私には先生が言っていることは難しくて全部は理解出来なかったけれど、その後に聞いた最後の言葉だけは妙に心に響いてきた。
『いいかい? 一度口に出した言葉は引っ込めることが出来ないんだ。言葉は自分に跳ね返ってくるんだよ』
ーー 言葉は自分に跳ね返ってくる……。
妙に心に残ったその言葉を、数年後の私は実感することになる。
…… そして今、私は何度も思い出す。
たっくんと手を繋いで歩いた真夜中の道。
息を潜めた植え込みの陰。
必死で犯人に飛びかかり、私に向かって『逃げろ』と叫んだ彼の声。
病院の白い廊下で見せた美しい涙……。
『守れなくてごめん』と何度も繰り返したあの声を、頭を撫でる優しい手の感触を、濡れた青い瞳を思い出すたびに、私の胸には甘くて苦い想いが込み上げる。
そして、それらの全てが呪いとなって、今も私の心を縛りつけているのだ。
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