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第1章 幼馴染編
5、俺の家に来る?
しおりを挟むたっくんのお母さんは、綿あめのような人だった。
白くてふわふわしていて、甘ったるくて……。
これ以上食べたら身体に悪いと知りながら、 ついつい手が伸びてしまうような不思議な魅力と捉えどころのなさ。
そして触れたあとには、必ずベタッとした不快感が残るのだ。
これは誰にも言ったことがないけれど、私はあの頃、そんな彼女がなんだか苦手だった。
たっくんのお母さんがたっくんをお迎えに来たのは、夜の8時半を過ぎた頃だった。
いつもならお風呂から出て歯磨きをしている時間なので、どうしたものかと母が困っていたそのタイミングで、玄関のチャイムが鳴ったのだ。
「あっ、たぶんお母さんだ」
たっくんがパッと立ち上がって玄関に走り、その後を母と私が急いで追いかけて行く。
たっくんがうちに来ていることは、たっくんが持っている『キッズ携帯』というので伝えてあったのだけど、その返事が『分かった。いい子にしてるのよ』だけだったので、向こうがどう思っているのか分からなくて、正直ちょっと不安だった。
だけど、玄関に立っていたその人は、怒りも困りもしていなくて、ちょっと首を傾げてフンワリと柔らかく笑いながら、感謝の言葉を述べた。
「拓巳がお世話になりました。急に『となりのいえにいます』なんてメールをしてきたから驚いちゃったけれど、お友達のお宅だったのね」
彼女は月島穂華と名乗り、母親の後ろからひょっこり顔を出していた私を見て、もう一度フワッと微笑んだ。
「初めまして、折原早苗です。この子は小夏。木曜日に引っ越して来たばかりで…… あっ! これでようやくご挨拶の品が渡せるわ! あの、良かったらちょっと上がっていきません? カレー食べます? 」
母が三日月のような目をしてニコニコしながら誘うと、穂華さんは意外にもアッサリと家に上がってきた。
彼女はお腹いっぱいだからとカレーは食べなかったけれど、小皿の上のリンゴうさぎを見て「かわいい! 」と目を輝かせ、フォークを使わず手でつまんで、先からサクッと齧っている。
たっくんのお母さんも栗色の髪に青い目をしているんじゃないかと、童話の中のお姫様みたいな姿を密かに期待していた私は、彼女が普通に日本人だったことに少しだけガッカリした。
だけど、色白で、目が大きくてパッチリしていて、途中からゆるくウエーブのかかった色の薄いロングヘアーがフワフワしていて……。
細くて手足の長いその姿は、まるで壊れやすい人形みたいだった。
「お人形さんみたい」
心で思ったことがそのまま口に出ていたようだ。
「あら、お人形さんだって。嬉しいな」
穂華さんはまた首を傾げると、私に向かって優しく微笑んだ。
笑った時にキュッと上がる口元が、なんだかたっくんのそれと似ていて、やっぱり母子なんだな……と思った。
「小夏ちゃんは、お人形が好きなの? リコちゃん人形とか持ってる? 」
「うん、待っててね」
私は穂華さんを待たせたままリビングの隅の小箱へと向かうと、そこからお気に入りの人形を2体持って戻ってきた。
「えっとね、こっちがお気に入りの、『お誕生日リコちゃん』で、こっちが『幼稚園リコちゃん』なの」
「本当だ、お誕生日のドレス、素敵ね。私が小さい頃にも持ってたのよ、懐かしい」
リコちゃん人形は、女の子なら誰もが一体は持っているんじゃないかというくらい有名な人形で、『リコちゃんハウス』や『リコちゃんスーパーカー』などがあるだけじゃなく、果てには初代『ワタルくん』から『ハルトくん』まで6代にわたる彼氏もいるという、ベストセラーの人形シリーズだ。
それまで私が持っていたのはお世話をして遊ぶ赤ちゃん人形だけだったけれど、幼稚園に入園した3歳の時に初めてのリコちゃん人形を買ってもらい、5歳の誕生日にもスペシャルバージョンのを買ってもらったのだ。
それが父からの最後の誕生日プレゼントになったのだけど……。
「ふ~ん、お前、人形が好きなの? 」
たっくんが私の横に立って手元を覗き込んだ。
「うん。人形もぬいぐるみも好き。たっくんは嫌いなの? 」
「嫌いじゃないよ。そういう人形は持ってないけど、ぬいぐるみは持ってるよ。犬とかワニとか」
「ワニっ?! 怖い! 」
「ワニは嫌い? それじゃ、ネコとかクマとかは? …… あっ、うさぎもあるよ」
「うさぎ! 好き! 」
「ハハハッ、うさぎを好きなのは知ってる。それじゃ、今度は俺の家に来る? 」
至近距離でジッと見つめられて、顔がボボッと熱くなる。
「…… うん、行く」
俯きながらモジモジと答えてチラッと目だけを向けると、こちらを真っ直ぐに見ていた青い瞳が優しく細められた。
なんだか胸が苦しくて、じっと見ていられなくて……私はすぐに目を逸らした。
心臓がトクトク鳴っていた。
「それじゃ、拓巳、そろそろ帰ろうか」
穂華さんの言葉を合図に、私の母も時計を見て立ち上がった。午後9時半を過ぎていた。
こんな遅い時間にわざわざ彼女を家に招き入れたのは、5歳の子をそんな時間まで1人で放っておく隣人への興味と、やはり母の世話焼きの性格から、そのまま放ってはおけなかったのだろうな……と、今はそのことがよく分かる。
実際、その日を境に月島家と我が家は親密な付き合いをするようになり、そこから私のたっくんへの気持ちもどんどん急加速して行ったのだから。
母がおかずを詰め込んだタッパーをいくつも紙袋に入れて手渡すと、たっくんがそれを受け取って、「ありがとう、早苗さん! 」と礼を言い、今度は私の方を見た。
「それじゃ、小夏、また明日な」
「うん、また明日…… 」
バイバイと手を振って去って行くと、ドアがバタンと閉められた。
笑顔の余韻と明日への期待を胸に、 私はしばらくそのまま、閉じられたドアをジッと見つめていた。
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