オストメニア大戦

居眠り

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第45話 決意

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 アンカーの様子を見て、その場では返事が出来ないと察したドクトラは甥の頭を撫でてから部屋を出た。
 怒鳴り声は廊下にまで聞こえていたのだろう。ナースルをはじめとする執事にメイド等、ありとあらゆる屋敷の者達が集まっていた。
 そして一様に心配そうな視線をドクトラに送る。

「騒いで済まなかった。……申し訳ない。今日はこれでお暇させてもらう」

 上着を着直し、玄関へ向かうドクトラにハーレはついて行かなかった。それも承知の上で彼は皆の視界から消えていく。

「皆さん。主人がご迷惑をお掛けし申し訳ありません」

 複雑そうな表情をしたハーレは深々と頭を下げた。

「お嬢様…あっいえハーレ様!その様になさらずともっ!」

 ナースルや中年の執事達、メイドが次々とあたふたするがハーレは頭を上げない。
 するとアンデルがハーレの肩を持って頭を腕の中に抱えた。

「叔母上。大丈夫です。兄上にはああでもしなければいけなかったんです。この4ヶ月僕たちが甘やかし過ぎてたんです。だから、気にしないで下さいね」

 その後ナースルに玄関に見送らせてから、アンデルは誰もいなくなった廊下で独語した。

「叔父上と兄上をよく知っているからこそ辛いんだろうな……。僕に出来ることといえば……」

 言い終わる前にアンカーの部屋へ突入し、一気にカーテンを開けて床に散らばる本を片付け、うなだれる兄を着替えさせる。

「おっおい、アンデル…!」

 今まで優しく接してくれていた弟が、まるでごくありふれた母親の様に接してくることにアンカーは動揺した。だがアンデルはお構いなしに馬場へと連れて行く。
 されるがまま着いた馬場には既に厩務員がアンカーの愛馬を用意して待っていた。

「嫌なことがあったら走って気分を変えて下さい!そらっ!」

 空気を読んだ愛馬が屈み、アンデルが無理矢理乗せる。そして最後に厩務員が棒でコツンと馬の尻を叩く。

「うぉおっ!」

 ノリノリで走り出す愛馬にしがみつき、体勢を立て直した時には既に屋敷から遠く離れた場所にいた。戻ろうにも馬はその気分じゃないらしく、ぐんぐんと脚を前へ前へと進める。

「こいつめ……」

 当分帰れないことを悟ったアンカーは、自由気ままな愛馬のたてがみを撫で、しばらく吹き荒れる風と共に野原を駆け回った。


〈ライン家・アンカー自室〉

 “そんなことをしても、ミロル中将は帰って来ない”

 この言葉を叔父上に言われて、俺は考えた。そんなことは分かってる。分かってるさ。どうやったってナラは生き返ったりしないことぐらい。
 でも……ナラを殺したカーリス人は憎い。殺してやりたい。1人残らず。

 相反する感情がアンカーの脳内でぶつかり合い、不摂生で弱った体はこれに耐えきれず、アンカーの脳は落ちた。


「よぅ、アンカー。君にしては珍しく落ち込んだ顔をしているね」

 懐かしい声がした。あの軽いお調子者の。あいつだ。最近顔を見せないと思ったから心配したんだぞ。

「ナラ……!」

「……アンカー、少し痩せたかい?」

 こっちの気も知らずに呑気なことを言ってくれる。

「この野郎!今までどこに行ってやがった!」

「どこって、ゲインズガル(ルンテ人の軍人が戦死すれば行けると信じられている場所)に決まってるじゃないか。僕は死んだんだからさ」

 ナラはそう言い、ポケットからタバコを取り出してライターどこだー、とあちこち軍服をまさぐっている。
 だが、少し変だ。ナラが死んだ?どこで?どうして?
 そんな俺の雰囲気を察したのか、ナラが怪訝そうにこっちを見つめて、やがて腑に落ちたような顔をする。

「君、どうやら寝ぼすけさんだな?それに……あー頭の中ぐちゃぐちゃになってるじゃないか。一服して一旦整理しよう」

 俺の頭を左手でぐしゃぐしゃ掻き回しながら、もう一方の手で器用にタバコとライターを寄越してくる。どうやらライターは見つかったらしい。
 普段、というより1度もタバコを吸ったことはなかったが、今は何故か慣れた手つきでタバコを咥えて火をつけ、そして一服した。

「どうだい、思い出したか?」

「……ぁ」

 タバコの煙が脳内を満たしていく。それらは煙臭い気体ではなく、思い出、今この俺に足りない記憶。

「ああああああ!!!」

 記憶のカケラが埋まる度、ナラとの思い出や、死んだナラの墓へ行ったことが思い起こされていく。
 いつしか、涙が溢れていた。止めどなく。

「……ナラ、お前…」

「やっと思い出したかい。そう、僕は死んだ。君の普段からの忠告と参謀長……ザンボルト大佐の諫言を無視して死んだんだ。自業自得さ」

 ゆっくりタバコを味わって話すその姿は、いつになく悲しそうだ。

「僕がどうして悲しいか、分かる?」

 心を読めるのか?

「そりゃだって、ここは君の夢だもの。僕は僕であり、君だ」

 あぁ、そうか。ここは……夢か。ハハッ、ついにおかしく……いや、俺は……

「お前が死んでからおかしくなっちまったのかな」

 頭を俯かせ、ポツリと呟いた俺の頭をまたナラはぐしゃぐしゃと掻き回す。

「そう。おかしくなっちまったんだよ、君は。僕が悲しい気持ちでいるのも君が意味の無い復讐をしようとしていることが原因なんだよ?」

 2本目に火をつけ、ふぅっと吐き出す煙を、アンカーは思わず胸いっぱいに吸い込んだ。

「どう?分かってくれるかな。僕の気持ち」

「あぁ。分かった。分かったけど、やっぱりお前の口から聞いておきたい。……敵討ちを、してほしくないのか?死んで無念と思わないのか?」

 じっとナラの目を見つめると、彼は視線を外さず、にっこりと笑ってこう言った。

「君の目標と信念を大切にして、これから僕の分までよろしく」

「おい、それじゃぁ……」

 返事をしようとするが、声が掠れ、やがて出せなくなる。

「元気でな、アンカー」

 そう言い残し、ナラは虹色の煙に巻かれて消えていった。


「ナァーン」

 ざらざらした舌で頬を舐め回す動物がいる。猫だ。俺のラートだ。
 いつの間にか寝ていたらしい。
 やっぱり、夢だったんだな。

 でもよぉ……!!!

 愛猫を抱きしめてアンカーは嗚咽する。

「答えになってねぇじゃんか、ナラァ……!!!」

 泣きじゃくる俺をラートは嫌がらず、みじろぎもしないでただ黙って待っていてくれた。
 少しして、気持ちが落ち着いたと同時にラートは腕の中からスルリと抜けて床へ降り立ち、こちらを向いてお座りした。

「ニャー」

 気持ちの整理はついたのか、と言いたげな目を送られてアンカーはほんの少し笑った。

「あぁ、あいつと、お前のおかげで踏ん切りがついたよ。……ありがとう」

 遠く離れた地で静かに眠る親友と、愛猫に深く感謝し、アンカーの心は決まった。
 すぐさま自室にある電話から海軍本部へ連絡を飛ばす。

「海軍本部長ドクトラ元帥へ言伝がある。アンカー・ライン中将は自らの信念と義務を果たす為に戦線復帰を所望する。と」
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