オストメニア大戦

居眠り

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第21話 眠れる獅子

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第20話 眠れる獅子

 4月21日午後3時30分。
 ルートランド共和国海軍グレース艦隊麾下、第110任務部隊がヴェントリア軍港に到着した。
 この第110任務部隊とは10年前に就役したアルジェリー級大型空母「フェアブランド」「ハーティエル」の2隻を中心に、対潜警戒中枢と防空中枢を担当するリーランド級軽巡洋艦1隻、対空・対水上警戒任務に当たるマッキンゼイ級駆逐艦4隻、そして艦隊への補給を行う護衛駆逐艦2隻と高速補給支援艦2隻で編成された即応部隊であり、民間人退避用の民間輸送船を4隻従えている。司令の名はエカテリーナ・ウェインライト中将、46歳の女性提督である。
 現在は海外駐留艦隊の司令長官という雑務役に近いポストに収まっているが、海軍兵学校では首席で卒業したエリートであり、戦艦に固執するルートランド海軍において航空主兵論を展開している。将来は制服組トップである海軍作戦部長も夢ではないとさえ言われていた。
 とはいえ、問題発言も多い上に農家の出ということもあり上層部の受けはよくなく、海軍の「艦隊派」と呼ばれる戦艦至上主義者たちは権力の中枢から田舎娘を追い払えたと喜んだが、彼女は淡々と与えられた任務に精励した。
 そんな彼女が指揮する第110任務部隊には、ルンテシュタットの在留邦人の避難支援に駆り出された。
 だが、真の目的はイッヒラルドが予想した通り仮想敵国であるスカリー帝国の監視であり、その情報供給を目的とした秘密協定の締結であった。
 何故秘密協定なのかというと、表立って大使館とルンテ王国で相互防衛条約を締結した場合、帝国がルートランドとの開戦に踏み切るので、それを防ぎたい……というのが共和国の本音だったのだ。
 端的に言えば、共和国は当て馬役をルンテに押し付けたに等しい。
 アンカーが、うへぇ、と思うのも無理はない。
 とはいえ、ルートランド側も技術支援や武器の輸出などを秘密裡に行うことを確約しており、両国の思惑は合致していることに変わりはない。この秘密協定は開始前から締結が決定していた。
 ルンテシュタット王国側からは軍務大臣リーク・ド・ペテロが全権大使として出席し、アンカーやイッヒラルド、海軍本部長のドクトラは隣室で待機することとなった。

〈軍務省〉
 午後4時。
 共和国側が用意してきた通訳を交えて会談が開始された。
 既に真意が割れているので腹の探り合いはこの際不要であり、お互いの利益のみを追求する場となったそうだがアンカーはその場にいない為、正直暇を持て余していた。
 そしてイッヒラルドとドクトラも雑務を終え、休憩に入っている。

「…暇ですね」

「そうだな、アンカー…」

「カードでもするか?中将」

「そうですね…」

 なんと3人とも暇すぎてカードゲームを始めてしまった。
 聞き耳は立てているが、聞こえてくるのは騒ぐ軍務大臣の声だけ。
 確認作業のような会談のはずが、既に1時間は経過している。奴が共和国とのこれからについて熱く語っているのであろうということは想像に難くない。
 さらに30分後、ようやくかすかに椅子を引く音が聞こえ、会談が終了したことを報せた。
 3人はすぐに立ち上がり、隣室から出て敬礼で出迎える。
 アンカー達は笑顔満面のペテロと、やや疲れの見えるエカテリーナの両名に続いて会食を行う為、食堂へ向かうがそこで事件が起きた。

「報告!報告であります!」

 突然若い士官が転がり込むように食堂に入り込んできたのだ。
 よほど慌てていたのか、白い軍服に大きなコーヒーの染みが出来てしまっている。

「騒がしいぞ、何事か?」

 ドクトラが来賓を慮って静かにかつ鋭く問いかけると、彼は敬礼しつつ、食事を止めて静かに見つめているエカテリーナの方を伺ったが、自身が大声を出した手前、引くに引けずハッキリと報告した。

「……第3艦隊が壊滅的被害を被り、艦隊司令ミロル中将以下4名の司令部要員が戦死又は負傷。カーリス半島に撤退したとのことであります」

「「「!!!」」」

 共和国側の面々もエカテリーナを除き、通訳を通して聞いた途端驚きを隠せずに立ち上がる。
 しかし彼らや詰め寄ろうとしたドクトラよりも速くアンカーが動いた。
 咄嗟に静止しようとしたイッヒラルドの手を払い、鬼のような形相で迫るアンカーを見て硬直する士官の胸ぐらを、両手で思い切り掴んだのだ。

「なんと言った?」

「ひ……!」

 冷たすぎる声にアンカーより大柄な士官が足を笑わせてしまい、その溢れんばかりの殺気に食堂にいた若いメイド達がガタガタと震えて半泣きになった。

「ナラは、ナラは無事か!?」

「ミ、ミロル中将は……戦死……なされました…」

「……」

 なんとか士官が振り絞った答えに、アンカーは応じなかった。
 しばらく、静寂が食堂にいる者達を包む。
 そしてイッヒラルドが落ち着いたと思われるアンカーの肩に手をやった時、第1次オストメニア大戦を経験した名将イッヒラルドが戦慄した。
 アンカーがイッヒラルドの方へ振り返った時視線が合ったのだが、その目が今まで見たことが無いものだったのである。

「中将……」

「……すみません、閣下。失礼します」

 アンカーはすぐに視線を外し足早に退室して行ったが、時を置かず壁を殴りつける音が聞こえた。

「馬鹿者ッ……!」

 ドクトラが困惑するペテロと狼狽る素振りすら見せないウェインライトに半ば敬礼しつつ後を追った。
 外に控えていた副官であり妻のハーレも合流して走り去っていく。
 諸将や大臣が残された食堂にはなんとも言えない空気が漂ったが、それを振り払える者はいなかった。
 一方、エカテリーナは至って平静だった。士官に向き直ると、通訳に何か合図を送る。

[報告して頂いた士官殿。第3艦隊はどの様にしてそこまでの被害を受けたのです?]

 共和国の公用語である南アルフォード語でそう言われた士官は、噴き出す冷や汗を拭かずに「何と仰っている?」と通訳に聞いた。
 アンカーの殺気に飲まれていた彼女は慌ててウェインライトの言葉を訳したが、それを聞いた士官はあまりいい顔をしなかった。

「一応我が軍の機密情報にあたりますので……」

 半分近く漏れてしまっている報告内容に機密情報も何もないのだが、軍務大臣が代わって間に入ってくる。
 しかし、エカテリーナは構わずに続ける。

[さすがに海戦の結果を完全に隠すことなどできないでしょう。昨日、アルワラ諸島で偵察を行っていたスパイから、まとまった数の航空機が東部海域へ進出したとの報告を艦上で受けました。航空攻撃が関わっているのはまず間違いありません。私は、輝蒼帝国の緑川一心という人物が提唱した間接アプローチ戦略を基に、航空機を積極利用する『航空阻止戦術』の論文を軍の研究会で提出したことがあります]

「航空阻止戦術……どのような戦術ですかな?」

 イッヒラルドは訝しげに問いかけると、エカテリーナは話を続ける。

[前線ではなく、後方への攻撃です。砲兵ではなく、航空機で行うものですが、その範疇には航空機での対艦攻撃も含まれます。昨今の航空機は膨れ上がる泡のごとく成長を続けており、今や戦艦の砲弾重量にも迫る大重量爆弾や魚雷さえ運搬・投下が可能です。我々の記録では、第3艦隊は空母を持たない部隊とあります。航空機に翻弄されて対処が遅れたところ、そのまま水上艦や潜水艦との連携で壊滅に追い込まれた、といったところでしょうか]

 通訳が長々と話すエカテリーナの発言を必死に訳していく度に、ほとんど当てられてしまった士官の顔色が変わっていく。
 実情を知らないイッヒラルドや他の将校が困惑している中、ペテロが機密情報という壁を自ら壊して士官に問いただすと、正に彼女の言った通りだった。

[航空攻撃のみで作戦行動中の戦艦を撃沈したとは……さすがに予想外です。航空阻止の論文では、主目標が輸送船舶や水雷戦隊に主眼を置きましたので]

「いやしかし、航空機が戦艦を撃沈するとは……にわかには信じられん。戦艦は自らが装備する主砲弾を防御できるんだぞ」

 歴戦の名将がそう言い、ペテロは口を魚の様にパクパクさせていた。その一方で、航空主兵論者のエカテリーナでさえ唾を飲み込み、静かに呟いた。

[戦艦の防御システムは艦砲への対処に最適化されています。今回の事例では、航空機の有用性が敵によって証明されてしまった、といったところでしょうか。航空戦力の存在は、もはや戦争の形を変えかねませんね]

 その言葉を聞いた全員は、今度こそ何も言えなくなってしまった。
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